第4話 青年の目覚め

「ん……あっ。え!?」


 治療を終えてから、一時間程経過した頃合いだろうか。

 青年が目を覚ました。


「僕は……生きてる、のか?」


 彼はゆっくりと身を起こし、自らの両手をじっと見つめている。

 思ったよりもずっと回復が早い。怪我や毒を抜いたとはいえ、身体に蓄積した衝撃や負担は計り知れないものだった。てっきり一日くらいは眠ったままだと思っていたが、予想以上に早く目覚めたようだ。


「随分と早起きさんですね。もう少しお休みになられてもよかったのではないでしょうか?」


 リナーシャがカップを手に、声を掛けた。

 いきなり声がして驚いたのか、青年は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに肩を緩めた。


「いや……女性のベッドを借りておいて、いつまでも眠りこけるわけにはいかないからね。そろそろ起きるとするよ」


 空色の髪の青年は柔らかい声音でそう答えると、ベッドから立ち上がった。

 一瞬迷った様子を見せながら、リナーシャの座るテーブルへ歩み寄る。椅子を引きながらもその表情には微かな緊張が滲み、やがて向かいに腰を下ろすと、こちらに視線を合わせた。

 こうして対面で誰かと話すのはいつぶりだろうか。

 一応見栄えのために椅子はもうひとつ用意していたけれど、まさか本当に誰かと向かい合う日が来るとは思わなかった。


「気分が悪かったり、まだどこか傷んだりしますか?」


 リナーシャは柔らかく微笑んで訊いた。


「いや、大丈夫だ。君が……助けてくれたんだね」


 セネトはその髪色と同じ空色の瞳で、じっとこちらを見つめて微笑むように僅かに細めた。

 何て綺麗な瞳をしているのだろう。まるで宝石みたいだ。


「はい。お節介だとは思いましたが、あのまま死なれても目覚めが悪いですし」

「お節介だなんて、そんなことないさ。ありがとう。まさか、魔女に命を救われるとは思ってもいなかったよ。人生、何があるかわからないもんだ」

「魔女のきまぐれですから、どうか気にしないでくださいまし」


 そう答えると、互いにくすっと小さく笑った。

 彼の優しい声音は、どこか人を癒すものがある。貴族の子供らしい丁寧な言葉遣い、それから柔らかい表情をしているからか、随分と話しやすい。人との会話はかなり久しぶりのはずなのに、自然に会話できていることにリナーシャは驚きを隠せなかった。

 カップに手を伸ばそうとした時、テーブルの上に自分の分の紅茶しかなかったことに気付く。


「あっ、紅茶は飲まれますか? この森で取れた茶葉なので、少々人間が飲んでいるものとは味が異なるとは思いますけれど……美味しいですよ?」

「それは気になるね。ぜひ飲んでみたい」


 青年の言葉に小さく頷くと、リナーシャは台所へと向かった。

 紅茶の葉は台所の小さな棚に収めてある。歩みを進めながら、彼女はちらりと青年を覗き見た。

 彼は不思議そうに部屋の様子を伺っていた。視線は机や壁をさ迷い、時折短い息を漏らしている。その様子は、緊張と興味が交錯しているようにも見えた。

 

(まあ……見慣れないものばかりですよね)


 喉の奥で笑うと、リナーシャは慣れた手つきでティーポットに火をかける。


「君は……本当に〝花の魔女〟リナーシャ=メイガスなんだね」


 部屋を見渡しながら、青年は低く感慨深げに呟いた。

 助かったという自覚がまだ持てないのだろう。彼からすれば、未だに夢見心地なのかもしれない。


「そんな風に呼ばれていた頃もありますね。今は、森の奥でただ花を摘んでいるだけの暇な女です」


 リナーシャは軽口を叩きながら、ティーポットを火から下ろした。そして、湯を静かにカップに注ぐ。茶葉がふわりと広がり、甘く柔らかな香りが空間に漂った。

 なに、嘘は言っていない。実際に自分が四大魔女のうちのひとり〝花の魔女〟として人間に関わっていたのはこの青年が生まれるよりも遥かに昔のことであるし、今は草花を摘んでは研究に明け暮れているだけだ。


「はい。どうぞ……えっと、セネトさん、とお呼びしていいですか?」


 テーブルに戻って彼の前に紅茶を置いて座り直してから、改めて訊いた。

 彼がセネトと呼ばれていたのは耳にしていたが、実際名乗られたわけではないので、名を呼ぶことを控えていた。


「ああ、そうだった。自己紹介が遅れたね。僕はセネト=ケリガン。セネトでいいよ」

「では、よろしくお願いいたしますね、セネト。私のことも、リナーシャとお呼びください」


 リナーシャが座ったまま小さくお辞儀すると、セネトは驚いたようにまじまじとこちらを見つめていた。


「……? どうかしましたか?」

「いや、すまない。ケリガンの名を聞いて何も反応しなかったから、少し意外だったんだ」

「気を悪くさせたならすみません。私、森の外のことは詳しくなくて。有名なお家柄なんですか?」


 リナーシャが首を傾げると、セネトは小さく笑いながら肩を竦めた。


「まあ……良くも悪くもって感じだけどね。家を飛び出して冒険者ごっこなんてやってるってことは、それなりに悪い意味もあるってことさ」


 セネトの言葉は軽かったが、微かに曇る表情がその裏に隠された事情を物語っていた。

 きっと、言葉の裏には触れられたくない理由が隠れているのだろう。


「そういえば、少し気になっていたことがあるんですけど」


 リナーシャは何となく家の話をしたくなさそうなセネトの空気感を読み取って話題を変えた。


「なんだい? 僕に答えられることなら答えるよ」


 セネトが少し驚いたように眉を上げたところで、リナーシャは紅茶を一口含みながら視線を合わせた。

 どうせなら、もうひとつ気になっていることについて訊かせてもらおう──そう決意して、ゆっくりと口を開いた。

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