決断

 ミアはピコを追って砂浜を走り雑木林に入った。まだ薄暗い木の間を抜けた先にぽっかりと開けた場所があり、中央に小さな泉が湧いている。その傍らには数頭の鹿が群れていて、その脚の間からアルトが倒れているのが見えた。

「アルト!」

 ミアの声に驚いたのか鹿たちが一斉に跳ねて散らばったが、その騒がしさの中でもアルトはピクリともしない。ミアは急いで駆け寄るとアルトの胸に耳を押し当てた。アルトの体温と鼓動がミアに伝わった。

「生きてる」

 ミアは全身の力が抜けてへたり込んだ。

「この子たちがピコに教えてくれました」

 遠巻きに取り囲む鹿が心配そうにミアを見ていた。

「ありがとう」

 ミアは一頭一頭の顔を見ながら心を込めてお礼を言った。アルトの足元には木を加工しようとした形跡がある。多分オールを作るつもりだったのだろうとミアは思った。


「まったく人騒がせな。どんだけ心配したと思ってんのよ。アルト、ねえ、アルト。こんなとこで寝てたら風邪ひくよ。ほら、起きて」

 ミアが肩を揺さぶってもアルトが目を覚ます気配がない。ミアは再び不安に襲われた。

「アルトってば、起きなさいよっ」

 アルトの顔を両手で挟んだミアはその熱さにぎょっとした。薄暗がりで気づかなかったが、顔を近づけるとアルトは苦しげな浅い呼吸をしている。

「ミア、どうしたんですか」

 心配そうに覗き込むピコにミアは言った。

「熱がある。しかもかなり高いみたい」

「ねつ?」

「うん、体がものすごく熱くなること。人間の体にはかなりダメージが大きい状態なの。どうしよう」

 ミアはとりあえず自分の上着を脱いでアルトにかけた。何にせよアルトをこんなところに寝かせておくわけにはいかない。しかし、間もなくトーマがテントを回収しに来る。そもそもミアよりも体格がいいアルトをテントまで運ぶこと自体不可能だ。となるとこの場に簡易ベッドをしつらえるしかない。ただ、アルトの熱はかなり高い。こんなところに寝かせて万一のことがあったらと思うと、いっそトーマに頼んでリタイヤした方がいいのではと思えてきた。


 アルトの隣に座ったままあれこれ考えあぐねていると、ミアの服の裾が引っ張られた。アルトが薄目を開けてミアを見ている。ミアはアルトの顔に自分の顔を近づけた。

「大丈夫?」

「お前、リタイヤしようと思ってただろ?」

 苦しい息の下からアルトが声を絞り出した。

「だってひどい熱だよ。お医者さんに診てもらった方がいいって」

「頼む、このまま試験を続けさせてくれ」

「そんな無茶な……じゃあ、せめて薬だけでも貰おうよ」

「ダメだ。アドバイス以外は、ダ、メ……」

 そこまで言うと、アルトはまた気を失った。

「水!」

 ミアは走り出した。走っていたら理由もわからず涙が出た。泣きながら自分たちの荷物を全部抱えてアルトのところへ戻った。それから焼けるように熱いアルトの体を抱え起こして、その口に給水ボトルを押し当てた。

「アルト、水飲んで。飲まないと試験に戻れないよ!」

 しかし、何度試しても水は溢れてアルトの首元を濡らすだけだった。ミアは自分の口に水を含むと、アルトの唇に押し当てた。すると水は溢れることなくアルトの喉に流し込まれた。ミアは何度も何度もそうやってアルトに水を飲ませ続けた。


 程なく夜が明けた。ミアはテントまでトーマを迎えに行き事情を話して泉まで来てもらった。トーマはアルトの脈をとるなり険しい顔で言った。

「アルト、聞こえるか。途中でやめたくない気持ちはわかるが、この状態では無理だ。チャンスはまたある、今回は一旦諦めたらどうだ」

 アルトが薄目を開けた。

「僕は、諦めたく、ありま、せん」

 トーマが深いため息をつく。

「仮に今日熱が下がったとして、ボートは壊れてるしどうやって湖を渡るつもりなんだ。残り二日半しかないんだぞ。ミアもなんとか言ってやれ」

「私も諦めたくありません」

 意外なミアの言葉にトーマがのけぞった。

「はあ? ミアまで何言い出すんだよ」

「アルトの面倒は私が責任持って見ます。どうしようもなくなったら地図を破って助けを求めます。約束します。だからそれまではアルトの意志を尊重してあげてください」

「お前らいい加減にしろよ……」

 トーマは暫く頭を抱えていたが吹っ切ったように顔を上げた。

「テントは?」

「いりません」

「寝袋は?」

「いりません」

「薬もか?」

「必要ないです」

「はあ、ミアまでこんなに強情だとはな。わかった、全部引き上げる。その代わり、緊急時には躊躇するなよ。それから濡れタオルで頭を冷やしてやれ、少しは楽になるだろう」

「アドバイスありがとうございます」

 トーマはフンと鼻で笑うと「夕方また来る」とだけ言って去って行った。

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