第11話 貴族の息子と魔女

 町の入り口が見えてきた。

 石造りの門は苔むしつつも頑丈に造られており、城壁の一部が陽光を反射してきらめいている。人々が行き交う賑やかな声が、微かに風に乗って聞こえてくるのも耳に心地よかった。


(あまり変わった様子はありませんね)


 リナーシャは密かに胸の内で安堵の息をついた。

 以前訪れたのは何年前だったか覚えていないが、それほど変わった様子はない。あまりに月日が過ぎていると、小さな村が町になっていたり、或いはその集落そのものがなくなってしまっていたりすることがあるのだ。

 リナーシャの記憶でも、ニースダンはそれなりに栄えている町だった。王都などもっと栄えている都に比べれば小さいが、リナーシャが事を済ませるには十分な町で、数年に一度くらいの割合で訪れている。

 ニースダンは豊かな農地を持ち、交易にも力を入れているため、人と物資が集まりやすい場所だという。もっとも、そうした情報を得たのは何十年も前の話であり、現状がどうなっているかは知らない。ただ、目の前に広がる町並みから推測するに、その活気は今も失われていないようだ。

 門をくぐると、途端に町の喧騒が全身を包み込んだ。

 市場があるのか、すぐ近くから野菜や果物を売る呼び声が響く。そこへ混じる皮革の匂い、焼きたてのパンの香ばしい匂い──どれもが、リナーシャにとって少し懐かしい感覚を呼び起こす。


(人と関わるのはあまり好きではなかったんですけど……こうして町を見るのは、結構好きだったんですよね)


 リナーシャは町をゆっくりと見回す。

 町は石畳の道を中心に整然と区画されていて、道の両側には木造の建物が立ち並んでいる。どれも手入れが行き届いていて、綺麗な景観を彩っていた。

 屋根の赤い瓦が連なり、窓枠には彩り豊かな花々が飾られている。建物の間からは細い路地が幾筋も分かれており、路地に佇む猫の姿がちらりと見えた。

 人々の顔には明るい表情が浮かんでいる。行き交う馬車や荷車も活発に動き、労働者たちが忙しそうに声を掛け合う。町を包む空気には、確かに平穏が満ちていた。


「それじゃあ行こうか。とりあえず、ギルドに行っていいかい?」

「はい。お任せします」


 リナーシャはセネトの半歩後ろに続いて道を進む。

 その背中に従いながらも、ふと視線を上げて空を見た。広がる青空には、町の人々の生活を見守るように白い雲がゆっくりと流れている。


(平和ですねー……)


 そのひと言に尽きる光景だった。

 だが同時に、胸の奥にはひとつの疑問が生じていた。この町の平穏は、どうやって守られているのだろう?

 かつて〝魔の森〟も隣国の領土争いに巻き込まれた時があったが、豊かで栄えた町は、往々にして外敵に狙われやすい。余程ここを納めている領主が有能なのだろうか。

 

(あれ……?)


 そんな思考の合間に、ふとセネトが足を止めた。

 前方に視線を向けると、立派な館が町の中央にそびえているのが見えた。それはこの町で一際目立つ建物であり、明らかに権力を象徴している。館の入口には衛兵が立ち、しっかりと町を見守っている。


(あっ……)


 館に書かれた標識を見て、彼が立ち止まった理由がわかった。

 ケリガン──そこにはそう描かれていたのだ。

 そして、今リナーシャの前にいる青年の名は、セネト=ケリガン。この町を収めていたのは、彼の家系だったのだ。


「驚いたかい?」


 セネトが振り返ってから、目を丸くしているリナーシャを見て可笑しそうに笑った。


「そうそう、僕の名前を聞いた時に、そんな顔をすると思ってたんだ。でも、君はケリガンの名を聞いても無反応だったからね……本当に人間には興味ないんだって、改めて思い知らされたよ」

「改めて……?」

「いや、何でもないよ。気にしないでくれ」


 セネトは肩を竦め、リナーシャが抱いた疑問から話題を逸らすように、ケリガン家について話し出した。

 ここニースダンを含む、コルマンド王国西部の大部分を収めているのは彼の一族なのだという。ニースダンは、彼の叔父の管轄だそうだ。

 一応この町にも町長はいるそうだが、基本的にはケリガン家の傀儡らしい。この町が平穏を保っているのは、ケリガン家の力によるものだったのだろう。


(本当に、有名な貴族の息子さんだったんですね)


 セネトの立場が特別だとは感じていたが、それほどの大貴族の家系だったとは思っていなかった。予想以上に、凄い人を助けてしまったのかもしれない。


(まあ、私には貴族がどうとかは関係ないですけど)


 リナーシャが心の中で呟いた瞬間、セネトが得意げに口を開いた。


「私には関係ない──今、そう思っただろう?」

「……当たりです。実際に関係ないありませんし」


 リナーシャは少しむっとして答えた。思考を読まれたのが何だか腹立たしかったのだ。

 彼は言った。


「それが、案外そうじゃないんだ」

「え? ︎︎私にも何か関係あるんですか?」

「あるよ。一応ね」


 セネトは少し呆れたように続けた。


「二十年くらい前、〝魔の森〟が隣国に攻め入られたことがあっただろう?」

「ええ、まあ……」


 リナーシャは、ふとその時のことを思い出す。

〝魔の森〟はかつて、豊富な植物資源を求める隣国プロヴィルに侵攻されたことがあった。だが、森はリナーシャにとって庭も同然。許すわけもなく──血を流すことなく、幻や魔物を用いて侵入者の士気を挫き、撤退させたのだ。

 それ以降、プラヴィルは森には手を出してきていない。しかし、こういったことは過去にもそれ以前にも何度かあった。また同じことが繰り返されるかもしれない、とリナーシャはいつも心の片隅で覚悟していたのだが……そういえば、ここ最近はそういった気配もない。


「外に興味がない君はきっと知らないと思うけど、あの一件を切っ掛けに〝魔の森〟の周囲は全てケリガン家の領土になったんだ。だから、もう〝魔の森〟が脅かされることはないよ。いや、そのために僕の祖父がプロヴィルから領土を奪い取った、というべきかな」

「えっ!? そうだったんですか?」


 森の外の国事情など全く知らなかったのだが、どうやら〝魔の森〟はセネトの家系にすっかり囲まれているらしい。

 だが、ケリガン家や王国が〝魔の森〟を我が物にしようと攻め入ってきたことは、リナーシャの記憶にはなかった。


「どうしてそんなことをしたのでしょう? そこに大した意味を感じないのですが」

「さあ、どうしてだろう? もしかしすると……誰かさんに、何か恩があったのかもしれないね?」


 セネトは曖昧な微笑みを残し、リナーシャの問いには答えず歩き出した。


「え? ちょっとセネト、ちゃんと説明を──」

「セネト!? もしかして、セネト=ケリガンじゃない!?」


 してください、というリナーシャの言葉は、背後から突然響いた女性の声に遮られた。

 後ろを振り向くと、そこには冒険者ギルドの受付嬢と思しき女性が立っていた。

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