第5話 魔女の決意
「では、単刀直入に訊きますけど……セネトは、わざと彼らにやられたのではありませんか? 一部始終を見ていましたが、私にはあなたが敢えて反撃しなかったように見えました」
リナーシャはセネトの青い瞳をじっと見つめ、素直に尋ねた。
もちろん無傷では済まなかっただろうが、少なくともセネトが一方的にやられる程実力差があるようには思えなかったのだ。
というより、彼らは冒険者としても戦士としても三流だったように思う。もう少し手練れだったならば、リナーシャの幻術や魔法にもう少し対抗できたはずだ。
「なるほど、さすがは〝花の魔女〟ってところかな。よく見てるね」
セネトは一口紅茶を含んでから「おっ。美味しい」と呟いた。そして、ふと思い出したようにこう訊いた。
「そういえば、聞くのを忘れていたけど……ブライソン達はどうしたんだい? まさか、全員殺しちゃった、とか?」
「いえ。少々怖がらせて、森を出て行ってもらっただけです」
リナーシャが小さく首を横に振ると、彼はもう一口紅茶を口に含み「少々、ね……」と苦い笑みを漏らした。
その反応は少し不服だ。一体何を想像したのだろうか。リナーシャとしては、本当に少し懲らしめてやったに過ぎないのだが。
「実際のところ……どうだったんだろうね」
「どういう意味ですか?」
「いや、どう言えばいいのかなってさ。ひとつ言えることは、僕はわざとやられたわけではないよ。実際に毒矢を撃ってくるなんて思ってなかったし、あんな風に裏切られるとも思ってなかったからね。不意を突かれたのは事実だ」
セネトはそこまで話すと、一旦言葉を区切ってカップをテーブルに置いた。
「ただ……敢えて反撃しなかった、という点については、合ってるかもしれないね」
「どうしてでしょう? 彼らが救うに値する人物であったようには思えなかったのですが」
リナーシャは自らの感想を正直に語った。
暫く人間との付き合いがなかったリナーシャから見ても、彼らが人としての魅力を持ち合わせていたとは思えない。卑怯で嫉妬深く、愚かで者達。人間の嫌いな要素をかき集めたような者達だったと思う。
そう語ると、セネトは「手厳しいね。あまり否定もできないけど」と苦い笑みを浮かべた。
「反撃しなかった、という理由については、ふたつあるよ」
青年は一度視線を落とし、言葉を選ぶようにしてから語り始めた。その声音には、僅かながらの後悔と納得が含まれているように感じる。
リナーシャは黙ったまま彼の言葉に耳を傾けた。
「まず、〝魔の森〟の随分奥まで来てしまっていた、という点。確かに僕があの場で反撃に出ていれば、三人のうち二人くらいまでなら仕留められたかもしれない。仕留めるまでは行かなくても、致命傷を与えるくらいまではできただろうね」
セネトの声は淡々としていたが、その裏に隠された静かな覚悟が、リナーシャの胸にじんわりと染み渡る。
澄んだ瞳に宿る揺るぎない光を見つめるうちに、彼が歩んできた道のり、その影と光の一端が、ほんの少しだけ垣間見えた気がした。
「でも、彼らだって熟練の冒険者だ。僕も致命傷は避けられないし、その状態で〝魔の森〟を出るのは難しい。あそこで僕が反撃していれば、僕らは皆、あそこで野垂死ぬのが関の山だった。それなら……僕だけが死んだ方が、まだマシだって思ったんだ」
「……?」
セネトの言葉の意味がわからず、リナーシャは首を傾げた。
「彼らが生きていれば、冒険者ギルドで依頼を受けるだろう? そうすれば、困っている誰かの役には立つだろうからね。四人全員が森の肥やしになるよりは、まだ誰かの為になる」
その答えを聞いて、リナーシャの表情は更に怪訝に曇る。
彼の考え方は優しさに満ちているが、同時にどこか痛々しさも感じた。自己犠牲の精神を美徳としすぎているように思うのだ。
「もうひとつの理由は……」
言葉を切ったセネトは、紅茶のカップを手に取り、少しだけ残った中身を見つめていた。
彼の中で、いくつかの感情が交錯しているのだろう。静かな空気が二人の間を流れる。
「ブライソン達が、僕と一緒にパーティーを組んでくれた、唯一の冒険者だったから、かな」
セネトの声は穏やかだったが、その裏には小さな寂しさが潜んでいた。
リナーシャは彼の言葉の奥にある感情を探るように、そっとその顔を見つめた。彼の仕草や表情は、自らの孤独と向き合い続けてきた者特有のものだった。その感情には、リナーシャにも身に覚えがある。
「家出した有名貴族の末子なんてさ、どんなトラブルを抱え込むかわからないだろ? それで、誰も僕とは組みたがらなかったんだ。面倒を抱え込みたくなかったっていうのもわかるしね」
セネトは肩をすくめて苦笑した。その笑顔には、どこか自嘲の色が混じっている。
リナーシャはその様子を見つめながら、彼がどれほど孤独を抱えてきたのかを想像する。彼の言葉や態度は軽いものに見えるが、その奥には重い感情が潜んでいるようにも思えた。
「でも、そんな僕を仲間に入れてくれたのが……彼らだったんだ」
「……そうだったんですね」
リナーシャの声は、自然と低くなった。セネトの言葉が胸にわずかな痛みを与える。
自分の置かれた環境がどうであれ、彼はその中で人と繋がりを持とうとし、それを大切にしようとしてきたのだ。彼の心の奥にある傷が、リナーシャにも少しずつ伝わってきた気がした。
「それに……僕の夢は、〝勇者〟になることだったからさ」
セネトは青い瞳に確かな決意を込めて、言った。
「あそこで反撃して、仮に生き残れたとしても……仲間を殺してまで生き残るのが勇者なのかっていうと、それは僕の思い描く勇者像じゃない。きっと……そうやって色々考えてるうちに、毒を効かされて何もできなくなった、というのが実際のところだと思うよ」
「勇者様、ですか……」
セネトが言った言葉を、リナーシャは小さく繰り返した。その〝勇者〟という響きに、心が小さく揺れた気がしたのだ。
セネトが〝勇者〟にどのような理想を抱いているのか、その全てを理解することはできない。だが、その言葉に込められた真剣さと矜持だけは、確かに伝わったように思う。
「それにしても、勇者、か……」
セネトの視線が、どこか遠くを見つめた。
それは夢を追いかけるようなものではなく、どこまでも険しい道を前にしている者の表情だった。リナーシャはそんな彼を見つめながら、自分でも意識せずに彼の次の言葉を待っていた。
「こうやってまた独りになってしまったら、勇者どころか、冒険者として食っていくのが精いっぱいだ。道は険しいよ」
セネトは肩を竦めて笑ってみせたが、その笑みには哀愁が滲み出ていて、リナーシャの胸がぎゅっと締め付けられる。
そして……気付けば、リナーシャはこんなことを口走っていた。
「独りじゃありません。今、あなたの傍には私がいます」
その声には彼を励まそうとする思いだけでなく、自分自身の中に芽生えた感情への戸惑いも含まれていた。
セネトは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべ、それから小さく笑って肩を竦めた。
「……? ありがとう。でも、そういう意味じゃなくてね。街に出ればまた独りで、一からやり直しってことさ」
「ですから……そこでも独りでではない、と言っているんです」
リナーシャは少しだけ怒ったように語気を強めた。その言葉には、彼をただの「客人」としてではなく、特別な存在として見始めている自分への戸惑いも含まれている。
「は?」
セネトが眉を上げるのを見て、リナーシャは一呼吸置いてから小さく微笑んだ。
そして、こう告げたのである。
「……あなたが〝勇者〟になるお手伝い、私にさせてくれませんか?」
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