最終話

6-1

 レーシュティア領を襲った大嵐と大型魔獣の襲撃が無事に終息してから数日。

 風雨や強風で荒れていた港はすでに元の姿を取り戻し、町全体も穏やかな空気を取り戻しつつある。

 片手の指で数えられるほどの短い期間で港が元の姿に戻ったのも、町全体に被害が及ぶ前に『竜』を――海蛇種の魔獣を討伐できたおかげだろう。

 これも、レウィシアがともに魔獣討伐に向かい、戦場に立ってくれたおかげで――。


『そのときまで――その先も、ずっと』

『俺の傍に置いておきたいと思う人間は、フィリカ。お前一人しかいないのだから』


「わ……わーっ!」

「お嬢様!?」

「フィリカ様!?」


 港で魔獣と戦ったときの記憶と一緒にレウィシアから告げられた言葉も蘇り、瞬く間にフィリカの顔へ熱が集まり、真っ赤に染まる。

 思わず頬を両手で押さえ、蘇った記憶を頭の片隅に追いやるために声をあげる。

 突然フィリカが声をあげたことに驚き、周囲で手伝いをしてくれていたメイドたちが驚愕の声をあげ、数人は作業の手を止めて傍へ駆け寄ってきた。

 驚かせてしまって申し訳ないという思いはある、あるのだが、許してほしい。

 だって、だって。


 ――あんなこと言われるだなんて、思ってなかったんだもの!

 それも、わたしがレウィ様へ向けている想いを自覚したあとに!


 うるさいほどに早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、フィリカはキッチンテントの下で小さく唸り声を発する。

 海蛇種の魔獣が襲来した日と異なり、穏やかさを取り戻した潮風がフィリカの肌や髪を優しく撫でていき、急激に上昇した体温をわずかに冷やしていった。


 すっかり綺麗に整えられ、本来の姿を取り戻した港には多くの人々が集まっている。普段から港を出入りしている漁師や船の乗組員たちはもちろん、町の見回りや治安維持を主な仕事をしている騎士たち、さらには普段なら屋敷の中で働いている使用人たち――そして、町で他の仕事をしている町民たちも集まり、非常に賑やかな空気に包まれていた。

 そのうちの数人――力に自信がある者や騎士たちはキッチンテントや野外用の調理器具を港の一角に運び入れて次々に設置しており、一種の祭りのような雰囲気に満ちている。


 否、今日は一種の祭りなのだ。

 ヒメアマアジオウゴンクラゲの対策を発表し、シュテルメアの町を強大な水棲魔獣の脅威から守ったことを祝うための祭り。フィリカがレウィシアへ提案したのをきっかけに実現した、一種の祝賀会の日だ。

 フィリカはその会場や料理の用意を取り仕切るためにここにいるわけだが――正直なところ、それに集中するのが難しくなってしまうほど、今のフィリカは動揺した状態が続いている。


「……きゅ、急にちょっとごめんなさい。少し恥ずかしくなることを思い出してしまって……」

「本当に大丈夫ですか? お身体の具合が優れないのであれば、一度屋敷のほうでお休みになられたほうが……」

「いいえ、本当に大丈夫だから。心配させてしまってごめんなさい。さ、予定通りに作業を終えられるようにしましょう!」


 心配そうな表情を見せたメイドへそう言葉を返してから、頬を覆っていた手をぱっと離す。

 無駄な心配をさせないために両手を軽く振って、元気そうな姿を見せてから彼女たちの背中を押す。

 少々心配そうな目を向けつつも、それぞれの作業に戻った彼女たちの背中を見送ったのち、フィリカはひっそりと息を吐いた。


「……もう。これもレウィ様があんなことを言うから……」


 今はこの場にいないレウィシアの姿をもう一度脳裏に思い描く。

 余裕がある姿を見せることが多く、可能な範囲でそれを崩そうとしない人。

 何らかの理由でそれが崩れたときは、とても可愛らしい姿を見せてくれる人。

 そして――戦場に立ったときは、相手に臆することなく、圧倒的な力を持って場を支配する人。

 一つ一つ彼が見せてくれた姿を思い描くたびに、心臓が普段よりも大きく脈打つ。

 自覚する前から心臓が高鳴ることはあったが、自覚してからは特に高鳴りやすくなってしまったように思う。


 まさか、自分がこんな状態になってしまうだなんて、婚約の話を受けたときは想像できなかった。あのときは互いの利益のために婚約するというだけで、レウィシアに恋をする――愛情を向けることになるとは思っていなかったから。

 そして、彼からも同様の――否、場合によってはフィリカが向けているものよりも高い熱量の想いを返されるだなんて一欠片も想像していなかった。


 ――あの頃のわたしに、こんなことになるって教えてあげたら、きっととても驚くでしょうね。


 心の中で呟きながら、困惑や照れなどの感情を吐息と一緒に吐き出し、ざわつく心をなだめる。

 大勢の人々が行き交い、準備を進めていく祝賀会の会場へ意識を向け、祝賀会の準備が整っていく様子を眺めていれば、動揺や戸惑いなどの感情でざわついていた心も少しずつ落ち着いてきた。


 時折、野外用の調理器具をどこに設置するべきか問うてくる声に答え、必要な指示を出す。

 少しずつ会場が出来上がっていく様子は、ロムレア領で討伐した魔獣を調理して騎士や領民たちに振る舞っていた頃を思い出し、少しばかり懐かしい気持ちになる。


「……そういえば、レウィ様とはじめて出会ったのも、魔獣料理を振る舞っているときだったな……」


 レーシュティア領とロムレア領という違いはあるが、彼とはじめて出会った日も、フィリカは魔獣料理を振る舞っていた。

 そして、今。レーシュティア領へやってきてからはじめての魔獣討伐を終えて、あの日のように魔獣料理を多くの人々に振る舞おうとしている。


「レウィ様とは魔獣料理という繋がりで繋がっているのかもしれないわね」

「俺がどうかしたか?」


 独り言のつもりで呟いた言葉に返る声。

 それも、真隣といっていいほどの距離から聞こえた声に、フィリカの両肩が大きく跳ねた。

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