船上
翌朝は少し冷え込んだ。ふかふかの寝袋から出た顔が冷たくて、ミアは普段より早く目が覚めた。隣を見るとそこに寝ているはずのアルトはおらず、その代わりテント越しに揺らぐ炎とそのそばで動く人影が見えた。ミアは一緒の寝袋で寝ているピコを起こさないようにそっと抜け出して外へ出た。
「何してるの?」
アルトの足元には布やら棒やら木の板が散乱している。アルトは作業の手を止めずに答えた。
「ボートを作ってる」
「ボート? これが?」
ミアの声音に、アルトは明らかに不快そうな表情を浮かべた。
「これから形になるんだ」
ボートと呼ぶには程遠い端材の数々をミアは不安な気持ちで見つめた。
「何か手伝えることある?」
「いや、ひとりでやった方が早い」
ミアはその言い方に引っかかりを感じたが、口には出さず黙って焚き火のそばにしゃがんだ。そうして見るとは無しに作業を見ていると、アルトの手が不意に止まった。
「まだ早いから寝ててくれ。その方が集中できる」
「……わかった」
ミアは腹立たしいというより何か情けない気分でテントに戻った。薄明かりの中でピコが穏やかな寝息を立てて眠っているのが見えた。ミアは静かに寝袋に潜り込み、ピコの頬をそっとつついて目を閉じた。
どれくらい経ったのか、ミアはテントの外からミアの名を呼ぶトーマの声で目を覚ました。いつの間にか外はすっかり明るくなっている。ミアはまだ眠そうなピコを寝袋に残してテントから出た。
「先生、おはようございます」
「おう、起きたか。テントの回収時間だ」
ミアはピコを起こすと暖かい胸ポケットに入れ、荷物をまとめて寝袋をたたんだ。アルトの荷物はもうすっかり片付いている。しかし、肝心のアルトの姿が見えない。
「先生、アルトは?」
「アルトならあそこだ」
トーマの指差す先の水際に昨日までなかったボートらしきものが浮かんでいて、そのそばにアルトの姿があった。
「ほんとに作ったんだ」
ミアは少し複雑な気持ちだった。ピコが歓声を上げてひらひらと飛んでいく。その後ろ姿を見送りながらトーマが言った。
「アルトは寝てないんじゃないか」
「たぶん、そうだと思います」
「あいつはやると決めたら決して諦めない。ただその強い意志のせいで無茶をしたり他人と軋轢を生むことも多いんだ。お前も色々思うところはあるだろうがよろしく頼むよ」
「……わかりました」
そうは言ったものの、自分には荷が重いとミアは思っていた。
簡単な朝食を済ませ、いよいよボートに乗るときがやってきた。ボートと言っても、アーモンド型の板に申し訳程度の船べりがついただけの簡素なもので、何かしら布のような物がぴっちり貼り付いている。
「これに乗るの? 沈まない?」
アルトはあからさまにムッとした。
「完全防水で沈まない。何度も実験したから大丈夫だ」
「ならいいけど……」
ミアは恐る恐る乗り込んだ。ピコは頭上で様子を見ている。ミアの体重でボートはぐんと沈んだが、すぐさまふわりと浮き上がり、アルトがボートを押すとすうっと進んだ。
「なんか不思議な感じ。水の上を滑るみたいに進むんだね」
アルトは何も言わなかったがまんざらでもなさそうだ。アルトの膝のあたりまで水がきたとき、アルトもまたボートに乗り込んだ。
「どうやって漕ぐの?」
「これで漕ぐ」
アルトが船べりからオールを剥がしてよこした。かなり薄くて軽いしゃもじのような形をしたオールだ。アルトはオールを握ったまま前を向き、大きく左側の水を掻くとボートがくるっと右に回った。
「へえ、凄い!」
ミアも左側の水を掻いてみた。同じようにすうっと右に回る。
「お前は右側を掻けよ。じゃなきゃ前に進まないだろ」
「あ、そっか」
ミアは笑って右を掻いた。
「だから、息を合わせなきゃ回るだけだろって!」
アルトが怒鳴ってミアが舌をペロッと出し、ふたりの船旅が始まった。
ボートは驚く程スムーズに走った。まずは地図の南の端まで進み、それから西に向きを変えたが、水の上は距離感がわかり辛くて度々地図を確認しなければならなかった。
「少しはみ出してたから右に曲がるぞ」
「了解。ねえ、もしはみ出したらどうなるの?」
「地図の外一割程度なら許容範囲だが、それを越えると強制的に振り出しに戻される」
「えっ、それって全部やり直しってこと?」
「そうさ、安全への配慮と楽なルートへの迂回を避けるための規則だ」
「厳格なんだね」
「当たり前だ。人生かかってるからな」
そう言うアルトの横顔はどこまでも真剣だ。
「あれは何ですか」
頭上をひらひらと飛んでいたピコが遠くを指差した。だが、低い位置にいるミアたちには何も見えない。
「船がいるのか?」
「船? 何かをモクモク出しながらこっちへ来ます。それって船ですか」
「まずい、蒸気船かもしれない」
「何がまずいの?」
アルトの慌てぶりがミアを不安にさせた。
「もし大型船が近くまで来たら、その波には耐えられないと思う」
「え、どうするの」
「岸に戻るか、いや……」
アルトは少し先に見える島を指差した。
「あっちの方が近い。大波が来る前にあそこまで行こう」
「わかった」
ふたりは必死に水を掻いた。やがて煙が見え、船の姿も見え始めた。思っていたよりずっと大きな蒸気船だ。次々と波が押し寄せ、ボートのバランスを保つのが難しくなってきた。
「アルト、水がっ!」
大きな波が見えたと思ったその瞬間、ボートはあっけなくひっくり返った。
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