第2話  転生した国


 酷く白茶けた視界。

 ふわりと動くカーテンから始まるこの夢は、ヤスミンにとってもう何度も見た悪夢だ。


 鉄パイプで組まれた白いベッドの上には、バサついた髪の女性が横たわっていた。女性の定まらない視線の中に、かつてのヤスミンの顔を写した。

 どこかドロンとした瞳に、ダサい薄緑の入院着。かなり老け込んでいる女性だが、ヤスミンによく似ている。ただ、唯一似ていない厚めの唇が、ゆっくりと開いた。

 ああ、この夢は、いつも同じ場面で終わる。


『あら、お嬢さんはだぁれ?』



 ハッと、目が覚めた。じっとりとした身体の汗は酷く気持ち悪い。

 ヤスミンの朝は、薄汚いぼろぼろの馬小屋で始まる。

 穴だらけ屋根、ところどころ木の壁は腐りおちて、外から丸見えの素晴らしい自室だ。


「っ……!」

 少し身体を動かすだけで、痛みが身体に走る。数日前に兄姉から痛めつけられた傷が、今も疼いていた。


 ご飯をくすねようとしただけなのに。

 ヤスミンが城の中に侵入したところを、運悪く彼らに捕まってしまった。


 城の外である馬小屋、しかし、馬はもう一匹もいない。

 全て王族どもの、血肉へと変わった。

 最後の一頭は、大変美しい白馬だったが、この前あった国王である祖父の誕生日祝いのステーキとなった。


 藁の上に帆布を敷いただけのベッドもどきに横たわり、ヤスミンは馬小屋から城壁の向こう側へと視線を向ける。


 ドォンッドォンッと、遠くから何度も爆発音が鳴り続け、もくもくと黒い煙が上がっていた。

 段々と音や煙が、城下町へ、城へと近づいているのを肌で感じる。


 私が夢を叶えるのが先か、国ごと戦争で死ぬのが先か、とヤスミンは大きくため息を吐いた。


「黄色い太陽の下 美しい未来へ……って、そんなのあるのか、この国」

 前世の推しの歌を1フレーズだけ口ずさむが、思わず今の状況と違いすぎて、セルフで突っ込む。


 転生した国の名は、グリンウォール。

 かつて、緑豊かな穏やかな国だった。

 しかし、三十年前、祖父が国王になってから全てが変わってしまった。


 何を狂ったのか、軍事国家かつ裕福な隣国の金脈を狙おうと、馬鹿な戦争ケンカをふっかけたのだ。

 勿論、勝てるわけが無く、現在籠城して十年が経過。戦争に根こそぎ人材を使い果たし、豊富だった食料も尽き果てる寸前だ。


 とんでもない国に産まれてしまった。ヤスミンは頭を抱えつつ、ハァッとため息を吐きながら、痛い身体を起こす。そして、ゆっくりとベッドから降りて、馬小屋に設置したねずみ取りを確認する。

「ねずみ取りよし、獲物なし、ミミズは残ってる」

 餌として使ったミミズだけが蠢き、狙った獲物・・・・・はいない。


 食いつきすらしなかったか、昨日は出なかったのか。

 仕方ない、獲物がかかるまでもう少し寝ようか。


 ベッドへと寝転ぼうと踵を返した時、ガサリと小屋の外から草が踏まれる音が聞こえた。


 馬小屋に誰かがやってきた。

 姉たちだろうか?

 思わず、即座に身構えながら、音の正体へと視線を向ける。


 そこには、随分珍しい人が立っていた。


「失礼いたします。ジャスミン第九王女」


 使い古されたロング丈の黒いメイド服に、厳格そうな表情の中年女性。彼女はこの城で数少ない使用人の中で、メイド長をしているアルレリアだった。

 位の高い彼女が私の元へと来る時は、大抵理由は決まっている。


「第一王子殿下が、私に用事があるなんて珍しいわね」

「お話が早く助かります、ジャスミン第九王女様。ご同行いただけますか?」


 彼女を使うのは、ヤスミンの父である王太子か、未来の王太子である第一王子のみ。

 しかも、父がヤスミンを呼ぶなんて、絶対にない・・・・・ため、消去法的に第一王子しかいないのだ。


 それにしても、急な呼び出しなんて、どうせろくなことが無い。

 表情を押し殺したヤスミンは、心の中でケッとつばを吐き、口から出てきた言葉を飲み込む。


「わかりました」

 しかし、逆らえないので、仕方なくメイド長に案内されるまま、城内へと入っていく。


 この国では、国王と王太子の言葉は絶対で、男性優位かつ出生順に王位継承順が決められる。そのため、王族の女性達は血の近しい男達の後ろ盾があって初めてまともに生きられるので、彼らの言葉を拒否する力は無い。


 運が悪いことにヤスミンは、兄弟たちの中で一番下の順位だった。

 王太子の末娘であり、母親である・・・・・第四王妃にも見捨てられ、後ろ盾もまったくない。一応、同じ腹の弟はいるがまだ五歳の幼子で、母親の庇護下だ。

 さらに、父である王太子に関しては、実の娘であるヤスミンを何故か覚えていない・・・・・・

 絶対に、誰かの能力・・で記憶を奪われているのだろう。と、ヤスミンは睨んでいる。


 このような悪条件が重なり、下手したら宮廷に寄生するごますりな貴族たちよりも、ヤスミンは遙かに身分が低かった。



 暫く城の廊下を進み、第一王子の執務室に到着する。中には第一王子の姿は無かったが、その代わり数人のメイドと、ヤスミンの異母姉である王女たちが険しい顔で並んで立っていた。


 姉たちが着ているのは、王族らしい煌びやかなドレス。

 しかし、差し込む太陽の光のせいで、取り繕いきれない綻びがよく見えた。布の毛玉、ヨレやシワ、レースのほつれ。髪飾りも使い古されたアンティーク品のため、鈍い金属の光沢の間に劣化による欠けなどが目立っていた。

 そんな姉たちの並び、黒い布をただ縫い合わせただけの簡素な服装のヤスミンが、無表情のまま静かに立つ。

 姉たちは、ヤスミンをちらりと一瞥すると、見せつけるように扇子で鼻口を隠す。


「なんとまぁ、獣臭いこと」

 わざとらしく呟いたのは、地下牢で無様ねと言い放ったのは王太子妃の娘である第六王女のロキシーであった。

 他の姉妹たちはくすくすと笑いながら、ヤスミンを見ている。


 しかし、ヤスミンは動じなかった。

 というより、正直どうでもよかった。


「皆、お揃いかな」

 執務室の扉が開くと共に、柔和であるが威厳を滲ませた第一王子の声が響く。振り返り、王族の女たちは綺麗なお辞儀カーテシーをし、彼を迎えた。


「顔をあげよ、妹たち。今日は、君たちに楽しい話・・・・を持ってきたのだ」


 第一王子であるエンディミオンは、人の良さそうな笑みを浮かべながら、執務室の一番奥にある彼の席に座る。美しい金髪と、エメラルドグリーンの瞳。人好きしそうな物腰の柔らかく見えるが、堂々たる歩きはグリンウォール国の王太子として相応しい様相だった 。


 しかし、彼の見た目とは違い、出てきた言葉は貴族らしい言い回しだ。

 あまりにも含みを感じさせる字面に、ヤスミンも他の王女たちも皆、何事だと顔を強ばらせる。


「一つ良い輿入れ話を君たちに持ってきた。相手は誰だと思う?」

 部屋の温度が急激に下がった。ぶわりと鳥肌が立つ程だった。一体、どこに嫁がせる気かと、ヤスミンはじっとエンディミオンを見つめる。

 彼は一通り妹たちの反応を見た後、眉一つ変えずに口を開いた。


「スカーレイト国の王子、セレスタン・アルテミウス・スカーレイト」


 全員の息を飲む音が聞こえる。無表情を貫いているヤスミンも、こればかりは顔をしかめた。


 それも、そのはず。

 三十年間戦争をしている相手の国の王子なのだから。


 

 

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