第5話 異なるお月見

栞も健の顔を見て微笑みながら言った。

 「授業やレポート、バイトや友達と買い物なんかしてるけど、案外こういう時間が人間には必要なのかもね」


健はその言葉を聞くと夜空を見上げて言った。

 「昔の日本人は、時間があったから月を眺めるのが好きだったんじゃなくて、月を眺めること自体が好きだったんじゃないかな」


栞も夜空を見上げて言った。

 「そうだね、日本人は月が好きで、多分今でも見たら好きなんじゃないかな、桜みたいに」

 「月と桜か、日本って感じが溢れてるね」

栞は一般的に言われることを引き合いに出した。

 「やっぱり、ゲームやネットが若者には好まれるのかな。大人にとっても桜は、花見という名の格好の呑み会だからね」

健は頷きながら答えた。


 「人間関係が悩みの種になりやすいから、一人でできることが流行るのかも。花見も、昔みたいに朝から場所を確保してやらなくなったし」

栞は頷きながら続けた。

 「うちも、わざわざ出かけてお月見はしないけど、こうやってのんびりお月見するとなんだかホッとするわ」

健はも頷きながら答えた。

 「何時間もお月見はできないけど、一緒に観たいとか観られる人っているよね?」


栞は即座に健を見た。

 「そう、沈黙があっても大丈夫っだったり、お月見しながらスマホを見ない人だったりがいいな」

 「じゃあ、今日は誘って断られなくてよかった」

 「今日の今日はびっくりしたけど、嫌なら断っていたから」

栞は、少し恥ずかしそうにしながら、でもその通りだと真っ直ぐな目で伝えながら肯定した。


 「人はいつか月や火星に住むようになるのかな」

健は、ノスタルジックな会話から急に現実的なことを問いかけてきた。

 「先のことはよく分からなけど、人の欲望って際限がなさそうだから実現しそうね」

栞は、わずかな間を空けて答えた。


 「その頃って、お月見する人っているのかな?電話で話をしてそうだけど」

健の予想は栞の予想と変わらなかった。

 「家族や友人が月にいれば連絡取るだろうから、旅行も電話も日本だけじゃなくできるようになるでしょうね」

栞はしんみりと答えた。


 「それが人間にとって必要で、幸せなのかな」

健の一言で栞は黙って考え込んだ。

人間の幸せってなんだろう、自分の幸せも考えることがないのに、命題が大き過ぎると栞は思った。


 「戦争や癌もなくなったら、また違う課題ができて、その解決策の一つが月に住むとかなのかな」

栞は、スマホはある程度使えて言葉など分からないことを調べることがあるといっても、人間の未来を知るために今の科学や技術のことを調べたことはなかった。勝手な想像はするが、どこか他人事の様な感覚に思えた。


栞が会話をしなくなって、健は栞を見て聞いた。

 「なんか、気に触ること言った?」

 「違うの、自分のことも人間のこともうちは考えてないなって思って」

健は苦笑いしながら言った。

 「俺も普段の生活の中で、レポートでもなけりゃ考えないことだよ」

栞は少し安心した。


「これまでも、これからも、もちろん今も時間は進んで、人はその時代の生活があってあれこれ悩んだり考えたりするんだね」

健は月を見上げながら言った。

 「時代が変わっても人間は変わらないものを持ってるのかな?」

栞はまた考え込んだ。


「人間にとって大切なものってなんなんだろう」

健はただぼんやり月を眺めているだけのようにしながら、考えていることは栞がずっと答えが出せないでいることだった。


 「コロナで外出も控えて、今の時代の暮らしがあるように、これからも思いつかない出来事があるのかもね。その中で、人間の幸せも変わるのか、自分のことも分からないからちょっと考えてみようと思う」

栞は、自分で自分に宿題を出すように言った。


 「教科書の歴史ではただ出来事をそうだったんだって思うけど、その時の人達は同じように幸せを求めていたんだよね」

健も栞に確認するように続けた。

 「今のうちは、今が過ごせるからいいかって感じで、自分の未来予想図も設計もないな。もうちょっと社会勉強しなくちゃだわ」

 「俺も似たり寄ったりで、偶然お月見しながら思いついただけで、普段は全くと言っていいほど未来の自分や人間、幸せ、科学とかって考えてないな」

栞も月を見上げて言った。


 「風流な昔の日本人が、スマホや月旅行を考えつかないのと同じかもしれないけれど、うちらは少し考え得る情報を持ってるからもっとこれからのことや歴史のこと、何より今のことを考えなくっちゃね」

健も頷きながら答えた。

 「me tooだな」


笑顔の絶えない会話ではなかったが、お月見ののんびりした言葉とは思えないほど、二人とも神妙な面持ちで月を見上げていた。

 「なんか、考えてもないお月見になっちゃたけど…」

 「そんなことないよ、うちはとても意義ある時間になってよかった」

健は、どこか後ろめたさを感じていたが、栞の一言で救われた気分になった。

 「よかった、本当に今夜お月見ができて。ありがとう」

栞は、笑顔で嬉しそうに伝えた。


 「なんか安心したら喉が渇いてきた」

健は少し重苦しい雰囲気から解放されて、現実的なことを言った。

 「そうだね、なんか飲んで帰ろうか」


二人は顔を見合わせながら、ベンチを立つと車に向かった。

小さな公園とはいえ、この前と同じように虫の音が聞こえ、風は少し冷んやりした。

月は、雲に隠れることなくずっと二人に光を注いでいた。


栞は、同じお月見でも全く別物の様な展開に、驚きとともに喜びを感じていた。また、月の色は自分なりの感じ方なんだと認識した。やっぱり、人ってどんな化学反応を起こすか分からないから面白いと、二人のお月見で思った。


 「結構時間が経ったように思ったけど、1時間と少しだったね。ご飯食べて帰る?」

健は時間が早いこともあって、夕飯も誘ってみた。

 「ありがとう、今のコーヒーと会話でお腹いっぱいだわ。今度食べましょう」

栞は、正直な思いを伝えた。


 「分かった、じゃあ今度は夕焼け見ながらお弁当ディナーかな」

健が照れ隠しで言うと、栞は微笑みながら答えた。

 「うん、お弁当持って夕焼けってしたことないかも。楽しみだわ」


帰路に着く二人は、妙な緊張感がほぐれて次につながる話までできた。

栞は、助手席に回ると乗っても良いかと確認するように健の顔を覗き込んだ。

 「どうぞ、家の近くまで送るよ」

 「ありがとう、思いがけないお月見になったけれど、本当にとても楽しかった」

健は、栞の表情が明るく社交辞令でないと感じて安心した。


栞は、窓を少し開け風をこの前のように車内に入れた。風は、この前よりさらっと栞を通り過ぎて行った。

 「たまには、流行り物ばかりでなく、こんな時間を過ごしたいね」

 「うん、古典なんかは訳すのが面倒で授業だけで終わっちゃうけど、こんな古典ならきっと眠たくならなかったと思うわ」

健も同意した。


 「覚えてるものはあんまりないけど、人間やその背景を考えるともっと面白そうだね」

 「まぁ、うちはその前に自分と向き合うのが先になるけど」

栞は、外を眺めていたのを健に向きを変えて言った。


 「この辺りでいいのかな?」

 「うん、大丈夫、ここからなら歩いてすぐだから」

健は、恐る恐る車を止めて微笑みながら言った。

 「じゃあまた、今度は夕焼けディナーね」

 「うん、今日はありがとう、夕焼けもお弁当も楽しみにしてる」


静かに車が発進すると、栞は車が交差点を左折するのを見送ってから歩き出した。

自分が自分自身に関心が低いことが認識できて、栞はとても有意義な時間を過ごせたと明るい気持ちで玄関に辿り着いた。

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