3-3

 メルを含めたメイドたちも一度下がり、レウィシアと二人きりになった部屋の中はとても静かだ。

 静寂に満ちた空気の中は、人によっては息苦しさを感じそうだが、フィリカにとってはそれほど息苦しくない。


 他家の茶会に出席したときや夜会に出たときのような周囲から向けられる好奇や侮蔑、嫌悪の視線もなく、こちらについて小声で噂をする声も聞こえない。余計な視線も声もなく静寂に満ちているというのは、息苦しさを感じるどころか、心落ち着くものがある。

 ティーカップに注がれた紅茶に口をつけ、ほうっと安堵を含んだ息をつく。

 舌の上に広がる引き締まった渋みに深いコク、その中に混じる蜜を思わせる甘やかな香りがフィリカの気持ちを緩ませ、自然と口元に笑みが浮かんだ。


「どうやらフィリカの口に合ったようだな」


 レウィシアが呟き、自らもティーカップに口をつける。

 彼の声に反応して視線を上げれば、こちらを見つめて穏やかに口元を緩ませたレウィシアと目が合った。


「……とても美味しいです。これはレーシュティア領の茶葉でしょうか?」

「ああ。我がレーシュティアの地で作られている茶葉だ。季節によって少しずつ風味が変わるのが特徴的な茶葉でな、他国でも人気を集めている」

「自慢の茶葉ということですね。……ふふ、こんなに素敵な味わいの茶葉があったなんて」


 レウィシアに婚約を申し込まれ、レーシュティア領に足を運ばなければ知らないままでいたかもしれない。

 そんなことを思いながらもう一口紅茶を飲んだあと、フィリカはちらりとテーブルに並べられた薄黄色の半透明な切り身へ目を向けた。


「ところで……レウィ様。この切り身は一体……?」


 ティーセットの中にある切り身は、正直異様な雰囲気を放っている。

 スコーンやクッキーではなく、ビスケットでもなく、何かの切り身。一般的な茶菓子ではなく切り身がティーセットと一緒に並んでいるというのは違和感がある。

 声にはっきりと疑問をのせて問いかけたフィリカに対し、レウィシアは落ち着いた様子で答えた。


「茶会の品の中に並べるには違和感が大きいだろうと思ったが……正直、手元に茶がないと食べるのがつらいものでな。茶と一緒に用意させた」

「……お茶が手元にないと、食べるのがつらいもの……?」


 紅茶が手元にないとつらい――ということは、おそらく紅茶に合う味なのだろうが、いくら考えても答えに辿り着けそうにない。

 切り身を無言で見つめて思考を巡らせるフィリカ。

 そんなフィリカを眺めながら、レウィシアは答えを口にした。


「我々を悩ませている魔獣。その切り身は、そいつだ」


 は、と。

 フィリカの唇から短く息が吐き出され、切り身へ向けられていた視線をレウィシアへ向ける。

 今、フィリカとレウィシアを悩ませている魔獣だなんて――そんなの、一匹しかいない。


「まさか……ヒメアマアジオウゴンクラゲの……?」


 まさかという思いと、それしかいないという確信。

 二種類の感情に挟まれながらも問いかければ、レウィシアの首が静かに縦に動いた。


「そのとおりだ」

「……本当にヒメアマアジオウゴンクラゲとは……」


 答えが一つしか思い当たらなかったため、フィリカの中でもきっとそうなのだろうという結論が出ていた。

 しかし、茶会の場に出てくるとは思っていなかったため、どうしても衝撃を受けてしまう。

 用意されたヒメアマアジオウゴンクラゲの切り身へ改めて視線を向け、フィリカは言葉を続ける。


「ティータイムの場に用意されるとは思っておりませんでしたので……正直に申し上げますと、かなり驚きました」

「だろうな。普通、こういった場にはスコーンやクッキーといった茶菓子が用意されるものだから」


 肯定したレウィシアへ頷き返し、視線を改めて彼へ向ける。


「しかし……どうしてヒメアマアジオウゴンクラゲの切り身を? ヒメアマアジオウゴンクラゲは活用法がない……と聞いておりましたが……」


 切り身として提供できるのなら、すでに活用法が確立しているのではないだろうか。

 心に浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、レウィシアの唇から深いため息がこぼれる。


「この状態を見れば、そのように感じてしまうだろうが……一口でいい、口にしてみれば加工はできるのに活用法がないとされている理由が理解できるだろう」

「はあ……? では……一切れいただきます」


 首を傾げつつもフォークを手に取り、ヒメアマアジオウゴンクラゲの切り身へ切っ先を突き立てる。

 見た目は美しいそれを口に運んだ次の瞬間、フィリカの全身に電流が走ったかのような衝撃が走った。

 光の当たり加減によっては黄金色にも見える薄黄色の切り身は、匂いがほとんどない。噛みしめると一般的なクラゲと同様に、コリコリとした食感を楽しむことができた。だが、口に含んだ瞬間に感じる味は異様そのものだ。


 甘いのだ。それも一般的な甘さではなく、びりびりと舌が痺れそうなほどの暴力的な甘さ。口に入れるだけでも十分甘いのに、噛みしめるたびにそれが口の中で広がり、喉がいがらっぽくなって軽い痛みを訴えてくる。

 なんとか切り身を咀嚼して飲み込み、急いで紅茶を飲むも、甘すぎることによって喉に生じた違和感を完全に洗い流すのは難しかった。

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