第9話 勇者の片鱗

 セネトは剣を構え、迫り来る魔物たちを鋭い目つきで見据えた。表情には微塵の怯えもなく、むしろ戦いを楽しんでいるかのような余裕すら感じられる。


「〝花の魔女〟には情けないところを見られているからね。ここでしっかり名誉挽回させてもらうよ」


 彼は木の上に佇むリナーシャをちらりと見て、にやりと笑ってみせた。

 そんなセネトに、リナーシャも笑みで応えてみせる。


「さあ、行くぞ!」


 セネトは軽く地を蹴ると、身体が音もなく前方へ滑り出すように動き出した。

 目の前に迫るスライムを見据えたその刹那、剣が一閃。スライムは粘液を四散させながら地面に崩れ落ちた。


(……さすがですね)


 リナーシャは頬を綻ばせて、相棒の戦いぶりを見守る。

 これならば、助力の必要もないだろう。安心して戦いを見ていられそうだ。

 一方、セネトは次々と襲いかかるスライムたちを冷静に対処していく。一体一体は脅威ではないが、数が多い。そこで、彼はその密集を逆手に取った。


「このくらいなら、まとめて片付けるさ」


 そう呟くと、剣を一気に横薙ぎに振るう。

 刃先から放たれた剣風が、スライム達を一瞬で両断した。粘液が宙を舞い、陽光を受けて七色に輝く。戦闘の苛烈さを感じさせない美しい光景だった。

 スライムを一掃したかと思う間もなく、キラーウルフ達が低い唸り声を上げながら円を描くように包囲してきた。その動きはスライムとは比べ物にならないほど俊敏で、狡猾だ。


「さて、どうくる?」


 セネトは冷静に狼達の動きを見極める。群れのうちの一匹が吠えると、他の狼たちが一斉に飛びかかってきた。

 だが、それでも彼は動じない。しなやかに身を翻し、後方へ跳び下がると同時に、一瞬の隙を突いて剣を突き出した。


「君が……親玉だろ?」


 セネトの突き出した剣がリーダー格の喉元を貫き、狼はそのまま動きを止めた。

 群れで戦う魔物と対峙する時はそのリーダーを倒すのが一番手っ取り早い。彼はそのセオリー通りを実践したにすぎないのだが、この早さでリーダーを特定できるのは凄い。傍から見れば、どのキラーウルフも見分けなどつかないのだから。

 リーダーを失い、残った狼達は動揺したように一瞬動きを鈍らせた。その隙を逃さず、セネトは一気に攻め立てる。彼の剣はまるで生き物のように躍動し、次々と狼たちを仕留めていった。

 周囲が再び静寂を取り戻した頃には、地面には倒れたスライムと狼達の残骸が散らばっていた。


「ざっとこんなものかな」


 セネトは剣を軽く払って鞘に収め、深い息をついた。

 先程まで響いていた狼の唸り声やスライムが這いずる音は跡形もなく消え、代わりに、鳥のさえずりや川のせせらぎが耳をくすぐる。太陽の光が木漏れ日となって地面を照らし、その上に散らばるスライムの粘液が淡く虹色に光っていた。

 リナーシャは、ふっと息を吐いて枝から降り立った。


「お疲れ様です。まあ、勇者を目指すならこれくらいはできてもらわないと困りますけど」

「それは褒め言葉として受け取っていいのかな?」

「さあ、どうでしょう? ……というのは冗談です。お見事でした」


 リナーシャが肩を竦めながら言うと、セネトは得意げに笑った。


「それならよかった。見損なって森に帰られたらどうしようかと思ったよ」

「しませんよ、そんなこと」


 その言葉に、リナーシャも頬を緩める。

 それなりに決意をして〝魔の森〟を出たつもりだ。彼にはしっかりと勇者になってもらわないと困る。


「さあ、帰ろう。あの子が待ってる」

「あ、ちょっと待ってください」


 言って、リナーシャは少女の落とし物を取り出すと、花飾りに魔力を込めた。彼女の手元から淡い光が放たれ、それはやがて花飾り全体を柔らかに包み込む。

 その光は、花が咲く瞬間を映し出すかのように美しく、儚げに輝いていた。辺りに漂う草花の香りが濃くなり、川辺の風さえもその魔力に導かれるように静まり返る。


「これからも、あの子を支えてあげてくださいね」


 リナーシャはそっと花飾りに語り掛けた。花飾りが元の姿を取り戻したその瞬間、光が舞い散るように消え、辺りの空気が柔らかくなる。

 セネトは驚きと感嘆の入り混じった表情で彼女を見つめた。


「……凄いな。植物魔法はそんなこともできるのか」

「さすがに金属部分まで元通りにはできませんけどね。植物が用いられている部分だけなら、私の魔力でどうとでもなりますから」


 綺麗になった花飾りを見て、リナーシャはどこか懐かしむような笑みを浮かべた。


「この花飾りには、あの花畑のお花が使われてるんです」

「花畑って……君の家の?」

「はい。これ、私があの子のお母さんにあげたものだったんですよ。もう随分昔のことですけどね」


 花飾りを眺めたまま、彼女のお母さんとの馴れ初めを話す。

 自分でも不思議だった。誰かに自分のことを話したいと思ったことなどこれまでなかったのに、どうしてかセネトには話したくなってしまったのだ。


「そんなことがあったのか……凄い偶然だ」

「ね。私も驚きました」


 リナーシャは口元に手を当てて、小さく笑いを漏らした。


「もしかすると……私はこれまで、こうした小さな繋がりをたくさん見落としてきたのかもしれませんね」


 森の中で草花や植物魔法の研究に身を浸す日々に、不自由さも不満もなかった。ただ……こうしたあたたかな気持ちになれる機会をこれまでにも見落としていたかもしれないと思うと、少し後悔の念を抱かなくもない。


「それなら……これからは新しい繋がりを増やしていけばいいさ。小さな繋がりも、大きな繋がりも。こうして外に出て、たくさんの人と関わっていれば……繋がりなんてのは、勝手にできていくよ」


 セネトはリナーシャの横顔を見つめながら、柔らかな声音で告げた。

 予想もしてなかった言葉に、リナーシャは思わずきょとんと首を傾げる。


「できますかね? 魔女の私に」

「できるさ。だって……こうして僕らを通じて、君は新しい繋がりを手にしてるじゃないか」


 セネトはリナーシャの手元の花飾りを見つめながら、静かにそう告げた。

 そういえばそうだ。

 彼と一緒に森を出ていなければ、この花飾りをもう一度見ることもなかっただろうし……あの子の子供とも、出会うことはなかった。

 森に閉じこもり、すべての繋がりを断ってきた自分。それが正しいと思っていた。でも……今はどうだろう。

 彼と出会い、外の世界を歩き、誰かのために動く。これが、こんなにも胸を温めることだったなんて。


「……そうでした」


 花飾りをそっと胸に当てて、目を閉じる。

 以前はそうした繋がりやしがらみが嫌で、森の中に閉じこもった。むしろ、それこそが自分の安息だと思っていた。

 でも、今は違う。今は、自分から新たな繋がりを求めるようになっている。

 どれもこれも、きっとこのセネトというひとりの青年と出会ってしまったことに起因しているのだろう。

 やっぱり、この青年は不思議だ。出会ったばかりの自分に、こうして外の世界を歩きたいと思わせてしまったのだから。

 ただ、リナーシャは同時にこうも思う。

 そうして人を変える能力を持つ者こそ、〝勇者〟の才を持つ者なのではないか、と──。

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