第2話:断片達の墓場

 視界が明るくなったのが硬く閉じた瞼越しに分かった。


 そして、次に訪れたのは嫌な浮遊感。

 あぁ、これはアレだ。遊園地とかでこんな風に上まで打ち上げて落下させるアトラクションがあったな、と思いだしてしまった。あれと違うのは安全バーがないことと、二度と上に戻ることはないということだ。

 目をうっすらと開けると、眼下には広い森が広がっていた。


 当然、次に来るのは落下。

 かなりの高度らしくどんどん落下していく。真下にある巨大な樹が俺を飲み込もうとするかのように迫ってくる。

 喉は干上がり悲鳴は出ない。ただ、自分には死が待っている。せっかく出てきた東京で、ゲームだけして過ごして、友達なんてほとんどいなくて、挙げ句の果てに召喚されて期待してみたらこのザマ。

 

「うぅう、う、こんな……こんなのってあるかよ! くそっ!」


 脳裏に自分を大学に送り出してくれた家族の、妹の顔が浮かぶ。


『兄さんは、もっと自分を大事にしなくちゃだめだよ』


 幾度も言われた言葉を思い出す。

 俺は、まだ死ねない。

 

 引き攣れた喉をこじあげるように言葉にならない叫びをあげながら、迫る大樹に突っこむ。どうにか勢いを殺さなければいけない。がむしゃらに腕を振り回し、枝を掴み、手を滑らせ、折れた脚を叩き付けて勢いを殺し、蔓や葉を掴んで引きちぎっては掴んで。


 そして、無惨に地面に叩き付けられた。


 身体のあらゆる場所からぼきぼきぶちぶちと嫌な音がした。脚から落ちることも出来ず、無様に腰から落ちて呻く。

 だが、生きていた。必死になってスピードを殺そうとしたことと、下にクッションのようなものがあったことでなんとか一命は取り留めたようだ。


 安心したのもつかの間、激痛と吐き気を感じ、耐えることも出来ずなにかを吐いた。真っ赤な血だった。


「おぶっ……げぇっ、ぐぅ……」


 下腹部に鋭い痛みが走る。落下の際に内臓が衝撃で破裂でもしたのだろうか。直後、全身の激痛が脳を貫いた。もう脚だけではない。あらゆる場所の骨が折れている。痛い、痛い、助けてくれ。


「あぁあああッ……」


 呻きながら激痛から逃れようとして地面を転がろうとするが、それもかなわない。少し身じろぎした瞬間に腹に激痛が走った。おそるおそる見ると、脇腹から真っ赤な血に濡れた骨が飛び出していた。


「ッ!」


 どれだけ体内がめちゃくちゃにされたら脇腹から骨が飛び出すというのだ? 自分の身体はもう取り返しのつかない状態になっているのか。


 いや、違う。これは自分の骨ではない。これは、何かが刺さっているのだ。激痛に耐えながら身じろぎすると自分が下敷きにしたものが見えてくる。


 蔦に覆われた大量の人骨だった。山のように積もったそれに俺は落ちたのだ。


「(まさか、これ、全部俺と同じ目にあった……ッ)」


 戦慄し、歯を食いしばりながら必死に這いずってそこから少し離れる。刺さったままの人骨が俺を引き留めるように蔦に引っかかったので、蔦を引きちぎった。骨を抜いたら致命的なことになりそうな気がした。引きちぎるときに突き刺さった骨が引っ張られて、内臓をかき回すような鮮烈な激痛が脳を焼く。これだけ全身痛みに襲われているのに、まだ体は律義に新たな電気信号を送ってくる。


「うぅ、う」


 振り向くと、人骨の山には大樹の幹から伸びた細い蔦のようなものがぐるぐると絡み付いていた。まるで、植物に食われてしまったかのように。見上げてみれば自分が衝撃を殺すために使った大樹は森の中でも一段と大きかった。おそらくは、こうして落ちてきた人間の死体を養分として成長したのだろう。みんな落下によって即死したということだろうか。


 そう思ったのと同時に、白骨の山のそばの地面から芽が出た。そして、ゆるゆると揺れながら、周囲にゆっくりと伸び始めた。その植物は、骨に絡まっている蔦に似ていた。


「植物が……動いてる?」


 みんな即死したのではない。これは、脚を折られて落下して動けないところをこの植物に捕われて死んだのだ。落下の衝撃で動くことも出来ず、ゆっくりと絶命するまで捕われ続けたのだ。

 ここは前の世界の常識は通用しない。魔物もいるし、樹も人を食うのだ。


 そう悟るやいなや、俺は激痛に悲鳴を上げる身体をむち打って、大樹から離れるように這ってそこから逃げ出した。唯一怪我していない右腕で、必死で身体を引きずる。


 残された植物の芽がゆっくりと辺りを見回すように動いているが、あの速度なら流石に追いつかれないだろう。とにかくこの森から出なければ。


**


 そして、物語は冒頭に戻る。


 もう落下からしばらく経っていた。


 必死に這いずってきたが、もう無理だ。

 身体は激痛すらももはや感じず、右腕は疲労によって痙攣している。

 俺が通ってきた跡についた血痕の場所からは次々と植物の芽が出てきていて、周囲へ伸びながら揺れている。まるで獲物を探す蛇のように。捕われるのも時間の問題だろう。


「……死にたく、ないなあ」


 だんだんと薄暗くなってきている。太陽がないダンジョンの中であっても時間の概念はあるらしい。光を放っていた遥か上の天井は徐々に輝きを失いつつあった。


「……きゅーん」


 そのとき、ぽつりと呟いた俺の言葉に呼応するように、小さな鳴き声がした。

 ゆっくりと首を回して音の方向を見ると、蔦に捕われて動けなくなっている子狐がいた。前足を怪我している。それで動けなくなったところを捕われたのだろうか。


「……お前も俺と同じか、仲間だな」

「きゅう」


 そのとき、『死にたくない』とその子狐が言っているような気がした。


「……」


 自分はここで死ぬとしても、せめて、この子狐は助けよう。

 自分が終わりかけているのに、そんなことを思った。


 ゆっくりと、這いずって近づく。そして、震える右手で子狐を捕らえている蔦を根元から千切っていった。蔦は抵抗するように子狐を締め上げたが、千切られると力を失って枯れていった。

 子狐は解放されたことで、よろよろとふらつきながら歩き出そうとして転んだ。


「よし、これで大丈夫だろ……」


 しかし、子狐は転んだままうずくまっていた。

 よく見れば、前足がおかしな方向に曲がってしまっている。


「骨折……ゴメンな、治してやれれば良かったんだけど……俺にはそんな魔法ないんだ」


 確か、他の学生の中では治癒法術に特化した者もいた。でも自分には無かったはずだ。そもそもステータスをよく見れなかった。

 それでも、どうにか治してやりたい。そう思った瞬間、自分の右腕が淡く輝いた。


「ッ、あぁっ!?」


 右腕の骨が軋んで突然折れる。今更一本骨が多く折れたところでたいして変わらないのだろうが、それでも新しい痛みは脳に刺激をもたらす。何が起きたのかは分からないが突然右腕があらぬ方向に折れ曲がった。


「きゅう?」


 しかし、代わりに子狐の右前足は治っていた。まるで状態を交換したかのように。


「きゅう! きゅう!」


 子狐は嬉しそうに跳び回り、そして俺の方へ近寄ってきて鼻を擦り寄せた。俺は少しだけ心が和らぐのを感じた。あぁ、良かった。何が起きたかは分からないが、自分はこの子狐を助けられたのだ。


 しかし、喜びもつかの間、子狐を失い千切られた蔦が怒り狂うように伸び始めた。そして、俺が全身から流す血の跡を辿るようして近づいてくる。


 子狐も気づいたようで、蔦に向かって威嚇を始めた。だが、植物にそんなものは効きはしない。蔦はすぐに俺の右腕に絡み付き、ゆっくりと締め上げはじめた。


「ぐ、う」


 地味に効く。それだけで折れた腕は縛められてしまう。


「きゅーう! きゅーう!」


 子狐が右腕に絡んだ蔦を千切ろうと治ったばかりの前足で叩いたり、噛み付いたりしているが上手くいかない。より強く締め付けられていき、際限なく増える蔦で俺の身体は覆われていく。


「……行けよ」

「きゃうー!」


 いやいやとするように子狐は鳴いた。だが、このままここにいては子狐も捕われてしまうだろう。俺は声を荒げた。


「行けって言ってんだろ! とっとと逃げろ!」

「……きゅうん」


 子狐は大声に驚いたように動きを止め、悲しそうな顔で俺をしばらく見て、踵を返して走り去った。遠ざかっていく小さな姿。


「……じゃあな」


 そして、俺は目をつむる。

 

 ここで終わりだ。

 なんにもならない人生だったが、一つの命を救えたのなら多少は救われる。

 ただ、元の世界に残してきた妹のことだけが気がかりだった。


 力を吸い取られるような感覚を覚えながら、ゆっくりと俺は眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る