6-3

「ならば、食材を運び込むとしようか。フィリカも時間内に食材の用意が済んでおいたほうが安心するだろう」

「それなら、手が空いている騎士の方にお願いを――」

「いや、その必要はない」


 フィリカが言い切るよりも早く、レウィシアが返事をした。

 それに合わせて彼の指が動き、親指の先端に乗せていた中指が親指の付け根に当てるように滑って音を立てる。

 ぱちん。小さな、けれど軽やかな音が空気を震わせた瞬間、そよ風が緩く渦を巻き――その中央にぽんと二つの箱が出現し、フィリカは反射的に両手を伸ばして突如現れた箱が地面に落ちてしまう前に受け止めた。

 それなりの重量がフィリカの両腕に伝わってくるが、狂竜の加護を受けているフィリカにとってこれぐらいの重量はなんともない。


「……これは……ヒメアマアジオウゴンクラゲと、海蛇種の魔獣を保管している箱……?」

「屋敷の保管庫からここまで移動させてきた。これなら騎士の誰かに連絡して持ってこさせるよりも早いからな」


 そう、フィリカの腕の中にある二つの箱はどちらも祝賀会で調理するもの――ヒメアマアジオウゴンクラゲと扱いやすい大きさに分割された海蛇種の肉が入った箱だ。

 レウィシアはなんでもないことのように実行し話しているが、離れた場所にあるものを瞬間的に移動させてくる――いわゆる物体転移術は高度な魔法だ。凄腕の魔法使いや魔力に関する加護を受けた竜の加護者でないとまともに扱えないと言われるほど。

 それをさらっと扱ってみせた辺り、レウィシアは暴竜の加護者という点を除いても非常に優秀な人間なのだろう。


 ――こんなに優秀な人と釣り合うのかしら、わたし。


 一瞬だけ顔を出した不安を即座に飲み込み、レウィシアのあまりの規格外に引きつりそうになった表情を引き締め、フィリカは緩く口角をあげる。

 不安な表情や思いなど、祝賀会の空気には相応しくない。

 これから始まる時間はとても楽しく、明るい空気に満ちた時間になるのだから。


「……いろいろと驚く点はありますが……ありがとうございます、レウィ様。おかげですぐにでも調理に取りかかれそうです」

「これくらい大した労力じゃない。気にしなくていい」

「ですが、レウィ様がわたしのために労力を費やしてくださったのは確かですから」


 ありがとうございます、と柔らかい表情のまま、もう一度感謝を伝える。

 ほんの少しの空白のあと、レウィシアの頬が薄く朱に染まり、そのままふいと視線がそれて、そのまま顔を背けてしまった。

 どんな表情をしているのか、今の立ち位置ではフィリカにはわからないが、直前の反応を材料にすれば大体どんな顔なのか想像ができる。


 一度だけ瞬きをし、きょとんとして、すぐにまた口角をにんまりと持ち上げる。

 今度は先ほどのような柔らかなものではなく、ささやかな悪戯に成功した子供のような――少しの幼さと悪さを織り交ぜた笑い方。

 レウィシアをからかうために一度柔らかく笑んだのだと思われるかもしれないが、フィリカの今の心情を明確に物語っているのは、現在見せた笑みのほうだ。


「……可愛らしいお人」


 小さな声で一言だけ呟いて、レウィシアが持ってきてくれた箱を抱えたまま、彼の傍を離れる。

 調理テントの方角へ向けて歩いていく途中、ふわりとそよ風が耳元をくすぐって――穏やかな風の音に混じり、かすかな囁きがフィリカの耳に届いた。


「……本当に覚悟しておけよ、フィリカ・ブルーエルフィン」


 普段よりもほんの少しだけ乱暴な言葉使い。

 けれど、怒りを滲ませているわけではなく、ほんの少しの悔しさを滲ませた声。

 いつものレウィシア相手だとなかなか耳にできないその声を聞き、フィリカは思わずくすくすと声を押し殺して笑ってしまった。

 だって、自分ばかりが覚悟をしないといけないだなんて、ずるいじゃないか!

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