4-2

「お前に任せていた調査の結果は?」


 問うレウィシアの声はひどく平坦で、フィリカや他の使用人たちへ向けていたものよりもはるかに冷たい。

 多くの者を震え上がらせ、威圧するような声。

 しかし、ヘリオはそんなレウィシアの声に臆することなく、落ち着ききった態度で言葉を返す。

 知っているのだ。レウィシアがこんな声を出すときは、とても真剣な状態なのだと。


「再調査の結果、ヒメアマアジオウゴンクラゲ以外にも普段はあまり見かけない水棲魔獣の姿が見られているようです。中には深海に生息しているはずの水棲魔獣まで」

「……ヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生と同時に、水棲魔獣の生息域変動も起きているということか」

「はい。過去のヒメアマアジオウゴンクラゲによる被害報告書とも照らし合わせましたが、ヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生と水棲魔獣の生息域変動が同時に起きている記録はありませんでした」


 つまり、今回の異常ははじめて見られる異常ということだ。

 そして――水棲魔獣の生息域が変動するほど大きな出来事といえば、考えられる可能性は一つしかない。


「……ヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生と重なったのは想定外ですが、レウィシア様の願いが叶うかもしれない出来事が起きていることが想定されます」


 レウィシアの口角がゆっくりと持ち上がる。

 調査結果から想定される答えが正しければ、シュテルメアに起きていることは単純なヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生ではない。過去の記録に深く残されるような大きな出来事だ。

 本来なら焦るべき状況なのだが――『世界を食べる』という目的を抱えているレウィシアにとっては、思わず口角が上がってしまうほどに喜ばしいことだ。


「……またフィリカにも伝えておかなくてはな。きっと彼女の手をさらに借りることになる」

「レウィシア様からお伝えしますか? それとも――」

「いいや、俺から伝えておく」


 ヘリオが言い切るよりも先にレウィシアが言葉を重ねた。

 即答ともいえる速さでの返事に驚き、ヘリオの目がわずかに見開かれる。

 けれど、驚いているのはヘリオだけでない。言葉を返したレウィシア自身も、己が返した言葉の速度に目を見開き、自らの喉に軽く指先を添えた。


 まだ幼い頃。次期公爵として先代から――父から教育を受けていた頃、相手の言葉にしっかり耳を傾けて最後まで聞いてから返事をするよう教えられた。

 だから、父から正式にベルテロッティ公爵の座を受け継いでからもそうであるよう心がけてきたのに。


 フィリカの顔を思い浮かべたとき、嫌だと思ったのだ。

 ヘリオが――否、自分以外の誰かが今回の調査結果を彼女に話し、そのまま話し込む様子を思い浮かべたら。

 そこにあるのは自分であれと心から強く思ってしまったのだ。

 そう思ったら、自然とあのような言葉が喉から発されていた。


「……ツィトルーンの実を無事に手に入れられたことも伝えたいからな。フィリカがあの実で何をしようとしているのかも確認したい。彼女には会う予定があるから、そのときに伝えておこう」


 息を吸い、吐き出し、心の奥底で揺れる困惑を飲み込む。

 それを平常に近い振る舞いで覆い隠し、それらしい理由も口にして、レウィシアは己の喉に添えていた手を下ろした。

 まるで、口にした理由が本心であるかのように振る舞い、困惑と一緒に飲み込んだ真意を隠してしまえば、それが真実になる。


「かしこまりました。それがレウィシア様の選択であれば」

「ああ。もう下がってもいい。調査の疲れを少しでも癒してくれ」


 少しの間、ヘリオはそんな主の姿を無言で眺めていたが、やがてその言葉とともに深々と頭を下げた。

 レウィシアも彼へ下がるように命じてから、かつりと足音を奏で、キッチンがある方角へ目を向ける。

 こちらを一生懸命に見上げて言葉を紡ぎ、ときには柔らかな笑顔も見せる銀糸の髪の少女を脳内に思い描けば、自然と足はその方角へ向かっていた。


『レウィ様』


 耳の奥でレウィシアの名を呼ぶ声が蘇る。

 戦場では凛とした響きをもっているのに、それ以外の場では柔らかく響く少女らしい声。

 甘やかさも含まれているように感じられる彼女の声を、こちらに向けられた笑顔を思い出すだけで、レウィシアの胸の奥がほんのりと熱を持つ。

 これまでもさまざまな令嬢と出会ってきたが、声や笑顔を思い出すだけで胸が暖かくなるのははじめてだ。


「……短時間でこんなにも深くまで潜り込まれるとはな」


 他者へ簡単に心を許さないほうだと思っていたのに。

 フィリカが人の懐に潜り込むのが得意なのか、それとも無意識のうちに彼女へ心を許してしまっていたのか――はたまた、はじめて出会ったときから彼女に惹かれるものを感じていたのか。

 キッチンへ続く廊下を歩きながら、レウィシアは自身の口元を軽く手で覆う。

 指先に触れた指先から熱が伝わってきたのは、きっと気のせいではないだろう。

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