6-2
反射的に喉からあがりそうになった悲鳴を飲み込み、ばっと弾かれたかのような素早い動きで声が聞こえた方向へ目を向ける。
視線を向けた先――手を伸ばせば指先が簡単に届くほどの距離から、こちらを見下ろす薄灰色と視線が絡み、ほんの少しだけ不満げに両目を細めた。
「……いつからそこにいらっしゃったんですか? レウィ様。お屋敷のほうでお仕事をしていたのでは?」
少し考え事や設営に意識を向けていたとはいえ、接近してくる他者の気配に気付けないほどではない。
なのに、気配も足音もなく声が聞こえて本当に驚いた。悲鳴をあげるというまではいかなかったが。
本当にいつから傍にいて、どのようにやってきたのか――そんなことを思いながら、じとりとした視線を送り続けていれば、レウィシアはくつくつと楽しそうに肩を揺らす。
「そんな目をしなくても、ちゃんとやるべき仕事を終えているから安心しろ」
「……本当に、やるべきことは終わってますか?」
「もちろん。やるべきことを適当にして、お前に呆れられたり嫌われたりするのは避けたいからな」
さらりと添えられた一言に、また顔に熱が集まりそうになる。
フィリカに呆れられたり嫌われたりするのは避けたいだなんて、普段と変わらない調子で言わないでほしい。本当にこちらに対して気があるのだと期待してしまいそうになる。
――いや、もしかしたらそれもレウィシアの狙いなのかもしれない。こちらに気があるのだと思わせて、レウィシアの存在を強く意識させようという。
――レウィ様の真意はわからないけれど、心臓がいくらあっても足りなくなってしまいそう。
深く息を吐き、顔に集まりそうになった熱を一緒に吐き出してから言葉を返した。
「……それなら、わたしも安心しますけど……」
「ああ。せっかくの祝賀会だ、フィリカと楽しい時間を共有するチャンスを逃すつもりはないからな」
とくり、と。
またフィリカの心臓が強く脈打ち、一度逃がしたはずの熱が戻ってくる。
「……またそういうことを、さらりと言うんですから」
「こういうのは、こまめに伝えておかないと後々で後悔することも多いだろう?」
特に、俺たちのように戦場に立つ機会が多い者は。
小さく付け加えられた言葉には、納得できてしまうものがある。
フィリカもレウィシアも、他の令嬢子息たちや竜の加護を得た者たちに比べると戦場に立つ機会が多い。狂竜の加護者にとっても、暴竜の加護者にとっても、戦場に立って剣を振るうことは呼吸に等しい行為だからだ。
つまり、戦いの中で命を落とす危険性が常について回る――もちろん、フィリカは魔獣に遅れを取るつもりはないし、レウィシアもそれは同じだとは思うが。
いつどちらかが命を落とすかわからない――そのことを考えると、伝えられるときに想いを伝えておくべきだというのは理解できる。
理解できるのだが、普段と変わらない調子で突然それをされるのは心臓に悪い。
「こちらの心臓がもたなくなってしまいそうなので、お手柔らかにお願いしますね」
「考えておこうか。言っただろう? 覚悟しておくといい、と」
実に楽しげな調子で言葉を返したレウィシアが口角を釣り上げる。
声色どおりの感情を含んだ顔を見上げ、ほんの少しの悔しさと抗議と照れを乗せてレウィシアを軽く肘でつつく。
自らよりも上の身分の人間への態度としては非常に好ましくないが、レウィシアはくつくつと愉快そうに笑うばかりでフィリカの態度を咎める様子はなく、それを咎める者もいない。
メイドたちも騎士たちも、誰もが微笑ましいものを見る目を二人に向けてはそれぞれの仕事に戻っていく。
見守られていることに少しの気恥ずかしさを感じつつも、小さく咳払いをして気を取り直す。
「設営のほうはどうだ? 順調に進んでいるか?」
「はい、皆さんのおかげで順調です。このペースなら予定していた時間に祝賀会を始められると思います」
何事もなかったかのように問いかけてきたレウィシアへ、フィリカも普段どおりに近い調子で返す。
二人でじゃれ合っている間も準備は順調に進んでいる。予定されていた時間までもう少しだが、これなら問題なく祝賀会を始められるだろう。
そのように判断してレウィシアへ伝えれば、レウィシアは一度だけ頷いてから口を開く。
「なら、今回のメインとなる食材を運び込んでも問題なさそうだな」
「ええと……調理テントはあちらになりますから……そうですね、問題ないかと」
レウィシアへ答えながら、フィリカはちらりと設営が進んでいるテントの一つに目を向けた。
複数設置されたキッチンテントのうち、調理場にする予定のものはほぼ全ての準備が完了している。使用する予定の野外用調理器具も揃っており、いつでも調理を始められそうなぐらいには整っている。
続いて、主に料理を振る舞うことになるテントへと目を向ければ、そちらもほぼ準備が整っているようだった。こちらは大きなタープテントの下に大きめの野営用のテーブルが用意されており、立食形式で料理を楽しめそうな状態になっている。たくさんの食器だけでなくグラスも確保されているため、それぞれの皿には料理を、グラスには飲み物を注げばすぐにでも料理を楽しむことができそうだ。
これなら食材を運び込んでも問題なく調理をし、集まってくれた領民や騎士たちへ完成した料理を振る舞える――そう判断してレウィシアへ頷く。
フィリカの返答を受け、レウィシアも頷き返してから、おもむろに片手の親指の先端に中指を乗せ、薬指を親指の付け根に添えた。
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