2-8

 戦場とは異なる、けれど戦場に立っているかのように錯覚させる空気。

 否、ここも一種の戦場なのだろう。言葉を剣として握り、真正面から向き合って互いに納得できるまで――あるいは相手を納得させるまで言葉を交わす、貴族たちの戦場。

 浅く息を吐き出し、頭の中を一度リセットしてから、フィリカは答えるために口を開く。


「……シュテルメアの町が受けている魔獣被害――ヒメアマアジオウゴンクラゲによる被害は深刻なものだと感じました。今はまだ明るい雰囲気も残っていますが、町全体や人々の間で憂いが広がっているように思います。完全にこの町が憂いに飲み込まれるのも時間の問題かと」


 実際に自分自身の目で確認した様子を再度思い出す。

 網にかかっていたヒメアマアジオウゴンクラゲの量は本当に多かった。網の中に入ったり絡んだりしている生物のほとんどがそれで、魚はほんの少しだけ。それも死んでいたり死にかけたりして鮮度が落ち、高値で売れなくなった魚ばかりで、生きた魚の姿はほとんど見当たらなかった。


 ヒメアマアジオウゴンクラゲは活用する方法がなく、捨てるしかない。

 網に残った魚を売っても高値にならないから、ほんの少しの金にしか変わらない。

 こんな状況がいつまでも続けば漁師たちの生活が苦しくなる一方だ。穫れる魚の量が減ったままでは市場に十分な量の魚が出ず、いつかは驚くほどの高値がつき、シュテルメアの住人たちの生活にも影響が出る可能性が高い。

 幸い、シュテルメアは貿易港を抱える町。他国からの輸入品が多く入ってくる町でもあるため、すぐに飢餓へ繋がらず、ある程度の期間は持ちこたえるのも可能だろうが――。


「早急にヒメアマアジオウゴンクラゲの数を減らし、安心して漁を行える状態に戻すべきだと考えます。すぐにでも討伐を開始するべきでしょう」

「なるほど。俺も同意見だ。さすが、同じく魔獣による被害を受けている地を守護する家に生まれた者だ」


 レウィシアが深く口角をあげる。

 だが、それも一瞬のこと。すぐに笑みが消え、深刻そうな――真面目な表情へと切り替わる。


「ヒメアマアジオウゴンクラゲは、単体ではそれほど恐れる魔獣ではない。だが、大量発生すると一気に脅威になる魔獣だ。これまでも何度か対処してきたが、今年の数は何かがおかしい。明らかに異常だ。とにかく少しでも数を減らさねばならない」

「……しかし、ヒメアマアジオウゴンクラゲの活用法は発見されていない……と」


 フィリカが確認するかのように、小さな声で呟く。

 レウィシアから返ってくるのは肯定だ。


「ああ、そのとおりだ。現状、奴らを上手く活用する方法は見つかっていない。素材として使える部位もなく、味も調理が難しいものだ。故に、ヒメアマアジオウゴンクラゲはこれまで捨てるしかないものとして扱われてきた」


 そこまで言葉を発したところで、レウィシアの言葉が一度途切れた。

 薄灰の目が動き、真っ直ぐにフィリカの姿を捉える。

 深刻そうな空気が一変し、レウィシアを取り巻く空気には先ほどまでの余裕が少しずつ戻ってきていた。


「――そんな状況で頭を抱え、なんとかヒントを得られないかと他国を見て回っていたとき。出会ったのがフィリカ。お前だ」


 真っ直ぐに目を見つめて、名前も添えて告げられた言葉がフィリカの胸へ広がる。


「陸の魔獣と他国からの侵略に耐え続けているロムレア領の狂竜姫。お前は大量に襲いくるオオイワイノシシにも怯まず立ち向かい、その肉を調理するという手段で活用してみせた。俺を悩ませ続けているヒメアマアジオウゴンクラゲの問題も、お前が傍にいれば乗り越えられるだろうと確信した」


 ああ、だからこの人は婚約を申し込んできたのか。

 どうしてフィリカを婚姻相手に選び、求婚状を送ってきたのか――その理由がわからず、ずっと考えていたが。


「……接点がないはずなのに、どうしてわたしに求婚状をと思っておりましたが……」

「ラエティアで出会ったとき、自分の隣に並べるならフィリカしかいないと思ったんだ。そして、実際にシュテルメアの中で調査をしているお前の姿を見て、己の選択は間違っていなかったと確信した」


 そういって、レウィシアが手にしていたティーカップをソーサーの上に置いた。

 そのまま、その手をフィリカへ伸ばす。


「……それに、フィリカ。お前が傍にいれば、俺の目的を達成できるかもしれない」

「レウィ様の目的……?」

「ああ。だから、どうか力を貸してほしい。ヒメアマアジオウゴンクラゲの対策と駆除、それから俺の目的を達成するために手を貸してくれ」


 はて、目的とはなんだろうか。

 フィリカが傍にいることで達成できるかもしれない目的――ブルーエルフィン辺境伯家の力の他にあるフィリカの価値といえば、狂竜の加護者であることだ。

 狂竜の加護者が傍にいると達成できるかもしれない目的とは一体何だ?

 内心で疑問に思いつつも、一度それを飲み込み、フィリカも笑みを返した。

 伸ばされたレウィシアの手に自分の手を重ね、そっと握る。


「……ええ、もちろん。一生を添い遂げる約束をしたお方の助けになるのなら。シュテルメアの町に暮らす方々を助けることができるのなら。この狂竜姫、いくらでもお力をお貸ししましょう」

「……ああ。これからよろしく頼む」


 レウィシアの目が一瞬だけ見開かれ、煌めいて、すぐにまた余裕を感じさせる笑みを浮かべる。

 彼からも手を強く握り返されたあと、するりと手を離される。

 繋がれていたぬくもりが離れ、ほんの少しの薄寂しさがフィリカの中を駆け抜けていった。


「しかし……わたしが傍にいることで達成できるレウィ様の目的とは、一体何でしょう。わたしにある価値といえば、ブルーエルフィン辺境伯家の娘であることと狂竜の加護を受けていることしか思い当たりませんが……」

「何を言う。お前は魔獣の有効活用法を知っている。魔獣を調理するという形で、領地や領民の力になることができる。他にも俺が知らないだけで、お前の価値はたくさんあるんだろう」


 真っ直ぐに告げられた言葉からは嘘が感じられない。

 嘘など一つもなく、本心で告げているのだろうと伝わってきて、思わず口元が緩みそうになる。

 小さく咳払いをして緩みそうになるのを抑えていれば、レウィシアがかすかに肩を揺らして笑った。


「先も言ったが、俺の目的はお前がいないと達成できない」


 考えるフィリカの視線の先で、にぃ、と。

 レウィシアが好戦的に唇の両端を持ち上げた。


「フィリカ。俺は世界を食べたいと思っているんだ」

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