第2話 未来の勇者と魔女の邂逅

「ぎゃっはっは! 死ね、死ね!」

「てめぇらみたいな貴族のために何で俺達が税金を払わないといけねぇんだ!」

「悪いが、貴族の冒険者ごっこに付き合わされて危ない目に遭わさるのは御免なのだよ。変な理想を抱いた自分を恨むといい」


 三人の冒険者達は、暴言を吐きながら無抵抗の青年に殴る蹴るの暴行を加えていた。

 両手両足の骨が折れ、もはや青年は呻くのが精一杯といった様子。そう長くは持たなそうだ。

 リナーシャは姿隠しの魔法で身を潜め、目の前の醜悪な光景を静かに見据えていた。


(ひどい……どうしてこんなことができるんですか)


 その醜い光景に、思わず眉を顰めた。

 こういった光景を見るのは随分と久しぶりだが、人間の醜さは相変わらず健在のようだ。

 相手を反撃できない状態にして自分達が圧倒的に優位に立った上で弱い者いじめをして、悦に浸る。彼らには誇りというものがないのだろうか。


「さて……もうこんなもんで十分だろ。帰って酒でも飲もうぜ」

「報酬が三等分になるからな。これからは儲けが増えるぜ」

「こいつに女を奪われる心配もないからな。全く、顔が良くて身なりがいいだけで女共は簡単に騙される」

「とはいえ、そのお顔ももう悲惨なものだけどな」


 三人がそれぞれ青年に一発ずる蹴りをお見舞いしてから、下卑た笑い声を上げる。

 その笑い声が、リナーシャにとっては耳障りでならなかった。


(本当に……不愉快です)


 リナーシャは彼らの背をじっと見つめ、わずかに溜め息をつく。

 いつ以来だろう? これほど心の中に黒い感情が渦巻いたのは。少なくとも、この森の中で平穏に暮らしている間には感じたことがない感情だ。

 自分自身に何度も気の迷いだと言い聞かせつつも、リナーシャは彼らの背中に向けて、手のひらを向けた。


(どうしてここが〝魔の森〟と謳われるか……その由縁を見せて差し上げますね)


 リナーシャの魔力が森全体に広がると、風が花びらを舞い上がり──冒険者達の足元に静かに降り注いだ。

 突然森の空気が重くなって冒険者達は周囲の静けさに違和感を覚えたのか、きょろきょろとしていた。


「な、なんだ……?」

「空気が、おかしくねえか?」

「魔物の気配はなさそうだが……」


 三人がそれぞれ身構えて、背中合わせになったその刹那。

 地面に落ちた花びらが無数の目と化し、冒険者達を睨みつける。


「ひ、ひいいい! 花の目!?」

「なんだ、なんだ!?」

「花に目なんてあるはずがねえ! げ、幻覚だ!」


 冒険者達が口々に声を上げるが、その声音は恐怖で満ちていた。


(幻覚……だといいですね?)


 リナーシャはふっと鼻で笑うと、更に魔力を込めた。

 冒険者たちの足元から無数のツルが伸びてきて、彼らの足元に巻き付く。

 足元に絡みついたツルが脈打つように動き、まるで生き物のように男たちを締め上げた。


「ひっ……!」


 ブライソンが振り払おうとするたび、さらに強くツルが絡みつき、冷たい湿り気が肌に吸い付いていく。


「いやだ、やめろ!」


 恐怖に慄く声が森に反響し、その度に花びらの目がじっとりと見つめ返すようだった。


「く、くそ……ッ! 切っても切っても生えてきやがって!!」


 彼らは短刀や魔法でツルを切ろうとするが、切ったそばからさらに強いツルが生えてくる。

 ここ〝魔の森〟は〝花の魔女〟の庭。全てを彼女の意のままに操れるのだ。


「おい、火を放て! こんな森全部燃やしちまえ!」


 ブライソンが必死に虚勢を張って、魔導師に指示を出した。

 魔導師が「そうだった」と冷静になり、慌てて詠唱に入る。

 しかし、それは〝花の魔女〟の前では禁句同然。さすがにリナーシャもカチンとくる。


(火、ですか。もう少々痛い目を見た方が良さそうですね)


 リナーシャが指先をひとひねりする。その動きに呼応するように、森全体がざわめき、地面が微かに震えた。

〝花の魔女〟の背後で花々が一斉に咲き誇り、甘い香りを吐き出す。それはまるで、森全体が彼女の意志に応えているかのようだった。


「な──!? ~~~──!!」


 魔導師が驚きの声を上げようとしたが、次の言葉は繋がらなかった。彼の喉からは、声を発せられなくなっていたのだ。

 一時的に声を奪う植物魔法〈黙示の花牢フロラリス・ムタエ〉。言葉を発せなくなってしまえば、詠唱などできるはずがない。魔導師など、これで一気に無力化してしまえるのである。

 もうそろそろ仕舞いだろう。


『あまり魔女を怒らせないでくださいね。それとも……そろそろ、死にますか?』


 リナーシャは、花に乗せて自らの声色を変えると、彼らの耳元でささやくようにして言った。彼らには、舞っている花びらひとつひとつから声が聞こえてきているといった状況だろう。

 魔女、という単語で男達の顔色が更に青くなっていく。


「魔女!? 魔女だって!? まさか、〝花の魔女〟か!? ひぃぃぃぃ!」

「そんなもん実在すんのかよ!? なんで俺達がッ」

「────!? ────!!」


 それぞれ男達が戦慄する。

 魔導師の男は、〈黙示の花牢フロラリス・ムタエ〉で言葉さえ発せられなかったようだ。

 男達が小便を漏らしかねない勢いで慄いたタイミングでツルの魔法を解いてやると、冒険者達は我先にとその場から逃げ去って行った。

 先程弱い者いじめをしていた時の調子の良さは、微塵も感じれない。


「まあ……今は私が弱い者いじめをしている側ですからね」


 彼らの足音が遠ざかると、リナーシャは姿隠しの魔法を解いて、深く息を吐き出した。

 魔法が解けた森は再び静けさを取り戻していた。揺れていた木々も静まり、舞い上がった花びらはふわりと地面に落ちた。


「……大丈夫ですか?」


 リナーシャは膝を突いて、足元でボロ雑巾のように転がっている青年に声を掛けてみる。


「あ、ぐ……」


 セネトと呼ばれた青年が、呻いた。目だけは辛うじてこちらを向いているが、こちらが見えているのかどうかさえも定かではなかった。意識も朦朧としているのだろう。

 彼の容態は、かなり悪い。毒に侵され、身体の至る所に骨折が見られており、顔中も腫れていた。せっかくの綺麗な顔が台無しだ。


「は、な、の……魔、女?」


 か細い声で問いかける青年に、リナーシャはそっと微笑んだ。


「はい。大昔に、そう呼ばれていたことがありました。取って食べたりしませんから、今はどうぞ安心してお眠りくださいまし」


 リナーシャはできるだけ優しい声でそう言ってから、そっと彼の目に手のひらを当ててやる。

 彼が安らかな寝息を立てたのは、それから間もなくのことだった。

 夜風がそっと森を撫で、月明かりが彼の穏やかな表情を柔らかく照らしていた。


(ふふっ……可愛い寝顔)


 リナーシャはそっとその腫れた頬に手を添える。

 これが、後に勇者として名を馳せる男と〝花の魔女〟の邂逅だった──。




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