2-2
馬車を降り、自分自身の足でシュテルメアの町に立つ。
窓ガラス越しではなく、己の目で見る町は全体的に可愛らしい雰囲気の町に見えた。
赤煉瓦が特徴的な町並みは間近で目にすると、まるでおとぎ話に登場する町のようだ。通りに並んだ店舗はどれも綺麗で、ショーケースを設置して自慢の商品を眺められるようにしている店も多い。商店通りになっているのだろう、この通りを少し歩くだけでもかなり楽しめるだろう。
感じる空気には、港町というだけあって潮の香りが混ざっている。それに混じって食べ歩きができる出店から漂う香ばしい香りがフィリカの空腹をかすかに刺激した。
歩きながらざっと周囲を見渡すだけでも、大勢の人々が行き交っていてかなり賑わっている。
けれど、肌に触れる空気の中にはやはり憂いが隠されているようにも感じられ――馬車からシュテルメアの町並みを眺めていたとき、感じた違和感が気のせいではないことを物語っていた。
――やっぱり、この町には何かがある。
感じていた予感を確信に変え、フィリカは一人、目を細めて険しい顔をする。
魔獣による被害を受けている町に立ったときと同じような感覚――なのに、肝心の魔獣の姿や気配はどこにも感じられない。
平和に見えるのに身体の感覚は魔獣が潜んでいると訴えかけてきていて、その噛み合わなさが落ち着かなくて気味が悪い。
「……本当に何なのかしら、この町は」
心の内でくすぶっている思いが口からこぼれ落ちる。
口に出してしまうと、感じている違和感がより強く感じられるようになった気がして、また眉間にシワが寄った。
「私は特に何も感じませんが……お嬢様は何か感じるのですか?」
「……ぱっと見た印象では、ラエティアみたいに活気に満ちているように見えるのに……その裏に、魔獣被害を受けている町と似た空気も感じるの。でも、魔獣の気配も被害の痕跡も見えないから、なんだか落ち着かなくて……」
己が感じている違和感を小声で口にした途端、不思議そうな様子だったメルの表情がこわばった。
彼女もまた、ロムレア領で生まれ育った民。魔獣がもたらす被害がいかに大きく、侵攻してくる魔獣がいかに恐ろしいものであるか――己の身をもって感じている。被害に遭う側という点では、討伐する側に立っているフィリカよりもその恐ろしさを知っているだろう。
フィリカとメル、二人の間だけに緊張感を含んだ空気が滲む。
「……魔獣の被害を受けているのだとしたら、どんな魔獣なのでしょうか」
こわばった声色で呟いたメルへ、フィリカは言葉を返す。
今度はわずかな焦燥を顔に滲ませて、考え込むかのように口元へ軽く手を当てた。
「わからない。でも、わたしが知らない魔獣の可能性が高いと思うの。ここはロムレアではないし……」
言葉を紡ぎながら、フィリカは静かに思考を巡らせる。
この状況をベルテロッティ公爵は知っているのだろうか。
彼はフィリカと同じく竜の加護を得た者。それも、争いに特化している『暴竜』から加護を与えられた者。暴竜の加護者が見る世界がどのようなものか不明だが、狂竜の加護者と似たような世界を見ているのだとしたら、この違和感に気づいていないはずがない。
もし仮にそうでなくても、自身が屋敷を置いている町の異変だ。日々、シュテルメアの町の様子を見ていたら気づきそうだが、まさか気づいていないのか――。
……いや、やっぱり気づいていないってことはない、はず。
自分自身の思考を即座に否定し、フィリカはくしゃりと顔をしかめた。
何かあれば、報告書やその他の手段で領主へ領民たちからの訴えがいくはずだ。よほど悪徳な領主でもない限り、領主の耳に領民たちの声が全く届かないという事態に陥る可能性は低いはず。
何より、きちんと魔獣への対策がされている。シュテルメアの様子も荒れ果てず、町で暮らしている人々の目も憂いを抱えてはいるが荒んではいない。領主へ領民の声が届いていない場合、もっと町も人々の様子もひどい状態になっていそうだから、そういう点から見ても可能性は低いはず。
「……港のほうも見に行ってみましょう。貿易船の出入りも盛んなら、海側からも魔獣が来るということだと思うから」
「あっ、お、お待ちください! お嬢様!」
メルへ手短に行き先を告げてから案内板を確認し、足早に港へと向かう。
後ろからメルが慌てたように駆け寄ってくるのを感じながら――ときには町の住民へ声をかけて道を尋ねながら――港へ続く道をどんどん進んでいく。
前へ進むにつれて、感じる潮の香りも強まっていき――やがて、大きな港の景色がフィリカの目の前に現れた。
「わぁ……!」
先ほどまで感じていた疑念や不安が遠のき、驚きや感動など、さまざまな感情が胸の奥でぱちぱち弾ける。
シュテルメアにやってくる道中で目にしたものよりも広く、青々とした海が広がっている。頭上に広がる青空とは異なる深青は、降り注ぐ太陽の光を受けてきらきらと輝いており、まるで一種の宝石のようだ。
その上を滑るように移動する船の数も道中で目にしたものよりも多く、中には他国の紋章が描かれた旗を掲げている商船らしき船もある。本当にこの町の港は貿易港としての役割も果たしているのだと実感できる景色だ。
だが、町の中と同様に港もどこか憂いを含んだ空気に満ちている。シュテルメアの町全体を憂いで満たす『何か』が港にも存在しているのは明らかだった。
「ここまで広い港とは……本当にすごいですね……」
「ね。わたしも、ここまで広い海を見たのははじめて。シュテルメアの港って本当にすごいのね……」
すぐ傍で聞こえたメルの呟きに返事をしつつ、フィリカは止まっていた足を前へ動かした。
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