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「……楽器の練習をしてる時間があれば、剣の練習に使いたい。刺繍をして時間を潰してる暇があれば、魔獣や他国の動きに関する報告が届いていないか確認したい。楽器も刺繍も心を豊かにするのは認めるけれど、そればかりを極めても有事のときに何の役にも立たないじゃない」
過去に経験した苦い記憶を思い返し、一人、眉を吊り上げて不満げに唇を真横に引き結ぶ。
楽器を奏でることも、刺繍を施すことも、心を豊かにする素敵なものだとは思う。
だが、いつ眼前に危険が迫ってくるかわからないロムレアの地では、何よりも優先されるのは危険を退けて国を守るために必要な武力で――残念ながら、楽器や刺繍の腕が輝く場面はとても少ない。
ロムレアの地とブルーエルフィン辺境伯家で強く求められるのは、あらゆる危険から領民と国を守ることができる力。フィリカもそれを理解し、より強く求められるものを優先して身につけ、行動しているだけなのに。
「こういう考え方が、貴族の令嬢として駄目なのかもしれないけど……」
それでも、まだ青さを残した十七歳の心は納得ができないと繰り返し叫んでいる。
今よりもさらに長い時を経験し、酸いも甘いも噛み分けた人間になれば、素直に受け入れられるのかもしれない。だが、『今』のフィリカは世間からの評価を素直に受け入れて、仕方ないと思うことはどうしてもできない。
脳裏をよぎった過去の苦い記憶が呼び水になり、次から次に一度味わった苦々しい気持ちと不満が湧き上がり、フィリカの眉間に深いシワを刻む。
が、はっと我に返って勢いよく首を左右に振り、ぐるぐる巡っていた思考と苦い記憶を頭の片隅へ追いやった。
いけない。今はオオイワイノシシの討伐戦に勝利した祝賀会の真っ最中。賑やかで明るい場に、苦々しく険しさに満ちた表情は似合わない。
両手で挟むようにして両手で自身の頬を挟むように叩き、かすかな痛みとともに苦々しい気分を追い出して切り替えると、フィリカは改めて広場の様子を見渡した。
「……あれ……?」
ふ、と。
広場の片隅に視線がいき、瞬きを繰り返す。
広場から少し離れた場所に位置する木の下に、二人の見慣れない剣士がいる。一人は木陰に設置されたベンチに腰を下ろし、もう一人はベンチに座っている剣士の傍に立っている。二人とも多くの人々が集まって賑わっている一点を眺めており、ブルーエルフィン家の騎士たちやラエティアで暮らす人々の姿を目に映していた。
フィリカも足を止め、二人の剣士の様子を観察する。
一人は少々くすんだ白髪をした男性だ。白髪である点はフィリカと同じだが、フィリカの白髪が純白なら、彼の白髪はどこかくすんで見える。男性にしては長めのまつ毛に縁取られた両目は薄灰色に染まっていて、金剛石や灰月長石を連想させる。黒を基調とした騎士服に身を包み、左肩を赤いペリースで覆い隠している姿をしている辺り、おそらく彼も騎士なのだろう。
その傍に立つもう一人の剣士も同じような騎士服に身を包んでいる。しかし、こちらはペリースを身に着けておらず、かわりに長旅にも耐えられそうな厚手の外套を身に着けている。全体的にモノトーンな印象が強い白髪の剣士に対し、こちらは赤髪にやや鋭い翡翠色の目という鮮やかな見目をしていた。
はて、あんな剣士はブルーエルフィン辺境伯家に仕えていただろうか――心の中で首を傾げて思考を巡らせるフィリカだったが、一つの可能性が思い当たり、あっと小さく声をあげた。
「……もしかして、偶然ラエティアに滞在していた遍歴の騎士様とか……?」
可能性はゼロではない。ロムレアの地は辺境の地、国と国の境が近い地だ。これから他国を目指して旅立とうとしていたところで、今回のオオイワイノシシ襲撃が重なって剣を取らざるを得なくなった――十分にありえる話だ。
実際、ロムレア領ではそういったことが過去に起きている。フィリカが魔獣討伐に参加するようになる前から、偶然居合わせた遍歴の剣士や騎士、傭兵、冒険者たちが魔獣討伐への参加を希望し、手を貸してくれたことがあるのだと過去に目にした報告書に記されていた。
今回のオオイワイノシシ討伐戦もブルーエルフィン辺境伯の騎士団とラエティアに滞在していた冒険者や傭兵たちの混成部隊になっていた。あの二人も、きっと混成部隊に参加してくれていた剣士なのだろう。
――なら、しっかりと労って、しっかりと感謝を伝えないと。
見たところ、二人の手元に皿はない。ただ、料理を楽しんでいる人々の集まりを眺めているだけだ。大勢の集まりが得意ではない、あるいは空腹ではないのかもしれないが、討伐戦に参加してくれた二人にだけ祝賀会の料理が届いていないのは非常に好ましくない。
一度野外用コンロの傍へ戻り、フィリカに代わって料理の提供をしてくれているメイドへ声をかけ、オオイワイノシシのステーキを二人分用意してもらう。程よく焼かれた分厚めの肉を同じ量だけ盛り付けてもらった皿を受け取り、フィリカは大股に二人の剣士の下へ向かった。
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