第8話 きっかけ

あれから数日経つが、二人と顔を合わせることも、連絡を取ることもなかった。

3人とも、そのことを気にすることもなく、普段の大学生活が淡々と過ぎていた。


栞は、二人別々に過ごした「お月見」を時折思い出し、

充実した時間を送れたことを噛み締めていた。


ただ、司が発した何気ない一言が栞には大きな荷物となって、

遠くを見つめたり、目を瞑ったりしては答えが出せないでいた。


「久しぶり、元気だった?」

「あっ、…」

聞き慣れたこの声。

次の言葉が続かずにいると

「どうしたの?何かあったの?」

司は、あけっらかんと距離を詰めて顔を覗き込む。


栞は、正に不意を突かれて言葉をなくし、

司の視線から目を逸らしながらありきたりな返事をした。

「なんか時間が空いたからボッーとしちゃって」


いつもの栞でないことを敏感に感じ取った司は、

「昼ごはん食べた?一緒しない?」

と普段と変わりないように伝える。


「そうだね、食べに行こうか。学食空いてるかな?」

「この時間は多いけど、二人ならどこか空いてるよ」

「よいしょ」

普段聞くことないのない掛け声を出す栞に、司は

「この前のお月見、美しかったね」と気付かぬ振りをして話題を変える。


栞は、そこにあの時の夜空の月が浮かんでいるかのように空を見上げて呟く。

「そうだね、確かに美しかったね」

「お月見じゃなくても、あんな時間が過ごせないかな?」

「私もなかなかあんな時間が過ごせないな」

「何かしらの要素が一つでも不足すると難しいんだろうね」

「それってなんなんだろう?」


二人は、お月見でなく、必ずしも同じ感覚ではないにしても、

あの時空間を共有した体験そのものの貴重さを理解し合っていた。


「今日は何にするの?」

「そうね、あまりお腹空いてないから、うどんかな」

「俺は、カツカレーにしよう」

いつもは、わずかな種類からパスタを選んでいた栞の注文が異なることも珍しかった。


「一つはやっぱ『夜』だよね」

「確かに、間違いないわ」

自然と会話は「あの時の貴重な時空間」の話しの続きになる。


「他には?」

栞は心当たりがあったが、本人に面と向かって言うのも照れ臭い。

「そうね、お月見っていう普段の生活から離れたことだったことかな」

「お花見じゃ、ああは行かなかっただろうな」

さっきの栞のように、学食の天井から、

司は、学生が行き来する中で桜が咲く風景の見える窓に視線を向けた。


栞は、自分自身の独特な感覚を話そうか迷っていた。

「栞はなんか学校と違うって話をしたじゃん」

「うん、あんまし自分では意識してないって話してたことでしょ」

「あの時間は、もうその栞だった」


えっ、その望外の言葉に驚く。

司の顔に思わず顔を向けて、動揺を悟られないようにうどんを音を立てずに啜る。

「栞なんかさ、違うんだよね、関係があるの?」

栞を見ることなく、学食の前方に視線を向けながら司は続ける。


また次の言葉が見つけられず、栞は司の様子を注意深く観察する。

だが、普段の司との変化を見つけられない。

司は、栞の何かあったのか、困り事なのか分からずにいたが、

自分は知っているつもりの普段と異なる栞が気掛かりでいた。

「さっきの空を見上げたり、目を瞑ったりしていたことと関係するの?」


さっきの自分が関係していることまで気付いている。

良くも悪くも悪意のないストレートな質問に、

さらに栞の心拍は上がるが、さらに悟られないように

「自分でもよく分からない」と正直に答えた。

「中学や高校、小学生の時にもあったかもしれないんだけど、

うちは自分が夜中に一人透明になるような不思議な感覚があるの」

その独特な感覚の説明は、栞本人にも難しかった。


「いいことなんじゃないの?」

「そう、なんかよく分からない奇妙な感覚なんだけど、全く嫌なものではなく、

返って満ち足りた気持ちになるものだったの」

ようやく言葉を見つけて、

「中空に体が浮いて、ふわふわ漂いながら、解放されてる感じ」

普段、帰宅時間やバイトなどで家のルールがあるわけでもないので、

解放という言葉は、栞も会話の中で見つけたものと言える。


「栞に軸があるように見えることとリンクしてるのかな」

問題はこれだ。

自分自身、この辺りが分からないでいる。

言葉を探しながら、言葉を見つけ出す。


「うちは、司に見えているような軸がないから自信がない自分がいる」

「見えているものは、軸じゃなくて感性や個性なのかな」

「自分自身のことは好きだし、稀に感じられる透明感もありがたいし…」

「その関係性は掴めてないってことか、関係性の有無も不確かなんだね」

「普段の生活で何かを決めるって、うちには難しいの。

どっちでもいいからって答えてるのは、確かにどっちでもいいんだけど、

自分の答えがないからなんじゃないかって、思うことが多くなったの」


司のカツカレーは少しも減っていない。

ありがたいことだ。


「あれっ、久しぶり。元気だった?」

健は、ちらっと司に視線を送り会釈をした。

司も会釈をお返しした。

「あっ、健君、今から昼食?」

「そうだけど、ここ大丈夫?」

「うん、いいでしょ?」

一応、栞は躊躇いながら司に了解を取って健を迎え入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る