第三話
3-1
……世界を食べたいとは、一体どういうことだろう。
自身の婚約者と顔を合わせてからというもの、フィリカの頭の中ではレウィシアが発した言葉がぐるぐると巡り続けていた。
フィリカが傍にいることで、達成できる目的。
世界を食べる。
世界を食べるというのは――はたして、どういうことなのだろう。
「……ううん。考えても、いまいちよくわからないわね」
窓の向こう側に広がる海を眺めながら、フィリカは小さくため息をついた。
顔合わせから日を重ねてシュテルメアの魔獣討伐のためにレーシュティア領へ――もとい、レウィシアの屋敷へ滞在することになったフィリカへ、彼が与えてくれた部屋はとても綺麗な一室だ。
室内は上品な雰囲気がある家具や調度品で飾られ、ただの客室にしてはずいぶんと豪華にまとめられている。レースカーテンで飾られた窓の向こう側には広大な海が広がっており、馴染みのあるロムレア領とは異なる景色を楽しめるようになっていた。
だが、青く広がる海の中で、今日もヒメアマアジオウゴンクラゲたちがシュテルメアに暮らす人々の生活を脅かしているのだと思うと、素直に景色を楽しめない。
深くため息をこぼしたのち、フィリカはテーブルへ目を向けた。
「……ひとまず、ヒメアマアジオウゴンクラゲをどうにかするための第一歩として、ヒメアマアジオウゴンクラゲについて少しでも知るところからスタートしないと……」
緩やかな足取りでテーブルへ近づき、置かれている書類を手に取る。
書類に記されているのは、レーシュティア領で確認されている魔獣についての報告書――その中でも、ヒメアマアジオウゴンクラゲについて記されたものだ。
レウィシアが特別に用意してくれたらしいもので、文章だけでなく写真も添えられており、ヒメアマアジオウゴンクラゲがどのような魔獣なのか、わかりやすくまとめられている。
「……ヒメアマアジオウゴンクラゲ……水棲魔獣の一種で、危険性は低い……」
書類に記されている文字へ視線を向けながら小さな声で読み上げ、頭に叩き込んでいく。
ヒメアマアジオウゴンクラゲ。レースティア領の海域で確認されている水棲魔獣。
危険性は低。通常のクラゲとほとんど変わらず、戦闘力もほとんど持たない。ただし、大量発生する周期があり、大量発生した場合は数に応じて危険性が中から高に変化する。
名にあるように、姿形もクラゲに近い。人の手の平よりも少し小さく、体表は薄い黄色。しかし、光を受けると黄金のように輝く。
体表は粘液で覆われており、海洋生物に対して高い致死性を発揮する毒をもつ有毒魔獣。だが、この毒は不思議なことに人間に対しては致死性が低く、仮に刺されても命に関わる心配はない。
しかし、海洋生物に対しては高い効果を発揮するため、ヒメアマアジオウゴンクラゲと一緒にかかった海産物は口にせず、売り物にもするべきではない。大量発生した数によっては、魚をはじめとした海産物の漁獲量に大きな影響を与える。
実際に、遠い昔ではヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生が原因で魚が満足に獲れなくなり、飢饉がやってきた年もある――。
記されている情報を一つずつ丁寧に頭へ刻み込みながら、フィリカは口元を指先で擦った。
――基本的な情報は町の中で耳にしたのと変わらなさそう。
耳の奥でよみがえるのは、実際に自分自身の目でシュテルメアの町を見て回った際に聞いた嘆きや憂いの声たちだ。
一匹一匹はそれほど強くなくても大量に発生すると、海の生き物たちに影響を与え、それを恵みとする人間たちにも大きな打撃を与える――さて、こんな厄介な魔獣の脅威から人々を守るためにはどうするべきか。
「……ぱっと思いつくのは大規模な討伐作戦だけど……討伐後、ヒメアマアジオウゴンクラゲの死骸をどうするかっていう問題が出てくる……」
かつてのロムレア領でもそうであったように。
書類に記された文字列のうち、飢饉の原因になった年もあることを示している一文を指先で撫でる。
飢饉が引き起こされるほどに大量発生した時期があるのなら、そのときも現在のような状況に陥っていたはずだ。
そのときは一体どんな対策をしたのか知れれば、ヒントにできるのではないか――。
「あの……お嬢様」
「!」
書類を見つめたまま、思考の海に沈んでいた意識が引き戻される。
ぱっと顔をあげて声が聞こえた方向へ目を向ければ、ともにレウィシアの屋敷に滞在しているメルが扉をわずかに開けてこちらを見ていた。
「メル。どうしたの? 何かあった?」
「その……ベルテロッティ閣下がいらっしゃっております。お嬢様にご用事があるらしく……」
直後。
フィリカは弾かれたかのように手元の書類をテーブルに置いて一つにまとめておき、隣接している部屋に続く扉を開けて鏡台の前に走った。身にまとっているドレスがおかしなデザインではないこと、きちんと身だしなみが整えられていること、さまざまな点を手早く確認してから再び客室へ戻る。
婚約者となった相手の前に立つのだ。きちんとした身なりで迎えたいという思いは、フィリカの中にもあるのだった。
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