脱出
日が傾きかけた頃、ミアは夕食の支度をしていた。今夜は久しぶりに豊かな食卓で自然と鼻歌が漏れている。
「ミア」
ミアが振り向くとアルトがいた。ミアは火のそばに置いた椅子代わりの大きな葉を示してアルトを座らせた。
「もう起きて大丈夫なの?」
「うん……今日は悪かった。俺のせいで計画が狂ったよな」
「何を今更。アルトが熱出した時点で狂いまくってるじゃん」
「それを言うならお前だって二日目に爺さん助けて一日無駄にしたじゃないか!」
「熱出して二日も無駄にした人に言われたくないね。そもそもボートが転覆したのだってアルトの計画がずさんだったからでしょ」
ピコがオロオロしながらふたりの間を行ったり来たりするが険悪なムードは少しも収まらない。
「それなら俺なんか置いてさっさとひとりで行けばいいじゃないか!」
「ふたりで行かなきゃ意味ないって言ったのアルトだよ?」
「ああ、もうっ。なんでこんなに何もかもうまくいかないんだっ!」
アルトが髪を掻きむしった。
「もういいよ、どうせ全部俺のせいだって言いたいんだろ。かっこつけてひとりで背負い込んで、結局オールを完成させられなくてまた熱出して。情けないやつだよ、俺は。笑いたきゃ笑えよ。ああ、もうお終いだ!」
ミアは黙ってアルトの叫びを聞いていたが、おもむろに立ち上がって二本のオールを持ってきてアルトに渡した。
「これは……まさかミアが完成させたのか」
「まさかって何よ、失礼な。そりゃアルトみたいにうまくはいかないけどやればできるのよ」
「……そっか、できるのか」
「そうだよ、だからもっと信じてよ」
アルトはミアの作った不細工なオールを優しく撫でながら言った。
「俺さ、事情があって両親いなくて、小さい頃から何でもひとりでやらなきゃならなかったんだ。世話してくれたおじさん夫婦は貧しかったけど、実の子のように可愛がってくれた。でも、どこかで頼っちゃいけないって思ってたから甘えることもしなかった。可愛げのない子だったと思うよ」
「今もね」
「だな。帰ったら会いに行くよ。急に甘えたら気持ち悪がられるかな」
「喜んでくれると思うよ」
「そっか」
「何だお前ら、急に仲良しじゃねえか」
突然トーマが現れた。気づけば日がとっぷり暮れている。アルトがクスリと笑って言った。
「盗み聞きですか? 下品ですよ、先生」
「盗み聞き? 盗み聞きって何ですか?」
ピコが不思議そうに聞いてくるのをかわしながらトーマが鍋をのぞき込んだ。
「おお、旨そうだなあ。俺の分もあるかな」
翌朝、日の出と共にふたりは湖に漕ぎ出した。最終日の今日は正午に地図の更新が止まる。つまりそれまでに一度通った場所までたどり着けないと、ミアたちの地図は最初に囲った僅かな部分だけで評価されてしまうことになる。それは何としても避けたかった。
そこで今回はミアが二本ともオールを握り、体力の落ちたアルトは舵を切ることにして陸までの最短距離を進む計画を立てた。
「疲れたら俺が替わるから」
「病人が偉そうに。私を誰だと思ってるの」
「そうだな、ミアだもんな。頼むよ」
「了解! 出力全開!」
ボートは素晴らしいスピードで進み、日が高くなる頃には対岸に着くことができた。しかし、そこからが大変だった。病み上がりのアルトが長距離を歩くのはかなり無理があったし、ミアもまた長時間のボート漕ぎで体力を消耗していた。ふたりは肩を組み必死で北を目指したが、あと数キロというところでとうとう一歩も歩けなくなってしまった。
「ミア、ごめん、俺が意地を張ったばっかりに」
「あの森のおじいさんの一日がなかったらゴールできてたかもしれないし、私こそアルトの夢を奪ってごめん」
ふたりは草原に大の字に寝転んだ。大草原と青い空に白い雲、この世界に来た日と同じ景色が広がっていた。
「ライザ!」
ふたりの上を漂っていたピコが突然声を上げた。
「ライザ?」
「ミア、アルト、見てください。ライザとおじいさんの馬車が来ますよ!」
ふたりが立ち上がると、確かに遠くに馬車が見える。ふたりは両手を思い切り振って声を上げた。
「おじいさん、どうしてこへ?」
「森へ向かっていたら突然ライザがこっちへ走り出したんじゃ。まさかまたおふたりさんに会えるとはな。急いでるんじゃろう? さあ、乗った乗った! 今度はワシが魔法使いを助ける番じゃ!」
日が真上に登る頃、ミアたちの地図は八割がた完成した。
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