第3話 魔女の介抱

 リナーシャは寝息を立てる青年を眺め、小さく溜め息をついた。


(ひどい怪我……家に運んでから治療した方が良さそうですね)


 骨折している手足、酷く腫れ上がった顔、毒に冒され血の気のない唇。その姿はまるで、壊れかけた人形のようだった。

 折れてしまった骨をちゃんとした形で元に戻すには、やはり暗い闇の中では難しい。治癒魔法は自宅でかけた方がよさそうだ。

 そう判断したリナーシャは、魔法で青年を浮かび上がらせ、そのままそっと自宅まで運んだ。

 リナーシャの家は、〝魔の森〟の中心──花畑の真ん中にある。明るい月の光に照らされるその家は、森の中で唯一の温かさを感じさせる場所でもあった。

 花々に覆い尽くされた庭を抜けて家の中に入ると、浮かせた青年をそっと自身のベッドに寝かせる。その拍子に、傷が痛んだのか彼は小さく呻いた。


(……久しぶりに、あの魔法を使ってみましょうか)


 リナーシャは自らの記憶を掘り起こし、すっと手を翳した。

 すると、空気がわずかに揺らぎ、彼女の手元に淡い花びらのような光が集まっていった。その光はやがて小さな花の形を取り、彼の体を優しく包み込む。花びらが舞い踊るように体を癒していく様子は、まるで命そのものが再生しているかのようだった。

花命癒光ヴィタフローラ〉──植物魔法における、究極の治癒魔法である。瀕死の傷を治し、毒をも取り除く。老衰などはどうしようもないが、大抵の病も治すことは可能だ。

 この魔法を使うのは随分と久々だったが、ちゃんと発動してくれたので、ほっと安堵の息を吐く。

 顔の腫れが引いてきて、その端正な顔立ちが浮き彫りになる。目尻の形、すっと通った鼻筋、穏やかな口元。もともと整っているとは思っていたが、思わずじっと見つめてしまうほどに、彼の寝顔は綺麗に整っていた。


「綺麗な顔……本当にお花みたいですね」


 顔を改めてじっくりと見て、思わずそんな感想が漏れてしまった。

 先程の冒険者達が彼に嫉妬してしまうというのも、少しわかった気がした。貴族上がりで顔も整っていて、それでいて冒険者をやっているというのだから、きっとこの青年は町でも人気者だったのだろう。やっかまれてしまっても無理はない。


(まあ……それでも、あれはやり過ぎだとは思いますけど)


 先程の集団私刑を思い出すとそれだけで胸が痛む。

 信用している仲間達に裏切られ、そして殺されそうになり……彼は、どれだけ傷付いただろうか。

 ただ、同時に疑問もあった。

 こうして身体を診ていると、このセネトと呼ばれた青年が結構な実力者であることも何となくわかってくる。身体もしっかりしているし、人間にしては魔力も高そうだ。吹き矢を吹かれるまでの間に、一瞬の猶予もあった。この青年ならば、あの状況から反撃に転じることもできたのではないだろうか。


(……私が気にすることでもありませんね)


 少し考えてから、その結論に至った。

 どうしてか、この青年のことになるとお節介になってしまう。何だかそれが不思議だった。

 そうして治療を続けることおよそ十分……毒も全て抜けて治療が全て終わると、青年は安らかな寝息を立てて眠っていた。

 骨折していた部分にもそっと触れて動かしてみたが、骨接ぎも上手くいっている。


(これでもう大丈夫、と)


 リナーシャはほっと一息吐いてから、辺りを見渡した。

 部屋の中には、リナーシャが日々収集した植物や研究道具が整然と配置されていた。壁には色とりどりの乾燥花が飾られ、机の上には未完成の魔法の草案が丁寧に広げられている。それらはリナーシャの積み重ねてきた静かで穏やかな日々を語るものであり、その空間に人間という異物が紛れ込むことで、静寂の輪郭がより鮮やかに際立っていた。

 気持ちを落ち着けるように、リナーシャは台所で紅茶を淹れた。湯気の立つカップを手に、いつものように本棚から一冊の分厚い本を取り出す。

 リナーシャ自身が手掛けている、植物魔法の研究書だ。〝花の魔女〟と呼ばれるリナーシャでも、まだまだ知らない植物魔法が数多とある。

 植物魔法は魔力を込めることでその植物単体の特性を増幅させることが主だが、いくつかの植物を掛け合わせることで新たな植物魔法が生まれることもあるし、様々な植物を媒体にすることで異界の植物を召喚することもできる。組み合わせなどは無限にあり、その魔法を研究することが、今の彼女の過ごし方でもあった。

 ここ〝魔の森〟は植物の種類が他の地域よりも多く、家の周囲にある花畑にも、時折彼女が初めて見る花がぽっといきなり咲いていることもある。人間界とは縁を切って、そうした草花を調べることに、生涯を費やすそう決めていたはずなのに──。

 ベッドで静かに眠る青年をちらりと見やって、何度目かの溜め息が漏れた。そう心に決めていたはずなのに、どうして自分のベッドで人間が寝ているのだろうか。やはり、今日の自分は気の迷いが過ぎる。


「こうして人を迎えるのは、いつ以来でしょうか?」


 微かに動く青年の寝息を耳にしながら、リナーシャはカップを口元に運んだ。紅茶の甘い香りが広がり、少しだけ顔が綻ぶ。

 もう大抵のことで驚ったり焦ったり悩んだりすることなどないと思っていたが、久しぶりの〝客人〟を前に、自分の気持ちに揺らぎを感じていた。

 そして、その揺らぎがほんの少しだけ、楽しい。

 リナーシャは、そのようにも感じるのだった。


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