第7話 勇者の仕事

〝魔の森〟を抜けて数時間ほど歩けば、同じ森の中でも空気が随分と異なる。次第に穏やかな空気が広がっていった。

 柔らかい木々がまばらに立ち並び、その間を埋めるように草花が広がっていた。陽光が差し込み、緑の中に輝く小さな花々を照らし出している。

 鳥のさえずりが、木々の上から響く。遠くでは、小川がせせらぐ音が微かに聞こえていた。それらが織りなす平和な自然の調べの中に、ぽつりと異質な音が混じる──しゃくり上げるような小さな泣き声。


「リナーシャ?」


 リナーシャがきょろきょろしていたことを怪訝に思ったのか、セネトが首を傾げた。


「今、女の子の泣き声が聞こえたような気がして……あっ、ほら」


 リナーシャは声がした方角の茂みを覗いてみると、ひとりの少女が木の根元に座り込んでいた。

 彼女はボロボロのワンピースを身に纏い、膝を抱え込んで体を小さく丸めている。肩を震わせながら泣きじゃくる姿が、いかにも幼いその年齢を物語っていた。

 目元は赤く腫れ、頬にはいく筋もの涙の跡が残っている。泥だらけの布切れを握りしめた指先から、彼女の焦燥感と悲しみが滲み出ているようだった

 年齢は六歳ほどだろうか。涙に濡れた瞳の中には、どこか健気な光が微かに残っている。

 セネトはリナーシャに目配せして目だけで笑ってみせると、少女に近付いていった。


「こんなところでどうしたんだい? 君みたいな小さな子がひとりでいると、悪い魔物に食べられてしまうよ?」


 リナーシャに向けた時のように、優しい声音でセネトが声を掛けた。


「うぅ、宝物……失くしちゃったの……」


 セネトが優しく声をかけると、少女は涙でぐしゃぐしゃになった顔をわずかに上げた。真っ赤に腫れた目と涙で濡れた頬が、どれだけ泣き続けていたかを物語っている。


「宝物?」

「うん。死んだお母さんの、花飾り」


 少女がぽそりと言う。

 どうやら、彼女は亡き母の形見の品を失くしてしまったようだ。


「どんな花飾りなんですか?」


 セネトの後ろから覗き込むようにして、リナーシャも少女に訊いた。

 花という単語に、少し興味を持ったのだ。もし、実際の花が使われているようなものなら、リナーシャの力で見つけられるかもしれない。


「えっとね。綺麗なお花の形で、真ん中に小さい石があるの」


 少女の声はか細く震えていた。

 きっと、数少ない大切な母親との想い出なのだろう。何としても見つけてあげたいと思わされた。

 

「なるほど……大丈夫。僕達が必ず見つけてみせるから」

 

 セネトはしゃがみ込み、少女と視線を合わせて優しく微笑んだ。

 青年の言葉に、少女の顔がほんの少しだけ明るくなる。

 

「もう少し、花飾りについての情報があるといいのですけれど……」


 リナーシャは顎に手を当てて、悩ましげに呟いた。

 あまりに情報が少な過ぎる。いくら花を司る魔女と雖も、この広い森の中から小さなアクセサリーを見つけ出すのは不可能だ。


「あの、これ……」


 リナーシャの言葉に反応したのか、少女は手に握りしめていたものを差し出した。


「これは?」

「花飾りについてたリボン」


 差し出されたリボンは、小さく汚れていたが、所々に花柄の刺繍が施されていた。

 それはかつて、どれだけ大切にされていたかを物語っている。


(あれ? これって……)


 リナーシャはそっとリボンを手に取ると、刺繍を指先で撫でた。その僅かな触感から、懐かしい記憶が蘇る。

 この刺繍には身に覚えがあった。というか、覚えがあって当然だ。これは、リナーシャ自身が昔縫ったものだったのである。

 僅かに鼻を近づけて匂いを嗅いでみると、僅かに〝魔の森〟の花畑の香りがした。


(ああ……やっぱり)


 リナーシャの頬が僅かに緩む。

 十年以上前だったと思うが、〝魔の森〟に迷い込んだ子供がいた。その子は迷子になった恐怖で泣き止んでくれず、困り果てたリナーシャは持っていた花飾りを贈ったのだ。


(この子のお母さんが……あの子だったのですね)


 よく見てみれば、昔迷子になっていた子供の面影がある。

 長い時を経ても、自分がかつて与えた小さな善意がこうして次の世代に繋がっていると思うと、胸がじんわりと暖かくなった。


「安心してください。、多分見つけられます」

「本当かい? リナーシャ」

「はい。このリボンには花が使われているんです。花が使われているなら、私の魔法に反応するはずですから」


 リナーシャも屈み、少女と目を合わせて穏やかな笑みを浮かべる。

 その笑みを受けて、少女の瞳がぱっと輝いた。期待に満ちたその瞳を見て、リナーシャの胸にも自然と温かな感情が芽生えさせる。

 誰かから期待の眼差しを向けられるという、久しい感覚。人間のことは嫌いだったはずなのに、どうしてか子供の眼差しには弱い。


「どのあたりで遊んでいたのか、教えていただけますか?」


 穏やかな声で問われた少女は、涙を拭いながら、川辺の方向を指差した。

 

「あっちにあるんだね。わかった、すぐに探しに行こう」


 セネトは立ち上がりながら、リナーシャに向けて肩を竦めてみせた。

 そして、ふたりして川辺の方へと向かう。リナーシャは足元の小さな花々をそっと避けるように歩きながら、セネトに続いた。

 やがて、少女の姿が見えなくなったところで、リナーシャはふと思いついて、セネトに訊いた。

 

「あっさりと引き受けてしまいましたけど……良かったんですか?」

「どうして?」

「いえ。だって、いち早く町に戻って、冒険者ギルドの依頼を受けたかったんじゃないんですか? セネトの夢は、勇者になることでしょう?」


 昨夜、リナーシャが勇者になる手伝いをすると伝えた後に、セネトはそのような展望を語っていた。

 冒険者として依頼をこなしていけば、いずれ魔王軍に関わる任務に巡り会うだろう。その時には、磨き上げた力で立ち向かえるよう、万全の準備を整えておく必要がある。

 そうやって一歩ずつ実績を積み重ねれば、いずれ誰もが認める〝勇者〟への道が自然と切り開かれるはずだ──セネトはそう話していた。その展望からは、今の状況は外れることになる。


「何を言ってるんだい、リナーシャ?」


 セネトは小さく笑みを浮かべ、前髪を揺らした。

 そして、昨日向けた優しい眼差しで、こう続けたのだった。


「困っている人を助けるのが、勇者の仕事じゃないか」

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