1-7

「……なるほど。彼女が噂のブルーエルフィン辺境伯令嬢だったか」


 小さなフィリカの背中が遠ざかっていく様子を見つめたまま、白髪の剣士が呟いた。

 静かな声での呟きは傍にいる赤髪の剣士にしか聞き取れないほど小さく、二人から離れてしまえば聞き取るのは難しくなる。

 周囲を満たす賑わいに簡単に溶けて聞こえなくなってしまうほどの声量のまま、白髪と赤髪、二人の剣士は言葉を交わす。二人だけにしか聞こえない、一種の内緒話を。


「事前に耳にしていたとおり勇ましいご息女でしたね。他家の方々は皆、口を揃えてブルーエルフィン辺境伯令嬢は淑女教育が行き届いていない野蛮な落ちこぼれだと評しておりましたが……」


 赤髪の剣士はそこで一度言葉を切り、横目で白髪の剣士へ目を向けた。

 白髪の剣士の目は、いまだにフィリカが立ち去った方角へ向けられている。彼女の小さな背中はすでに見えなくなり、笑い合いながら言葉を交わす人々の中に紛れてしまっている。

 だが、彼の薄灰色の目は正確にフィリカの姿を捉えており、彼の視線を辿れば、多くの騎士や領民たちに囲まれて笑顔を見せている姿を簡単に見つけられた。

 執着じみた視線に少しばかり苦笑を浮かべつつも、赤髪の剣士は白髪の剣士の言葉を待つ。


「……実際に話してみたが、野蛮でガサツという雰囲気は感じられなかった。貴族令嬢にはあまり似合わない勇ましさは確かに感じたが、勇ましさの中に上品さもある。淑女教育もきちんと受けている印象がある。むしろ、きちんとした教育を受けていないのは噂をしていた連中のほうだったのではないかと考えてしまうな」


 明確に表情を歪め、白髪の剣士が吐き捨てるかのような声色で言う。

 脳裏をよぎるのは過去に参加した夜会で目にした、狂竜姫に関する噂を囁く者たち。嘲笑や嫌悪、恐怖、拒絶――辺境伯家よりも上の爵位を持つ家の者も、辺境伯家よりも下の爵位を持つ家の者も、誰もが一人の令嬢に不快な視線を送って笑っていた。十分な教育を受けていないのはフィリカではなく彼女にあのような目を向けていた者たちだろう。

 苛立ちを吐き出すかのように息を吐いた白髪の剣士を見つめたまま、赤髪の剣士は続けて問う。


「悪印象ではなかったご様子。では――彼女はあなたのお眼鏡にかないましたか?」


 その問いを耳にした瞬間。

 白髪の剣士から先ほどまで見せていた不機嫌そうな表情が消えた。

 真横に引き結ばれていた唇がゆっくりと弧を描き、ただ一人を見つめていた両目が猫のように細められる。

 賑わう広場を眺めていた薄灰色が赤髪の剣士へ向けられ、心底楽しいのだと言いたげな光が目の奥でちらついた。


「領地に戻り次第、すぐに求婚状の準備をする。久々に領地が少しばかり騒がしくなると思え」


 返された言葉に、向けられた表情に、赤髪の剣士も口角をあげる。

 ああ、どうやら――勇ましさと上品さをもったあの令嬢は、彼のお眼鏡にかなったらしい。


「かしこまりました。あなた様のお心のままに」


 再度、騎士や領民たちに囲まれるフィリカへ目を向け、白髪の剣士はくつりと笑い、手元にあるオオイワイノシシのステーキを口に運ぶ。

 白と赤、二人の秘密のやり取りは周囲の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かずに消えていった。

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