1-6

「お二人も、よければどうぞ」


 穏やかに声をかけながら、手に持った皿を差し出す。

 真っ先にフィリカの声と気配に反応を返したのは白髪の剣士だ。賑わいに向けていた視線をぱっと素早くこちらへ向け、薄灰色の双眼にフィリカの姿を映す。


 遠目から見ていたときも薄々感じていたが、本当に綺麗な男性だ。フィリカよりもうんと高い背丈や肩幅から男性だと判断できるが、もう少し華奢な体格をしていたら女性だと間違える者もいるかもしれない。

 フィリカを警戒しているのか、それとも異なる理由があるのか、白髪の剣士は皿を受け取る様子を見せない。

 自分たちに差し出された皿を受け取ったのは、彼の傍に立つ赤髪の剣士だ。


「わざわざ申し訳ありません。ありがたく頂戴いたします」


 こちらへ向けられた穏やかな笑みを前に、おや、と瞬きをする。

 白髪の剣士は少々とっつきにくそうな――他者に対して警戒心が高そうな様子を見せているが、どうやら赤髪の剣士はそうではなく、社交的な気質らしい。

 彼が見せた人懐っこそうな笑顔につられ、フィリカの口元も緩む。


「いえいえ。もし、食べるのがつらければお気軽に申し出てください。あちらで肉粥もご用意しておりますので。肉粥のほうが、肉を細かくし、より柔らかくなるよう煮込んでおりますので食べやすいかと」

「わかりました。ご丁寧にありがとうございます。何から何まで感謝いたします、ブルーエルフィン様」

「いえ、こちらこそオオイワイノシシの討伐に手を貸していただき、本当にありがとうございました。おかげで、オオイワイノシシを無事に討伐することができました」

「ご謙遜ならさずに。我々ができたのはほんの少しのこと。オオイワイノシシの群れを退け、討伐することができたのはあなた様のお力があったおかげでしょう」


 赤髪の騎士はそういって、柔らかく両目を細めた。

 こちらの姿を映し出す翡翠色の奥には穏やかな光が宿っており、彼の心の内が平穏に満ちたものであることを物語っている。

 ふる、と彼の言葉に一度だけ首を左右に振ってから、フィリカも口角を持ち上げた。


「剣士様方こそ、ご謙遜なさらないでください。わたしが場に駆けつけるよりも先に戦場へ立ち、この町をブルーエルフィンの騎士団とともにオオイワイノシシの侵攻から守ってくださっていたのは剣士様方です。本当に感謝しております」


 最後に感謝の言葉を一言添え、深々と丁寧に頭を下げる。

 その姿勢を数秒ほど維持したのち、フィリカはゆるりとした動きで頭を上げた。

 料理は手渡した。感謝の言葉もきちんと伝えられた。あまり長居をしては二人が気力を回復させることも、手渡された料理をゆっくり楽しむこともできないだろう。


「それでは、わたしはこれで。どうかごゆっくり身を休めてください」


 最後に一言添え、二人の傍を離れようと、いまだに賑わう集団の方角へ爪先を向けた。


「――待て」


 しかし、フィリカの足が前へ踏み出されることはなかった。

 ずっと沈黙を守っていた白髪の剣士が突如唇を開き、フィリカを引き止めたからだ。

 二人の傍を離れるために踏み出そうとしていた足はそのまま足元の土を踏み直し、白髪の剣士へ向き直る。


「どうかされましたか? 何か気になることでも?」


 ぱっと白髪の剣士を観察した印象では、二人とも多少衣服に汚れが付着しているが、傷らしきものは見当たらない。赤髪の剣士も同じだ。

 ラエティアに滞在していたのなら、おそらく拠点となる宿泊施設も見つけている。拠点になる宿が見つからなくて困っていることもないはずだ。

 他にフィリカを呼び止める理由とは――脳内でいくつか理由を探しながら、相手の言葉を静かに待つ。

 少しの空白を置いたのち、白髪の剣士はこちらの姿を真っ直ぐに見据え、唇を開いた。


「……お前が『ブルーエルフィンの狂竜姫』で合っているか?」


 瞬間。

 急激に心が冷え切り、絶えず巡っていた思考が凪いだ。

 己の心臓の鼓動が大きく聞こえ、けれど体温は急激に下がって指先が冷えていく。

 抜け落ちそうになった表情を取り繕い、柔らかな笑みをとっさに作り、フィリカは自身の胸に手を当てた。


「……はい。わたしがロムレアの地を守護するブルーエルフィン辺境伯家の末娘。狂竜アタラクシア様より加護をいただいた者、フィリカ・ブルーエルフィンと申します」


 片足を斜め後ろの内側へ滑らせるように引き、両手で身にまとったドレスのスカートをわずかに持ち上げて深々とお辞儀をする。

 淑女教育の一つとして繰り返し叩き込まれたカーテシーを披露したあと、ゆるりとした動きで頭を上げ、スカートから手を離した。

 顔に浮かんでいる笑みに苦い感情は一つも見当たらない。見えるのは穏やかに唇の両端を持ち上げた姿ばかりで、フィリカが一瞬だけ動揺しただなんて気づかれないはずだ。


「……そうか。お前があの……」


 白髪の剣士が数秒ほどフィリカを無言で見つめたのち、はつり、小さく呟く。

 『あの』――という表現を使ったということは、眼前にいる彼はどこかの家に仕えている可能性が高い。フィリカに関する噂話は偽りであるものも含めて社交界で多く流れているから。

 苦く歪みそうになった表情筋を笑顔の状態で固定し、フィリカは言葉を返す。


「剣士様方のお耳にも届いていたなんて……少々お恥ずかしいですね。悪いお話ではないといいのですが」

「何、令嬢が恥ずかしくなるような噂ではない。ブルーエルフィンの狂竜姫は非常に剣の腕が立つ――と聞いていたから個人的に興味を持ち、覚えていただけだ。……噂のとおり、非常に優れた剣の腕だった。こちらも負けてはいられないと思ってしまうほどに」


 柔らかく弧を描いていたフィリカの目が大きく見開かれ、ぽかんと浅く口が開いた。

 フィリカに関する話と聞いて、脳裏に浮かんだのは先ほども思い出した苦い囁き声。

 楽器もできない。刺繍もできない。できるのは剣を振り回すことばかりで、貴族令嬢としての嗜みもまともにできない。野蛮でガサツな、いつ気が触れるかわからない――落ちこぼれの辺境伯令嬢。社交界でのフィリカの評価といえば、そういった評価が圧倒的に多かった。


 故に、白髪の剣士が耳にした話もそういった内容のものだとばかり思っていた。

 ところがどうだ。彼が耳にしたという話はフィリカの剣の腕を高く評価したもので、彼自身もフィリカの剣の腕前を優れたものとして見てくれている。

 フィリカが剣を握って戦場に立っていることを野蛮だと表現せず、狂竜の加護者であることを恐れず、辺境伯令嬢として劣っているのだと馬鹿にして下に見ることもしない。


 たったそれだけのことがくすぐったくて、口元が緩みそうになってしまうほどに嬉しくて仕方ない。

 ぐっと一度だけ口元に力を入れて緩みそうになるのを引き締め、先ほども浮かべていた笑みを見せ、フィリカは言葉を返す。


「とても嬉しくなってしまうお言葉、心から感謝します。ですが、わたしもまだまだです。きっと剣士様方のほうがわたしよりもはるかに腕が立つことでしょう。負けぬよう腕を磨き続けなければならないのは、きっとわたしのほうかと」


 紡いだ言葉に嘘はない。

 幼い頃から剣の稽古をしてきたフィリカだが、鍛錬を積んできた日数は生粋の騎士や剣士たちに比べると浅い。そもそもフィリカが他の騎士や剣士たちに混ざり、剣を振って魔獣の討伐に参加できているのは、自らの身に宿る狂竜の加護に頼っている部分が多い。


 だから、狂竜の加護抜きで考えればフィリカの戦力はまだ低いはずだ。長く剣士や騎士として活躍してきた者たちのほうがはるかに腕が立つに違いないと――フィリカはそう考えている。

 もちろん、こちらの剣の腕を高く評価し、褒めてくれる言葉は素直に嬉しいのだけれど。


「……そんなことはないと思うがな。積み重ねた時間と剣の腕は嘘をつかない」

「いえ、わたしなど竜の加護がなければ、少し剣が使える程度の小娘でしかないと思いますから」


 確信に満ちた声色でそう返してから、フィリカは言葉を重ねる。


「他に何もなければ、わたしはこれで。お二人とも、どうぞごゆっくりお休みください」


 最後にそういって、もう一度頭を下げてから今度こそ二人に背を向ける。

 そのまま大きく一歩を前へ踏み出し、そのままもう片方の足も前へ動かして、にぎわい続けている野外用コンロの傍へ向けて歩き出した。

 後ろからフィリカを呼び止める声は聞こえない。

 かわりに、真っ直ぐ向けられる視線がいつまでも――いつまでも背中に突き刺さっているのを感じた。

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