第13話 セネトへの疑問
冒険者ギルドの扉が開くと、ざわめきが耳を打った。
その瞬間、リナーシャの目に飛び込んできたのは、広々とした大広間だった。ステンドグラスを通した陽光が、床に色とりどりの模様を描き出している。
壁には依頼の掲示板が設けられ、その周囲には冒険者たちが集まっていた。粗野な笑い声や依頼についての相談が飛び交い、剣や斧の金属音が混ざる。
中央には巨大な木製のカウンターが設置され、制服姿の受付係が忙しそうに応対していた。
冒険者達の風貌は重装備の戦士風の者から、軽やかな装束の探索者風の者まで多岐に渡る。彼らの背中には大型の剣や弓、魔法具らしき杖などが装備されており、壁のあちこちに立て掛けられた盾や鎧も目に入った。
(ここが、普段セネトが過ごしている場所なんですね……)
リナーシャは少し戸惑いながらも、セネトに促されて足を踏み入れた。
木の床板は厚みがあり、歩くたびにかすかにきしむ音がする。匂いは独特で、木材の香りと、人々の汗や装備の金属臭が混じり合っている。
広間の奥には簡素な木製テーブルと椅子が並ぶ小さな酒場があり、冒険者たちが腰を下ろして軽食や飲み物を楽しんでいた。カウンターの向こうでは店員が忙しなく動き回り、焼きたてのパンの香りとスープの湯気が漂っている。
フェルメルが先に受付カウンターの中へ戻り、セネトとリナーシャは彼女に続く形でカウンターの前に立った。カウンターは冒険者達の武器や道具がぶつかる傷跡が多く残っており、それだけの歴史を物語っていた。
フェルメルは忙しげに手元の書類を整理しながら、セネトを見やる。
セネトがブライソン達の裏切りについて語り始めると、リナーシャは彼の隣で静かに耳を傾けた。
おおよその内容はリナーシャも知る通りだったが、最後の部分だけ多少変更が加えられていた。先程その場を何とか逃れたセネトが深手を負いながらも〝魔の森〟を抜け出し、そこで偶然リナーシャと出会った──というように話を変えていた。
「だから、〝魔の森〟に入る依頼なんて受けるのはやめなさいって言ったじゃない」
「まあ……フェルメルの言いたいこともわかるけど、たまたま〝魔の森〟だったってだけで、彼らはいずれ僕のことを裏切るつもりだったんじゃないかな」
憤慨するフェルメルに、セネトは何ともない様子で返した。
「それに……全く何の意味もなかったかっていうと、そうでもなかったしね。死にかけたけど、得たものは大きいよ」
「リナーシャさんとの出会い、ということですか?」
「さあ。それはどうだろう?」
セネトが誤魔化しつつ横目でリナーシャを見て、小さく笑った。
彼の態度に、フェルメルが少しむっとする。
(もう……どうしてそういう言い方をするのですかっ)
リナーシャは慌てて視線を地面へと向けた。
ただ……彼がそう言ってくれて嬉しいと感じてしまう自分もいた。一体どうして自分がこんな風に思ってしまうのかもわからないし、どんな顔をしていればいいのかわからない。
ただ、今の一連の会話には不可解なところもあった。
どうしてギルドの受付嬢から反対されてまで、〝魔の森〟の依頼をわざわざ受けたのだろうか。
説明が終わると、セネトはカウンターに手をつき、思い出したかのようにこちらを向いて訊いてきた。
「あっ、そうだ。リナーシャ、何か飲むかい? そういえば、今朝から何も飲んでなかっただろう?」
「え? ああ、そういえば……では、何か冷たい飲み物を」
「わかった。じゃあ、ちょっと注文してくるよ」
彼が席を立って広間の奥にある小さな酒場へと向かっている最中、リナーシャはその背中を目で追った。
フェルメルと二人きりになった空間に、わずかに気まずさが漂う。
「セネトって本当に昔から無茶ばかりするのよね……」
フェルメルが書類を手早く整理しながら、ふっと呟いた。その声音には呆れの色が混じっているが、どこか愛着を滲ませるような柔らかさも含まれていた。
リナーシャはその微妙な感情の機微を測りかね、言葉を返すべきか迷った。フェルメルは一瞬こちらに視線を向け、ため息交じりに笑う。
「ごめんなさい、独り言よ。でも、セネトって、何があってもあんな風に笑ってるから余計に心配になるのよね。まあ、だから放っておけないんだけど」
「…………」
その言葉に何かを返すべきか考えたが、リナーシャは胸の内に生まれる違和感に気付いて言葉を飲み込んだ。
フェルメルの言葉の奥に、セネトへの親しみや信頼が滲み出ているように思える。だが、それがリナーシャにとって心地よいものではないことに気付いた時、場の空気がさらに居心地悪く思えた。
「あの……ひとつ、訊いていいですか?」
リナーシャは胸の中のもやもやを振り払うように、思わず話題を変えるべく口を開いた。
「それは構わないけど……どうしたの?」
フェルメルが書類をまとめる手を止めて、こちらに向き直った。
「セネトは、一体どういう依頼を受けて〝魔の森〟に入ったのでしょうか? あまり人が立ち寄るような場所でもないと思うのですが」
フェルメルは「ああ……」と書類の中から一枚の依頼書を取り出した。
「これの依頼を受けたのよ。受ける人もいないし、危ないからやめろって私は言ったんだけどね」
呆れた様子で、彼女は溜め息を吐いた。
依頼書を見てみると、どうやらセネト達は、調合薬の元となる特別な薬草──カーラフローレ──を探す依頼を受けていたようだ。報酬はかなり高い。
それもそのはずで、この近辺でカーラフローレは〝魔の森〟でしか採取できないのだ。そのため、その依頼書が貼り出された時は、どの冒険者も手を挙げなかった。そこでいの一番に手を挙げたのが、セネトだったのだという。
「パーティーの他の方々は反対なさらなかったんですか?」
「嫌がってたわよ。もともと、セネトひとりが抜きん出てたせいでパワーバランスも悪かったし、ブライソン達がセネトの陰口を言っていたのも耳にしてたからね。だから、今回はやめた方がいいって私も止めたんだけど……全然引かなくて」
「どうしてでしょう?」
「さあ? でも、何だか〝魔の森〟に行けるって張り切ってたのよね。力試しのつもりだったのかしら」
どういうことだろうか。
セネトは、自ら進んで〝魔の森〟に行く機会を探していた、ということだろうか。
〝魔の森〟の奥地には、確かに強い魔物もいる。彼の腕試しにもなるだろうが……それだけのために、仲間を危険に遭わせるリスクがあるようなことを、彼がするだろうか。
(もしかして、別の目的があった……?)
そう考えた方が自然なような気がする。
冒険者をやっているとはいえ、貴族の血筋の彼が生活に困っているようには思えない。報酬に釣られた、ということもないだろう。
それに、先程も色々と含みがあるようなことを言っていたし、いくら命を助けられたと言っても、リナーシャに心を開き過ぎている気もする。
(まあ……秘密はお互いにありますよね。私だって、セネトに話していないことは、たくさんありますし)
リナーシャはそう内心でそう独り言ちて、ふと酒場で飲み物を注文しているセネトを見やる。
こちらの視線に気付いた彼は、柔らかな笑顔を向けて手を振ってくれた。どこか温かく、そして、どこか掴みきれない――その笑顔の裏には、何か別のものが隠されている気がしてならなかった。
その笑顔の裏に、彼は一体何を隠しているのだろう──?
ふとそんな疑問が、脳裏を過ぎった。
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