4-6

「……」


 そんな当然のことはわかりきっているが。

 眼前に座る、己と近い存在といえる彼の心や思考に触れられないというのが――なんとももどかしくて、なんとも寂しい。

 この人のことを理解したいのに、理解するには自らの中に積み重ねられた経験が少ないのだと改めて突きつけられるような気分になってしまう。


 ……特定の誰かと話していて、こんな気持ちになるのもはじめてかもしれない。


 心の中でひっそりと息をつき、言葉の続きを求めてレウィシアを見つめる。


「フィリカ。前に俺が言ったことを覚えているか?」

「前にレウィ様がおっしゃったこと……?」


 眉を潜め、フィリカはこれまでレウィシアと交わしてきた言葉を思い返す。

 レウィシアとはさまざまな言葉を交わしてきた。その全てを覚えているかと問われれば自信はないが、気になった言葉や興味をひかれた言葉は覚えている。

 たとえば、そう。世界を――。


『先も言ったが、俺の目的はお前がいないと達成できない』

『フィリカ。俺は世界を食べたいと思っているんだ』


「……『世界を食べたい』……」


 ぽつ、と。

 フィリカが小さな声でその一言を呟いた瞬間、レウィシアがにんまりと口角を上げた。

 まるで、正解だとでも言いたげに。


「では、続けて問おう。フィリカ、特に強大な力を持つ竜からの加護を得て、力を得ること――そのことを昔は何と表現していたか知っているか?」

「もちろんです。歴史の授業でも学びました。その昔、強大な力を持つ竜から加護を授かることは『世界を手に入れる』と表現されていた、と。故に、昔は竜を『世界そのもの』と表現する者もいたとか――」


 そこまで答えたところで、はた、とフィリカの言葉が止まった。

 竜。かつては世界そのものと表現された存在。加護を得られたら世界を手に入れる力を手にできると表現されていたほどの存在。

 レウィシアの『世界を食べたい』という言葉。


 ――まさか。


「……まさか、レウィ様。あなたの目的は『竜』を……?」


 これまで得た情報を繋ぎ合わせ、導き出された可能性を口にする。

 思考が飛躍している自覚は十分にある。彼が言いたいことはこんなことではないかもしれない。

 だが、己の直感はこの答えしかないと訴えかけてきている。竜と呼ばれる強大な魔獣の出現、突然の歴史の振り返り、世界を食べたいという過去に口にした言葉――それらの材料から導き出される答えはこれしかない、と。

 これしかないだろうという思いと、思考が飛躍していて突拍子もない考えだと訴えてくる思い。二つの思いに挟まれているフィリカへ、レウィシアの声が答えを与える。


「――ああ。フィリカ、お前が想像したとおりの答えだ」


 ゆらりとした動きで手の平を上に向け、わずかに手をあげて。

 そのような仕草をレウィシアが見せたとき、執務室の壁に取り付けられた窓が強風で騒がしい音を立てた。

 先ほどまで広がっていた青空が急速に曇り、風が吹き荒れ、窓ガラスに無数の水滴が付着し始める。


 穏やかだったはずの天候が急激に変わっていく様子は、何か良からぬことがシュテルメアの町に迫っているかのようで――同時に、レウィシアが口にしようとしている答えがとても大きなものであることを予感させるかのようだ。


「俺は世界を――『竜』を食らうことを、ずっと目的にしてきたんだ」


 レウィシアの声が空気を震わせる。

 直後。


「失礼します。レウィシア様、急ぎの報告が」


 執務室の扉を数回ほどノックする音が空気を震わせた。

 レウィシアがちらりと扉に目を向ける。

 入室許可は出ていない。しかし、よほど急ぎなのか返事を待たずに扉が開かれ、赤髪の騎士が姿を見せた。

 彼には見覚えがある。はじめてレウィシアと出会った日、彼とともにいたあの騎士だ。

 あのときは穏やかな振る舞いと話し方をしていたが、今は焦りの色をこれっぽっちも隠さず、レウィシアを真っ直ぐに見つめている。

 その様子からも何らかの異常事態が発生しているという事実が感じ取れた。


「シュテルメアの見回りをしていた騎士が、港で『竜』らしき魔獣の影を――大型の水棲魔獣の影を確認したとのこと――!」


 ひゅ、と短くフィリカの喉が音をたてる。

 緊張をあらわにしたフィリカとは対照的に、レウィシアは口元に浮かべた笑みを深め、ソファーから立ち上がった。

 口元は確かに笑っている。けれど、薄灰色の両目は爛々と獰猛な光を宿していて、フィリカの背筋にぞくりとしたものが走った。

 まるで、獲物を目の前にしたかのような――そんな、好戦的な光を隠しもしない目。


「……どうやら噂の個体が自ら来てくれたようだな」


 ぽつり。

 そんな言葉を呟いて、レウィシアがこちらへ目を向ける。

 爛と輝く薄灰色がフィリカの姿を映し出し、にんまりと弧を描いた。


「フィリカ。お前も来てくれるだろう?」


 『来てほしい』ではなく、『来てくれるか』でもなく、フィリカが同行すると疑っていない言葉。

 少しばかり強い言葉に一瞬だけ怯みそうになったが、即座に己を奮い立たせ、フィリカもソファーから立ち上がった。


「もちろんです。同行の準備を整えてくるので、少々お待ちいただけますか」


 つぃ、と。

 レウィシアの口角がさらに上がったように見えたのは、きっと気のせいではない。

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