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「……うん、これくらいでいいかな」


 十分に煮詰めてから、木べらでヒメアマアジオウゴンクラゲを軽くつつく。

 ゆっくりと火を通したからだろうか、鍋の中に入っているヒメアマアジオウゴンクラゲは木べらで少し力を加えれば簡単に崩れるほどに柔らかくなっている。

 ヒメアマアジオウゴンクラゲを崩して輪切りにしたツィトルーンの実を加えた瞬間、フィリカの作業をじっと眺めていたキッチンメイドがあっと声をあげた。


「……ブルーエルフィン様、もしかしてこれは……ジャムですか?」


 声をあげたキッチンメイドへ目を向け、穏やかな笑みを浮かべて肯定する。

 ヒメアマアジオウゴンクラゲの甘みを十分に活かすことができる料理と考えて、思い浮かんだのがそれだった。

 ジャムのレシピもさまざまなものがあるが、その中にはレモン果汁を加えるものもある。普通のレモンではヒメアマアジオウゴンクラゲの甘みに打ち勝つのは難しいだろうが、強烈な酸味をもつツィトルーンの実ならバランスが取れる可能性があるのではと思ったのだ。


 ――昔、まだ魔獣料理を作り始めた頃。料理長から砂糖を入れすぎたときの対処法として、酸味を加える方法も教えてもらったから望みはあるはず。


 もし、これでも駄目だったら――いいや、そのときはまた改めて考えよう。

 心に芽生えた少しの不安を即座に飲み込み、火の勢いをさらに強め、ヒメアマアジオウゴンクラゲとツィトルーンの実をより煮詰めていく。

 表面に泡が浮いてきたらそれを取り除いて、焦げつかないように時折かき混ぜたりもして――そうしてどんどん火を加えていけば、鍋の中に入っていたヒメアマアジオウゴンクラゲは薄い黄金色を帯びた半固形状の物へとすっかり姿を変えた。


「……美味そうだな」


 ぽつ、と。

 すぐ傍で小さな呟きが聞こえ、そちらへ目を向ける。

 誰が呟いたかなんて深く考えなくてもすぐにわかる――レウィシアだ。

 ぽわりと胸の奥に一種の暖かさが宿るのを感じながら、フィリカは火を止めて木べらを持ち上げ、少しのとろみがついたそれを持ち上げてみせた。


「ヒメアマアジオウゴンクラゲの調理は過去に一度失敗していますから……レウィ様の口からそのような感想を聞けたのは嬉しくなってしまいますね」


 だが、問題は味だ。

 いくら見た目が美味しそうに仕上がっても、肝心の味が食べられるものでなければ意味がない。

 火を止め、木べらでもう一度ぐるりと鍋の中身をかき混ぜてから、そっと木製のスプーンを手に取った。


 ――大丈夫。前回よりは望みがあるはず。ひどい味に仕上がっている可能性は低いはず。


 フィリカの脳裏に前回の失敗がよぎり、スプーンを持つ手にかすかな緊張が加わる。

 レウィシアにツィトルーンの実が欲しいと我が儘を言って、自信満々な様子でこれだけ多くの人々の前で調理をして――これで、もし失敗していたら。

 いいや、今回は大丈夫なはずだ。前回失敗した試作品よりも美味しく仕上がっている可能性は高いはずだ。

 緊張とともに生まれた不安を飲み込み、木製のスプーンで出来上がったジャムを一口分すくい、軽く冷ましてから口に運んだ。


「……ん!」


 直後。フィリカの目がぱあっと輝き、両頬にほんのりと朱が差し込んだ。

 熱とともに舌に触れたのは爽やかさも感じる甘みだ。

 それも、ヒメアマアジオウゴンクラゲを切り身にして食べたときや、甘辛く煮込もうとして失敗したときのような喉を焼く甘みではない。口にしても不快感を覚えない程度にまで和らいでいる。


 ヒメアマアジオウゴンクラゲ自体も煮詰めたことにより、コリコリとした食感が薄れて柔らかくなっているため、ジャムとして口にしたときの違和感や不快感が少ない。

 これは成功といっても過言ではないだろう――勝利を確信する味に、フィリカの胸の奥でぱちぱちと希望の光が散った。


「レウィ様! レウィ様もどうぞ!」


 強く両目を輝かせたまま、フィリカは新たに木製のスプーンを用意し、一口分のジャムをすくってレウィシアへ差し出した。

 この味を彼も感じてほしくて、この喜びを彼と共有したくて仕方ない。

 対するレウィシアはフィリカがスプーンを差し出した瞬間、わずかに目を見開いて怯んだような様子を見せた。

 が、最終的にきらきらとしたフィリカの視線に負け、浅く唇を開いてスプーンを口に含んだ。


「どうでしょう? 前回よりも美味しく仕上がっていると思いませんか?」


 発する声も幼い子供のように弾んでいて、冷静な部分が我ながら子供っぽいとも思う。

 だが、そうなっても仕方ないだろう。だってこんなにも早く調理に成功するとは思っていなかったのだから!


「……確かに。これは美味いな……」


 数分ほどの短い間のあと、レウィシアが先ほどとは異なる感情で目を見開き、呟いた。

 口に含んだ瞬間の甘みも、飲み込んだあとに舌に残っている甘みにも不快感がない。舌や喉を焼いて攻撃してくるほどの暴力的なものではなく、はっきり甘いとわかりつつも問題なくそれを楽しめるぐらいにまで中和されている。

 これまでヒメアマアジオウゴンクラゲの活用法を求め、さまざまな方法で食そうとしては失敗を繰り返してきたレウィシアだからこそ、この味の変化は敏感に感じ取ることができた。

 レウィシアが発した返事を耳にし、フィリカの目がより一層輝く。


「ね、ね? でしょう? すごく美味しく仕上がったんです! 元々が砂糖の固まりのような甘みを持っていますから、ジャムにすればもしかしたら……って思ったんですが……」

「本来ならジャム作りには大量の砂糖を使用するが、ヒメアマアジオウゴンクラゲならそれが不要だ。砂糖を節約しつつ、保存食にもなるジャムを作れるというのは大きいな」

「はい。それに、上手くすれば砂糖のかわりとしても使えるようになるかもしれません」


 言いながら、フィリカはスプーンを持ち替えて完成したジャムをもう一口、口に運ぶ。

 また口に運びたいと思える味だ。レウィシアからも美味しいという一言を聞けた。


 ――これなら、他の方々の口にも合うかもしれない。


 ぱちりと希望がフィリカの中で弾け、ぱっと周囲で様子を見ているキッチンメイドたちを見る。


「皆様もよければ味見をどうぞ。それから、粗熱が取れるまで休ませるつもりなので、その間に保存容器――そうですね、瓶がいいと思いますから……瓶の煮沸消毒をお願いします」


 味見を勧めつつ、保存容器の用意も依頼する。

 静かに様子を見ていたキッチンメイドたちは、再度顔を見合わせて――けれど、自身が仕える主の反応もあってか、皆が皆、おずおずとスプーンへ手を伸ばしてヒメアマアジオウゴンクラゲのジャムをすくった。

 そして、思い思いの表情でスプーンを口に運ぶ。

 瞬間、誰もが大きく目を見開いて、ぽっと両頬をほんのり朱に染めた。

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