2-3

 本当に賑やかな港だ。少し歩くだけでもさまざまな人々の話し声が聞こえ、誰の声も聞こえない場所がなさそうだ。

 併設されている市場を覗けば、あの海でとれたと思われる海産物や輸入された商品など、さまざまなものがフィリカの目を楽しませた。


「……これが観光だったら、もっとゆっくり見て回ろうって気持ちになれるんだけど……」


 残念ながら、今のフィリカの目的は観光ではない。シュテルメア全体を憂いさせる『何か』の正体を掴むことだ。

 観光を楽しもうにもその目的がある以上、心から楽しむのは難しい。

 またいつか、観光は時間があるときの楽しみとして取っておこう――そう考え、自分を納得させようとした、そのときだった。


「今回の漁はどうだった?」

「いや……今回もいまいちだ。例年よりも明らかにとれる魚の量が減ってる」

「そっちも駄目だったか。リトマンの船もいまいちだったらしい。もうずっとこの状況が続いてるな……」


 大きな箱を抱えた漁師らしき服装をした男たちとすれ違った瞬間、聞こえた会話に思わず足が止まった。

 はっとして振り返り、先ほどすれ違ったばかりの漁師たちを見る。

 すれ違ってからそれほど時間が経っていない。彼らの話し声は周囲の音に紛れずに聞き取れた。


「長年漁師をやってきたが、こんな事態になるのははじめてだな。ちょっと数が増えるくらいなら、これまでも何度かあったんだが……」

「奴らの数が多いせいで、網が膨れちまって魚が逃げちまうから困ったもんだ。なんでこんな急に数が増えたんだか。領主様がしてくださった調査によれば、水温は特に変わってなさそうだったんだっけか?」

「確かそうおっしゃってたはずだぞ。領主様も力を尽くしてくださってはいるんだが、いかんせん数が多すぎるからなぁ……。嫁と子供に食わせていけなくなりそうで、家族みんなで戦々恐々しとるわ」


 漁獲量が減っている。

 領主が行った調査。

 水温に変化はない。

 奴らの数が多すぎる――。


 聞き取れた一つ一つの情報を頭の中で復唱するたび、フィリカの心臓が大きく脈打つ。

 止まっていた両足が自然と動き、どんどん離れていく漁師たちの背中を追いかけ、そのうちの一人――背が高く体格もいい漁師のマリンレリーパーカーの裾を掴み、大きく息を吸い込んだ。


「あ、あの! お忙しいところ申し訳ありません、少しお時間よろしいですか!」


 フィリカの声に反応し、体格のいい漁師が足を止めてこちらを振り返った。

 彼とともに歩いていた他の漁師も同様に足を止め、突然声をかけてきたフィリカへ一瞬だけ驚いた目を向け、即座によそ者を見る――少しの不審感が混じった目を向けてくる。

 警戒を隠しもしない複数の目を真っ直ぐに見据え、フィリカはマリンレリーパーカーを離し、その手を自身の胸に当ててお辞儀をした。


「突然呼び止めてしまって申し訳ありません。わたしはロムレアの地からこの地へ参った者です。先ほど、漁師様方がおっしゃっていたお話について詳しくお聞きしたいのですが……」


 フィリカが己の素性を簡単に明かした途端、漁師たちの目に再度驚愕の色が宿った。

 数分前まで向けてきていた不審がる目はどこへやら、今度は興味深そうにフィリカと数歩後ろで控えているメルを眺めてくる。

 観察するような視線にメルがわずかに顔をしかめた気配がしたが、フィリカは片手で即座に彼女を制し、穏やかに笑んでみせた。


「はー……見ない顔だと思ったら、そんな遠くから来たのか。わざわざそんな遠方からやってくるなんて、珍しいお嬢さんだなぁ」

「しかも、それで俺らの話に興味をもつなんてなぁ。普通、年頃の娘さんはもっと違うことに興味をもつもんじゃないのか? 俺らみたいなおっさんの話なんざ、聞いてもつまらんよ」

「少々事情がありまして……。他のお話よりも漁師様方のお話のほうが、わたしにとっては価値があるんです。どうかお聞かせ願えませんか?」


 先ほどよりもほんの少しだけ言葉を強め、改めて話を聞かせてくれないか頼み込む。

 フィリカの様子に漁師たちは顔を見合わせていたが、やがて小さく頷き合い、ゆっくりとその口を開いた。


「少し意外だが……まあ、お嬢さんがこれだけ言ってるんだからいいか」

「本当に若い子にはつまらん話だぞ。俺らは昔っからシュテルメアで漁師をやっとるんだが、ここ最近は漁獲量が減って困っとるって話をしてただけだから」

「漁獲量が……? それは、どうして?」


 漁師の一人が口にした言葉を復唱し、フィリカはわずかに首を傾げた。

 ほのかな疑問を宿した声色で呟いたフィリカへ、体格のいい漁師が言葉を重ねる。


「どうしてって、そりゃあヒメアマアジオウゴンクラゲのせいだな」

「!」


 瞬間。は、と。

 フィリカは大きく目を見開いた。

 ヒメアマアジオウゴンクラゲ――体格のいい漁師が口にした名前には、フィリカも覚えがある。

 だってそれは、過去に読んだ文献の中に記されていた魔獣の名前だ。


「ヒメアマアジオウゴンクラゲは海の魔獣の一匹でな、昔っからこの辺りじゃたびたび見かけるんだよ。魔獣っつっても強くなくて、俺たち漁師でも簡単に対処できるぐらいなんだが……ここ最近は大量に発生しててなぁ」

「ちょっと数が増えるぐらいだったら、昔からたびたびあったんだが。今はこれまで例がないぐらい増えてんだ。そのせいで魚を獲ろうにも網が膨れて逃げちまうし、獲れても奴らの粘液のせいで魚のエラが塞がれて死んじまうから鮮度が格段に落ちる。死んだ状態で獲れた魚は高値がつかないし……」

「なんでこんなに増えたのか、領主様も調査してくれてんだがわからずじまいなんよ。これまでだったら、水温に変化があったからとか、ちゃんとした理由が調査で明らかになったりしてたんだがなぁ」


 ずっと抱えていた不満を吐き出すかのように、漁師たちの口からどんどん言葉が発される。

 それへ静かに耳を傾けるフィリカの心臓は、彼らが話を一つするたびにどくどくと早鐘を打っていた。


 正体が掴めない、町全体を覆う憂い。

 大量発生しているらしいヒメアマアジオウゴンクラゲ。

 きっとシュテルメアを覆う憂いには何らかの理由があると思っていたが――この町は今、現在進行系で魔獣による被害を受けているのだ。

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