4-3

「えっ……こんなにも用意してくださったんですか!?」


 パントリーに運び込まれた食材の箱のうち、黄色の果実がぎっしり詰まった箱を前に、フィリカは思わず驚愕の声をあげた。

 今日も隅々まで掃除が行き届いた公爵邸のキッチンには、以前とは異なり、普段キッチンを預かっているキッチンメイドたちの姿がちらほらと見られる。

 そんな彼女たちとともに姿を見せたレウィシアは、驚愕の声をあげたフィリカを真っ直ぐに見つめ、ゆるりと口角をあげた。


「ああ。フィリカが何を考えているのかわからないが……これぐらいの量があれば、大体の思いつきに対応できるだろう?」

「確かに、これだけあればツィトルーンの実が途中でなくなったらどうしよう……という不安を覚えずに使えますが……」


 だが、大きめの箱に一箱分も用意してくれるとは思っていなかったのだ。

 驚きを隠しきれないまま、フィリカは箱の中から一つ、ツィトルーンの実を取り出した。

 綺麗な黄色の果実には傷一つ見当たらず、キッチンの明かりに照らされて艶々と輝いている。鼻に近づけてみれば爽やかで清涼感のある香りが感じられ、このツィトルーンの実がとても新鮮で良いものであることを示している。

 いくらツィトルーンの実がそれほど珍しくない果実だとしても、こんなにも状態が良く、鮮度も十分に高いものを一箱分も用意するとなるとそれなりの値段になるだろうに。


「ツィトルーンを購入するくらい何の負担にもならない。何も気にしなくていい。それよりも――」


 レウィシアが手を伸ばし、フィリカの手の中にあるツィトルーンの実を指で示す。


「それで一体何をするつもりなのか、そろそろ教えてもらおうか。気になって仕方ないんだ」


 俺だけでなく、ここにいる全員が。

 最後にレウィシアが付け加えた言葉に反応し、フィリカは周囲へ目を向ける。

 キッチンに残っているキッチンメイドたちの視線がこちらへ向いている。ある者は好奇心を隠しもしない目を、ある者は不安そうな目を、ある者は純粋な疑問の目を――普段、この屋敷のキッチンを預かっている者たちの目が揃ってフィリカを映している。

 思い思いの感情を乗せた目を少しの間見つめ返したのち、フィリカもゆるりと口角を持ち上げた。


「……ええ。レウィ様がご用意してくれたおかげで、早速作業に取りかかれそうですし……始めさせてもらいますね」


 レウィシアだけでなく、こんなに大勢の人々から注目されているのだと考えれば、自然と気合いが入るしやる気も出る。

 懐から髪紐を取り出し、手で髪を軽く整えたのちにざっと結ぶ。

 長い髪を後ろで一つにまとめて結い上げれば、戦場に立つときとは異なる思いと力が身体に満ち、自然と背筋が伸びた。


「レウィ様も皆様も、ぜひご覧くださいな。成功するかはわかりませんが……一体何をするつもりなのか、それがわかれば安心するでしょう?」


 フィリカがそういった瞬間、キッチンメイドたちが一斉に顔を見合わせた。

 互いに顔を見つめ合ったあと、小さく頷き合い、おずおずとした様子でフィリカの傍へ歩み寄ってくる。

 彼女たちのそんな反応を眺めて笑みを深めると、フィリカは保管庫からヒメアマアジオウゴンクラゲの箱を取り出して用意を始めた。


 箱から一匹、二匹、三匹――前回よりも多めにヒメアマアジオウゴンクラゲを取り出し、深鍋の中へどんどん入れていく。空っぽだった鍋に一匹二匹と放り込み、水を少しだけ加える。

 十分な量を放り込んだらコンロに置いておき、ヒメアマアジオウゴンクラゲが入った箱を保管庫に戻しておいてくれるようにキッチンメイドの一人に頼んでから、フィリカは次にツィトルーンの実を手に取った。

 鍋の中に放り込んだヒメアマアジオウゴンクラゲと同じ数だけ取り出し、一つ一つ丁寧に洗ってから包丁を入れ、どんどん輪切りにしていく。


 銀に輝く刃が黄色い果実に入り、果汁を溢れさせながら瑞々しい断面をあらわにするたびに、目が覚めるような爽やかな香りがキッチンに広がっていく。

 試しに手に付着した果汁を舐めてみれば、思わず身体が跳ねそうになるほどの酸味がフィリカの舌を貫いた。

 知ってはいたが、そのまま食べるのは少し難しいほどの酸味だ。

 だが、眠りを覚ますほどの酸味には非常に期待でき、フィリカの胸の奥で希望がきらりと煌めいた。


「……大丈夫か? フィリカ」

「は、はい。大丈夫ですのでご心配なく」


 少々心配そうに尋ねてきたレウィシアへ返事をしてから手を洗い、作業を再開する。

 用意したツィトルーンの実を全て輪切りにすると、コンロを操作し、ヒメアマアジオウゴンクラゲが入っている深鍋を火にかけた。

 本来なら砂糖を加えるところだが、ヒメアマアジオウゴンクラゲ自体が砂糖の固まりのようなものだ。砂糖は不要だろう。

 弱火でじっくりと加熱し、時折焦げつかないように木べらで中身をかき混ぜる。


 加熱するうちにヒメアマアジオウゴンクラゲから水分が染み出してきて、元々加えていた水と混ざり合っていく。水分量が増えてきたら火の勢いを少しずつ強めていき、中火ぐらいの火力にして、さらに加熱していく。

 場に満ちていた爽やかな香りに、ヒメアマアジオウゴンクラゲを煮詰めていく甘やかな香りも重なり、キッチンにいる者たちの空腹を緩やかに刺激した。

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