3-7

「構わない。己が治める領地に関係することだ、可能な範囲にはなるが俺も手伝おう」


 しかし、レウィシアから返ってきたのはそんな言葉だ。

 予想と異なる返事にフィリカの目が思わず丸くなる。

 本当にこちらに時間を使っていていいのか、レウィシアもレウィシアで調べなければならないことがあるのでは、公爵ともなるとそんなに暇ではないのでは――さまざまな思いがフィリカの胸の中で生まれ、けれど言葉にはならずに落ちていく。


「……では……もし、レウィ様にやらなくてはならないことができた場合は、そちらを優先してくださいね」


 一言だけ添えてから、フィリカは早速箱からヒメアマアジオウゴンクラゲを取り出した。

 ひとまず、崩れてしまわないよう気をつけながら二匹ほど箱から取り出し、ボウルに移す。

 その後、優しくボウルの中へ水を注いでかき混ぜ、付着していた海水や汚れを洗い流し、一度水だけを捨ててからまた新たに注いで同様の手段で洗い流す。

 それを数回ほど繰り返すと、今度は鍋に水を入れて火にかけ、湯の準備に取りかかった。


「茹でるのか」

「ロムレア領でも、魔獣の肉は一度茹でてから調理することが多いんです。そちらのほうが確実に火が通りますし、本格的な調理に移った際にアクが出にくくなるので……。ヒメアマアジオウゴンクラゲの場合、アクは出ないかと思いますが……」


 フィリカがヒメアマアジオウゴンクラゲをはじめて口にしたときは切り身で提供されていた。あれが刺身なのか加熱処理されているのか不明だが、海産物の中には生の状態で食べるには適さないものもある。海の魔獣も近いものとして考えたほうが安全であるはず。

 湯が沸いたタイミングでヒメアマアジオウゴンクラゲを鍋の中へ入れ、加熱する。

 十分に加熱したところで鍋から取り出し、冷水につけて急速に熱を取ってから包丁で触手を切り取り、傘の部分を包丁で薄くスライスした。

 さて、この状態だと味はどのようになっているだろう――考えながらスライスした一枚を口に運んだ。


「――!!」


 瞬間、舌に触れたのは強烈な甘み。

 最初に味わったのと変わらない、大きな砂糖の塊を食しているかのような――舌も喉も焼けるような強烈すぎる甘さ。

 ぞわりと鳥肌が立ち、反射的に吐き出そうとするのを手で覆って防ぐ。

 フィリカの一連の反応から味の想像ができたのだろう。すぐ隣でレウィシアが顔をしかめるのを感じた。


「……フィリカ、大丈夫か?」


 こちらを心配するレウィシアの声を聞きながら、口元を手で覆ったままゆっくり咀嚼する。

 染み出してくる甘さをなんとか飲み込み、ヒメアマアジオウゴンクラゲも飲み込んでから、フィリカは口元を覆っていた手をどかした。


「……大丈夫です……。あまりの甘さに身体が拒絶反応を示しそうになっただけで……」

「……おそらくそうだろうと思っていたが、やはりか……。ヒメアマアジオウゴンクラゲの甘さは、何も知らないときはなんとか食べることができても、二度目以降は身体が拒絶しそうになるからな……」


 レウィシアがため息混じりに呟く。

 これまで、ヒメアマアジオウゴンクラゲが食用として活用できなかった理由はここにもあるのだろう。繰り返し食すのが難しいというのは、食材としてあまりにも致命的だ。

 つまり、ヒメアマアジオウゴンクラゲを食用にするには、この問題も解決する必要がある。


「……茹でるくらいでは、この甘みは解決しないようですね」


 まあ、これぐらいで強烈な甘みが和らぐのなら、先人たちがとっくにヒメアマアジオウゴンクラゲの調理法を見つけていただろうから想定内といえば想定内だが。

 レウィシアもフィリカがスライスした一枚を口に含み、はっきりと眉間にシワを寄せている。


「やはり簡単には甘みが抜けてくれないか……」

「塩漬けや砂糖漬けにされているわけではなく、元からこの味なので……塩抜きや砂糖を洗い流すといった方法では甘みを薄めることはできなさそうですね」


 となると、この甘みをなんとかして活かすという方針になるのだが。

 舌が痺れて喉が焼けそうになるほどの強烈な甘み――これを活かせる料理なんて、すぐには思いつかない。

 腕組みをし、しばしの間、思考を巡らせる。

 時計の針が大きく聞こえそうなほどの静寂ののち、フィリカの唇がゆっくり動く。


「……レウィ様。辛味が強い食材やスパイスなどを使わせてもらっても?」


 ちらとレウィシアの顔を見上げ、問う。

 眉間に刻まれていたシワを消し、レウィシアもフィリカへ視線を向け、顎先を擦る。


「構わないが……辛味を加えるのか?」

「はい。料理の味付けで甘みと辛味が共存しているものがあるでしょう? 甘みと辛味のバランスを上手く取れたら、料理に使えるようになるのではと思って……」


 言いながら、フィリカが脳内に描くのはロムレア領で楽しまれている魔獣料理の一つだ。

 魔獣の肉を使って作られる、野菜と一緒に炒めて甘辛く味付けをした料理。東国の食材である米との相性が良く、腹をすかせた騎士たちの間でも非常に評判がいい。

 今回は肉ではなく海鮮類。それもクラゲだ。あの料理と全く同じとはいかないだろうが――味付け自体はヒントになるかもしれない。


「……なるほどな。構わない。屋敷にある食材は好きに使うといい。シェフやキッチンメイドたちにも伝えておこう」

「……! ありがとうございます、レウィ様!」


 ぱっと表情を明るくさせたのち、花が咲くように笑って、感謝の言葉を告げる。

 自由に食材を使ってもいい許可をもらえるのはありがたい。心置きなくヒメアマアジオウゴンクラゲの調理と研究ができる――とはいえ、使いすぎないように気をつけなくては。


「――……」


 フィリカが浮かべた笑顔を前に、レウィシアが大きく目を見開く。

 無言でフィリカの笑顔を見つめていたが、やがてぱっと素早い動きで目をそらす。

 わずかに顔をそむけたレウィシアの両頬はほんのりと朱に染まっていた。


「……我が領地の問題の解決に手を貸してもらっているんだ。これくらいのこと、当然だろう」


 顔をそむけた姿勢のまま、数秒ほどの空白を置いてからレウィシアが言う。

 常に余裕を見せていた姿とは異なる、どこか余裕がない姿。どこか幼い雰囲気も感じさせる様子はこれまで目にしてきたレウィシアの姿とは正反対で――なんだか少しだけ可愛らしい。

 フィリカが思わず肩を揺らして笑った瞬間、レウィシアが物言いたげなじとりとした視線をフィリカへ向けた。


「……なんだ、フィリカ。何か言いたいことがあれば言えばいい」

「いえ、なんでも。ただ……レウィ様の新たな一面を目にできたなと思っただけですので」


 くすくすと笑いながら答え、フィリカはパントリーから辛味を感じる食材や香辛料などを次々に取り出しては調理台の上に並べていく。

 なんでもないように答えたが、こぼれる笑みは隠しきれないまま。

 レウィシアは何か物言いたげな視線をフィリカへ送り続けていたが、やがて気を取り直すかのように咳払いをし、再度フィリカの手元に目を向ける。

 その様子もなんだか可愛らしく見えてしまい、フィリカの喉がくすくすと震えた。


 ――あんなに怖がられる噂をもっている人なのに。


 戦場では敵にも味方にも情を見せないだとか。

 暴竜の加護を受けているせいで、普段からも他者に対して冷たいだとか。

 人間や魔獣の返り血を浴びて笑っていたことがあるのだとか。

 暴竜公、あるいは好血公に関する噂は社交界で何度か耳にしたが――今、フィリカの傍にいるレウィシアは、そんな噂の中で囁かれている人間と同一人物だとは思えない。


「……やはり、噂など何一つ当てになりませんね」


 だって、今こうして己のすぐ傍にいるレウィシアはそのような人物ではないのだから。

 余裕のある大人の男性として振る舞っているときもあれば、こんなにも可愛らしいと感じさせる一面も見せてくれる人で――きっと、名家の令嬢子息の中で彼のこんな姿を知っているのは自分しかいない。

 そのように考えると、フィリカの胸の奥に温かな熱と少しの満足感、そして優越感に似た感情が灯った。


 ――叶うなら、この人をもっと知りたい。


 自分がこの人の下へやってきたのは、ロムレア領とブルーエルフィン家のためという理由。だから、相手へあまり踏み込まず、ビジネスパートナーのような空気の関係性になるだろうと心のどこかで思っていた。

 が、どうしてだろうか。今はレウィシア・ベルテロッティという人物のことが知りたい。

 どのような人物なのか知って、彼のさまざまな一面をこの目に焼きつけたい。

 だって、自分は彼の婚約者。将来を共にする相手なのだから。


「……この人のことを、たくさん知ろうとしてもいいでしょう?」


 誰にも聞こえぬほどの小さな声量で囁き、鍋の中へ先ほど茹でたヒメアマアジオウゴンクラゲを放り込む。

 ゆらゆらと胸の奥で揺らめく炎のような熱の存在を、フィリカ自身だけが知っていた。

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