2-5
行き交う漁師や関係者らしき人物とぶつからないよう気をつけながら、波止場を歩く。
声をかけた漁師たちが教えてくれた中規模の船に近づけば近づくほど、すれ違う人々の人数は増え、鼓膜を震わせる話し声も増えていく。
歩けば歩くほど賑やかになっていく波止場を突き進んでいきながらも、周囲の声に耳を傾けてみれば、つい先ほど耳にした話と似たような内容の言葉がちらほらと聞こえてきた。
――ヒメアマアジオウゴンクラゲは本当に多くの被害を出してるのね。
自然と己の眉間にシワが寄るのを感じる。
先に聞いた漁師たちの話によれば、今回起きているヒメアマアジオウゴンクラゲの大量発生は異常事態と表現してもよさそうなものだ。中規模の船だけでなく、小型船も大型船も、レーシュティア領の海で漁をする船は皆等しく被害を受けているのだろう。
はたして、具体的な被害はどれくらいになっているのか――被害が大きそうだと予想はできているが、フィリカが想像しているものよりもずっとずっと深刻なのではないか。
生まれてはじめて魔獣の被害を受けた町を視察しに行った日の記憶が、その日に味わった無力感や焦燥感とともに蘇り、ぎりと思わず歯噛みをした。
シュテルメアの町――さらにはレーシュティア領にこれまで無関係だったフィリカでもこんな気持ちになるのだ。フィリカよりもずっと長く、この地で生きてきた者たちやこの地を治めてきたレウィシアはどれほどの苦い思いを噛みしめていることか。
ふ、と。思わず深く重いため息がフィリカの肺からこぼれ落ちた。
「ああくそ、本当に今年はどうなってやがるんだ……」
ちょうどその瞬間。
これまで耳にしてきたどの言葉よりも色濃い憂いに満ちた声が聞こえ、フィリカの視線は自然とそちらへ向いた。
「網の種類を変えてもこんなにクラゲがかかるなんて、これまで経験したことなかったぞ。あー、この魚も駄目になってやがる。売り物にならないな」
「ヒメアマアジオウゴンクラゲがかかりにくい網に変えてもほとんど効果がないなんて……シュテルメアの海は今、どうなってるんだ……?」
フィリカが向かっている方角に、目的地である中型船が停泊している。そのすぐ傍で、船の乗組員と船長らしき人物が波止場の地に置いた何かを見ながら話をしているのが見える。一体何を見ながら話しているのか――目をこらして観察する。
波止場の地は濡れている。ということは、水気を帯びた何かだ。
ある程度の大きさがある何らかの塊であるようにも見える。じっくりと観察すれば、塊状になっている何かの中には、さらに別の物体が絡んでいるようにも見えた。
船の傍。港。そして、先ほど聞こえた憂いに満ちた会話の内容。
乗組員と船長らしき人物、二人が一体何を見つめながら言葉を交わしているのか、その答えは簡単に思い浮かんだ。
網だ。
あれは、船から引き上げられた網だ。
あれが網なら、内部で絡んでいるものは――きっと。
急速にフィリカの中でパズルのピースがはまっていくかのように、情報が組み合わさって一つの答えになる。
心臓が一度だけ大きく脈打ち、前に進んでいたはずのフィリカの足は自然とそちらへと向いた。
「突然申し訳ありません。そちらにあるのは……海で獲れたものですか?」
漁師たちに声をかけたときのように。
けれど、今度は声に落ち着きを織り交ぜて、相手を無駄に驚かせてしまわないように。
気をつけながら二人組へ声をかければ、網に向けられていた二人分の視線がフィリカと後ろをついてきたメルへ向けられた。
「あ、ああ……。そうだけど、君たちは……?」
フィリカへそう返事をしたのは、乗組員らしき人物だ。まだ若く、船長らしき人物とどこか顔立ちが似ている。兄弟か――否、兄弟にしては船長らしき人物のほうが歳を重ねているように見える。おそらく親子だろう。
不思議そうに、目の奥にほんのわずかな警戒の色も交えながら問いかけてきた乗組員へ、フィリカは柔らかな笑顔を見せて言う。
「いきなりすみません。わたしは訳あってロムレアの地からこの地へ参った者です。少しの間、シュテルメアの町に滞在することになったのですが、なんだか町全体の雰囲気が落ち込んでいるように感じて……何かあったのか聞いてみて回ってるんです」
「ああ……なるほど。他所から来た人だったんだ。だから見ない顔だなって思ったのか……」
自分の素性、何の目的で声をかけたのか。そういったことを素直に明かせば、乗組員の目に宿っていた警戒の色はいくらか遠のいた。
ちらりと船長らしき人物の様子も確認してみれば、同様に警戒や不信感をいくらか和らがせている。かわりに、観光せずに物好きだなと言いたげな目を向けられているが、警戒されて何の話も聞けずに終わるよりはずっといい。
笑顔で二人へ向けて頷いたのち、フィリカは彼らの足元へちらりと視線を向ける。
「それで……先ほど、こちらにあるのは海で獲れたものとおっしゃっておりましたが……」
声をかけずに眺めていた頃から思っていたが、波止場の床に置かれている物体はやはり網だった。広げるとかなりの大きさがあるだろうそれは今、雑に一つにまとめられ、塊と化している。内部には魚と一緒に大量のクラゲがかかっており、魚はほとんどが濁った目を――すでに事切れた生き物の目をしていた。
すぐ近くで見る被害の様子に思わず顔をしかめそうになるが、慌てて表情を繕う。
「ああ。でも、これにかかってるのは売り物にならないんだ。ほら、獲れた魚がほとんど死んだ目をしてるだろ。こういうのは鮮度が落ちるし、適正の価格で売れない。こういうのは売り物にせず、俺たち漁師が個人的に消費する分にしてるんだ」
「ですが……ぱっと見た範囲では、ほとんどの魚がそうなってるように見えるんですが……」
丁寧に教えてくれた乗組員の青年へそう返せば、彼は困ったように表情を曇らせた。
笑みを浮かべようとしつつ、それでも溢れてくる苦い感情を殺しきれずに噛みしめる彼のかわりに答えたのは、船長らしき人物――おそらく乗組員の青年の父と思われる男性だ。
「嬢ちゃんの指摘どおり、この網にかかった奴らは駄目だ。かろうじて生きてるのもいるが、これも毒にやられてる可能性があるから売り物にはできねぇ。これも全部こいつらのせいだ」
苛立ちを含んだ声でそういうと、船長は塊と化している網を手に取り、軽く波止場に広げた。
赤褐色をした頑丈そうな網の中で、魚たちと一緒にかかっている無数のクラゲ。人間の手の平よりも少し小さいそのクラゲたちは皆、薄い黄色をしており、降り注ぐ太陽の光を受けてきらきら輝いている。
その様子は、小粒の黄金が輝いているようにも見え、このクラゲたち――もとい、魔獣たちに与えられた名の由来が確かに見えた。
ヒメアマアジオウゴンクラゲ。
シュテルメアの海で大量発生し、漁師たちはもちろん、町全体を憂いさせる魔獣たちが、今フィリカの眼前にいるクラゲたちだ。
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