3-8

 鍋の中へ茹でたヒメアマアジオウゴンクラゲと水を注ぎ、辛味を加える食材や香辛料を次々に入れて火にかける。

 甘そうな印象がある果実とは反対に、齧ると刺激的な辛味を楽しめるファルジュースの実。

 一口でどんな眠気も吹き飛ぶほどに辛く、まるで地獄を味わっているかのような気分になると評価されている唐辛子であるヘルレーヌ。

 他にも胡椒や山椒、一般的な辛味を楽しめる品種の唐辛子など、慎重に味を確認しながらそれぞれの食材を煮込んでいけば、複数の辛味が組み合わさった辛味スープがあっという間に完成した。


「……どうでしょう?」


 とにかく辛味があるものを一気に使ったからだろうか、心なしか吸い込む空気も刺激的なそれになっているようにすら感じられる。

 一口分の辛味スープを小皿に取ってレウィシアへと差し出しながら、フィリカは少しの緊張を滲ませた顔で彼を見上げた。

 フィリカにとってはちょうどいい辛味だが、レウィシアにとってはどうだろうか。

 ゆくゆくはシュテルメアの――そしてレーシュティア領のレシピにしたい。その目的を考えると、自分以外の舌にも合う味付けにしたい。


 フィリカの目の前でレウィシアが小皿を受け取り、縁に唇をつける。

 彼の大きな手がゆっくりと小皿を傾け、中にあるスープを味わう。

 その一連の様子を静かに見守っている間、フィリカの心臓は普段よりも早く脈打っていた。


 ――レウィ様のお口にも合うといいのだけれど……。


 心の中で呟きながら、レウィシアの反応をじっと見つめる。

 彼には一度――ラエティアの町ではじめて出会ったときに料理を手渡している。だが、あのときは反応や感想を確認する前に傍を離れてしまったから、フィリカの料理が口に合うかどうかはわからないままだ。

 もし口に合わなかったらどうしよう。そのときはベルテロッティ邸で働いている使用人たちに頼んで、レウィシアの口に合う辛味スープを作ってもらうしかないだろうか。

 ぐっと胸元で強く手を握りしめるフィリカの視線の先で、レウィシアの唇がゆっくりと開いた。


「……美味い」


 静かな声が空気を震わせる。

 たった一言の短い感想。けれど、明確に心の内を物語っている言葉。

 レウィシアの唇から紡がれた一言がフィリカの鼓膜を震わせた瞬間、胸の奥で存在を主張していた靄が一気に晴れていくのを感じた。


「……本当ですか?」


 不安も憂いも消え去り、かわりに胸を満たすのはきらきらとした歓喜。

 胸の奥が暖かく熱を持っている。あんなに感じていた緊張もすっかり解れ、指先まで熱が通っている。

 レウィシアが緩く口角を上げ、目を輝かせながら聞き返すフィリカへ言葉を返す。


「ああ。正直、最初は辛いだけのスープかと思ったが……口にしてみるとわかる。辛味の中にも旨味がある。辛味も単調なものではなく、種類の異なるものが絡み合っていて実に美味だ。心地よい辛味……とでも言えばいいだろうか」

「……!」

「心なしか身体も温まるように感じられる。冬場は特に良さそうだ」


 一つ、また一つとレウィシアが褒め言葉を発するたび、フィリカの胸の奥で熱が弾ける。

 自然と口角が緩み、両頬にも熱が集まっていくのを感じる。

 先ほどまでとは異なる理由で心臓が早鐘を打っており、フィリカは胸の前で強く握っていた手から力を抜いた。


「……よかったです。レウィ様のお口に合ったようで」


 これまでも他者に料理を振る舞ったことはある。

 相手の口に合うかわからず、不安で緊張したこともある。

 だが、今回は己がよく知るそれよりも緊張し、不安になった。美味しいという一言を聞けば、普段よりもうんと強い嬉しさや喜びが胸を満たした。

 どうしよう。嬉しくて嬉しくて――仕方ない。


「これにヒメアマアジオウゴンクラゲを加えるのか?」

「はい。このスープでヒメアマアジオウゴンクラゲを煮込もうと考えています。上手く辛味が染み込んでくれたら、また異なる味になるのではないかと」


 そわそわした気持ちを飲み込み、作業を続ける。

 完成した辛味スープをヒメアマアジオウゴンクラゲが入っている鍋へ移し、今度はこちらを火にかける。

 しばらく辛味スープの中でヒメアマアジオウゴンクラゲを煮込み、ヒメアマアジオウゴンクラゲ全体がスープの赤に染まったタイミングでスープと一緒に取り出し、皿に盛り付けた。


 ぱっと見た印象では刺激的な香りを楽しめる、辛そうなスープに仕上がっているように見えるが――さて、味はどうなっているだろうか。

 なんせ、暴力的な甘みの固まりだ。少しの辛味ではバランスが取れない可能性もある。


「……これで完成か?」

「はい。これで……味が変化していればいいのですが……」


 言いながら深く深呼吸をし、心を落ち着ける。

 作ったのはフィリカだ。まずはフィリカが責任を持って食し、問題なく楽しめそうな味に仕上がっていたらレウィシアにも味見をしてもらおう。

 そう決めて、フィリカはまず一口、ヒメアマアジオウゴンクラゲに齧りついた。


「ん……ん、んん……!?」


 一口齧って、最初に感じたのは先ほども感じた辛味。

 追ってヒメアマアジオウゴンクラゲが持つ強烈な甘みが襲ってきて、かと思えばスープの辛味が甘みを塗りつぶそうとするかのように襲ってくる。

 舌の上に辛味と甘みが同時に存在し、どちらの味なのかすぐに脳が処理できず、頭が混乱する。

 想定していた甘辛さとは異なる味を前に、フィリカが思わず難しい顔をした。

 直後。


「ん……ん、うん!?」

「フィリカ?」


 何の前触れもなく保たれていた均衡が崩れ、ぐありと甘みが襲ってくる。

 辛味があるからか、喉を焼くほどの甘みではない。舌を焼くほどの強烈さもない。

 かわりに、辛味による刺激が存在しているのに強い甘みも存在しているという、脳が混乱しそうな状況に陥ってしまっている。

 一種の不快感にも近いが、一体何を摂取すればこれを誤魔化せるのか、まるで思いつかない。

 他の味が混在した結果、不快感が強まったという点では何もしていない素の状態のヒメアマアジオウゴンクラゲのほうが幾分かいいとすら思えてしまう。


「……失敗したのか?」


 何も言わないまま渋い顔をするフィリカの様子から、好ましくない結果が出たと判断したのだろう。

 怪訝そうな表情を見せつつも問いかけてきたレウィシアへ、フィリカは静かに首を縦に振った。

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