雨宿り

 ミアは念のため雨よけのポンチョをリュックの上から被ったが、アルトはその手間さえも惜しんで先を急いだ。それから十分と経たないうちに雨が降りだした。濡れた岩は滑りやすく、ふたりはしばしば足を取られて転びそうになった。それでもアルトは歩みを止めようとはしなかったし、ミアも敢えて黙って従った。雨は一向に止む気配はなく、むしろ雨脚はどんどん強くなり雷鳴が近づいてくる。これ以上進むのは危険だとミアが思ったとき、やっとアルトが立ち止まって一点を指差した。その先は崖がひさしのようになっていて雨宿りにはちょうど良さそうに見えた。

 実際、三メートル四方ほどのスペースは三方を岩や土で囲まれて雨が振り込むことがない格好の休憩場所だった。中央にしっかりした石組みが残っているのは地元の人もここを使っているからだろう。ミアは手近な石に座るとリュックに避難させていたピコを出してやった。アルトは濡れた髪を拭こうともせず、無言のまま奥の枯れ葉や枯れ枝を集めて火をおこした。それから器用に櫓を組むと、リュックからハンドル付きのポットを出して湯を沸かし始めた。その手際の良さは見とれるほどで、ミアは改めてアルトの多才ぶりに感心していた。


「文句言わないのかよ」

 沸いた湯で作ったココアを差し出しながらアルトが小声で言った。

「文句?」

 受け取ったココアは熱くて甘くて、ミアの冷えた体を芯から温めた。

「美味しい。アルトはほんとに器用だよね」

「そういうのはいいからさ、俺の判断の甘さをいつもの調子で攻撃しろよ」

 アルトは焚き火をつつきながら投げやりに言った。

「昨日迷惑かけちゃったからね、文句なんて言えないよ。それに、アルトの試験に対する意気込みはわかってるつもりだし」

「なんだよそれ……」

 長い沈黙が流れ、ピコが不思議そうにふたりの顔を交互に見た。

「これってもしかして『ケンカ』ってものですか?」

 ミアの顔を覗き込むピコの顔は真剣だ。

「うーん、喧嘩とは違うなあ」

「『言い争い』は覚えました。ふたりがよくしてるから先生に聞きました」

 胸を張って自慢気に話すピコはとても愛らしくてアルトがふっと笑った。

「ったく『羽ばたく叡智』が聞いて呆れるな」

 ピコの頬がぷうと膨らんでミアも笑顔になった。

「やっと笑ってくれました。ふたりともピコの大切な人です。仲良くしてくださいね」

「ごめんね、ピコ、気を遣わせて。アルトみたいな偏屈野郎と仲良くするのは難しいのよ」

「こっちこそ、ミアみたいな脳天気女と行動するのがどんなに大変か!」

「だからあ、仲良くしてくださいってえ」

 ピコのオロオロする姿を見てふたりは声を立てて笑った。

「さあ、体も温まったし、飯にするか」

「そういうことなら大賛成!」

 ミアは宿屋で作ってもらった昼食を取り出してテーブル代わりの石に並べた。


「俺さ、どうしても上級公務員になりたいんだ」

 ウインナーをつまみながらアルトが言った。

「上級公務員? それって勉強も魔法も超一流じゃないとなれないヤツでしょ? めちゃくちゃ狭き門だって聞くけど」

「わかってる。もう既に勝負は始まってて、優秀な成績で中等部を卒業して高等部の進学クラスに入らないとほぼムリだ」

「そっか、それでそんなに必死になってたんだね」

「お前が呑気すぎるんだよ」

「お前言うな!」

 ピコが間に入ってまあまあとたしなめる。

「うちのパパが普通公務員でね、たまに上級公務員の人と仕事するけど全然レベルが違うって! アルトが優秀なのは認めるけどさ、そんなアルトをもってしても簡単じゃないんでしょ。他にもいろんな選択肢があるし、アルトなんか先生とか向いてそうだけど、上級公務員じゃなきゃいけない特別な理由でもあるの?」

「それは……」

 ミアは暫く答えを待ったが、アルトがそれきり黙ってしまったのでいつの間にかうとうとし始めた。


 雨はその後一時間程で上がり、ミアたちの世界と変わらぬ美しい虹が架かった。ミアとピコがその美しさに見とれている間に、アルトは進むべき方向を見定めていた。

「暫くは下りだし、あとニ時間ってとこだと思う。歩けるか?」

「あたしを誰だと思ってんの?」

「猿」

「ウッキー!」

 ピコがケラケラ笑って一行は再び歩き出した。


 長い休憩のおかげで、その後の歩みは順調に進んだ。そしてアルトの言うとおりおよそ二時間で目的の水辺にたどり着いた。ミアもピコも大はしゃぎだ。

「海だー」

「ちがう、湖だ」

「え、でも向こう岸が見えないよ? ほら、あそこに島もある!」

「湖だって。牧場の婆さんたちが言ってたじゃないか」

「なあんだ、つまんないの」

「湖なら波がないから好都合だよ」

「好都合?」

「ここはまだ地図の最下端じゃないから、俺たちは水の上を移動する必要がある。そんなこともあろうかと、俺は万全の準備をしてきたのさ。今日はもう間に合わないから明日のお楽しみだ」

 傾き始めた太陽の光が波ひとつない湖面に長い筋を描いていた。

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