第3話 昼休み
その日は午後から珍しく教授の都合で授業がなくなり、栞はバイトまで時間ができたのでどう過ごそうかとベンチに座って思案していた。
そんな栞の目の前に突然が現れて、
「なんか悩み事?それとも単なるヒマ?」
顔を上げると、健がリュックを右肩に引っ掛けて立っていた。
「うん、授業がお休みになったからバイトまで時間ができちゃったから、どうしようかなと思って」
正直にその思案していた理由を健に伝えると、
「ラッキー、じゃあちょっとお茶しよう」
健は、すでに返事はOKであるかのように栞のリュックに手を伸ばした。
栞も断る理由がなく、突然空いた時間を健との会話で過ごすのもいいと思った。
「栞はコーヒーより紅茶が好きだったよね、お店に入る?コンビニで買ってそこらでお茶する?」
健は、立ち上がる栞にリュックを手渡すことなく自分の左肩に掛けて、栞のその時の希望を確認した。
「何処か太陽の当たらない場所なら、お店でなくてもどこでもいいよ」
今いるベンチでも一向に構わないことをそれとなく伝えた。
「分かった、じゃあコンビニで飲み物買って、また此処に帰って来よう」
栞が歩き出すより少しだけ早く、健はコンビニに向かって歩き出した。
栞は少しだけ早く歩いて、健に並ぶと健が肩に引っ掛けている自分のリュックに手を伸ばして、自分で背負ってコンビニに一緒に向かった。
栞と会う前に一緒に居たのだろう、少し離れたところから、「たけしー、おーいたけし」と健の友達が健を呼んでいた。
「ごめん、先に行ってて、後から合流するから」
それでも健は、全く迷う様子も悪びれる様子もなく返事をした。
「何か予定があったんじゃないの?私のヒマに付き合うことはないよ」
わざわざ健が予定を変えてまでお茶する必要を感じなかったので、遠慮気味に歩速のスピードを落としながら伝えた。
「大丈夫だよ、いつものサークルのお茶だから」
その一言の言い方で栞の遠慮も霧散して、足取りも健と合わせて歩くようになった。
「9月も残り数日になったけど、昼間は太陽が眩しくて暑いね」
「秋が短く感じるのも、暑さが続くからかもね」
コンビニに入るとそれぞれ、飲み物や軽食を買って支払いを済ませた。
健が栞の買い物まで支払おうとする様子を見せず、自分の買い物だけを済ませているのが、栞にとっては気を遣わなくて一緒にお茶する気になる大きな要因だった。
コンビニの出入口から少し離れた日陰で、スマホをいじりながら健は待っていた。
栞に気付くとスマホをジーンズのポケットに無造作に入れて、
「やっぱり紅茶?」と近づく栞に確認した。
「今日は、ミルクティーにした」
「紅茶もメーカーで味が違うでしょ?俺には味がよく分からないけど、ただの気分?」
「まぁ紅茶がコーヒーより好きだけど、ミルクティーは気分。そんなに紅茶の味に拘ってるわけじゃないよ」
食べ物の味を別段気にしない健は、栞の一言にちょっと笑顔を浮かべて歩き出した。
行き先を確認することなく、さっきのベンチに向かって栞も歩き出した。
ベンチは幸運なことに空いていたので、二人は指定席のように腰を下ろした。
「バイトは何時から?」
「18:00」
「栞って、6時って言わないで24時間で表現するよね。なんか、理由があるの?」
不思議そうに栞を見ながら健が尋ねた。
「会話している時の時間の感覚でなんとなく分かるんだけど、うちが勝手に間違えることがあるからかな」
「んっ、どういうこと?」
栞の説明に健はさらに不思議そうな表情を浮かべた。
「メールとかで、じゃ明日9時ね、とかになると朝?夜?とか迷うことがあって、聞けないでしょどっちって」
「話が午前中のことか、午後のことか、とかでなんとなく分かるんじゃないの?」
「うん、多分こっちだろうなって思うんだけど、不安になることがあって。学校が休みの日は、バイトが午前中もあったりするじゃん。9時はバイトギリギリで相手がそのことまで考えてくれて、午後のことかなとか思っちゃうことがあって」
誰も栞の時間の言い方を聞いてくる友達はいないので、栞自身考えながら答えていた。
「あんまし普段の会話からじゃ、そんな風に思えないけどね」
健は素直に普段の栞との会話では感じられないことを伝えた。
「日にちを一週間間違えたりすることもあるから」
栞は自分の思い込みが時間だけではないことを追加する。
「日にちを?」
「そんな時は、日にちと一緒に曜日も確認するでしょ?その時、曜日が強く記憶に残っちゃって間違えることがあるのよ」
健は、ようやく栞が本当に思い込みや勘違いすることに気付いた。
「人って自分の思い込みで記憶を置換するって言うからね」
「やっぱりメモらないとだね」
「リマインダーとかが確実かも、でも入力で間違えたりして」
少し笑いながら健は栞をからかった。
「思い込みって怖いわ、健はないの?」
「勘違いばっかしだよ、特に授業ね」
健は、また笑わせるように言った。
「そんなんじゃなくてさ、勘違いで迷惑かけたりってことよ」
栞は至って真面目に、健の日常での勘違いの有無とどんな勘違いがあるのか聞いた。
「そうだな、沙織ちゃんを香織ちゃんと間違えたりしたことはある。似たような名前だと何かしら出来事とかないと覚えないから」
「それ、自慢話?!羨ましいわ」
煙に巻くように答える健に、栞は皮肉まじりの口調になった。
「そんなんじゃないよ、約束事をしないからないのかも」
「さっきの沙織ちゃんとデートとかあるんじゃないの?」
少し探りを入れるような質問を栞はした。
「さっき言ったでしょ、なんか出来事ないと覚えないって。だからデートはしてません」
「友達と買い物行ったり、出かけたりしないの?」
「本読んだり、家で映画観たりすることの方が多いな」
「ふーん、インドアなんだ。友達多そうだから、あちこち出かけてるイメージだった」
栞は、さっきの健の名前を呼ぶ友達を思い出していた。
「サークル仲間と飲みに行くことも出かけることもあるけど、二人じゃないから」
「サークルが一緒じゃないから分からないな。てか、うちはサークルにも入ってないわ」
栞は、苦笑いをしながら思い込みのことを聞くのをやめた。健は、聡明な落ち着いた感じがしていたので、聞いても参考にならないと思った。
「健って、なんか大人に見えるっていうか、見透かされてるっていうか…」
「それなら、栞のことだって知的で人にはっきり自分の意見を伝えて、才色兼備って思ってるよ」
「ちょっと待って、知的?私が?どう見ても普通じゃん。まぁ、美人ですけどね」
少しの間と言い方が、美人の表現をふざけて言ってるのが伝わって、健も笑った。
「そんなふうに人はよく知らないまま、自分で思い込んだ妄想の中でラベリングしてるのかもね」
改めて考え直したように、栞は軽く頷くと空を見上げた。
「栞、今度何処か出かけないか?」
健の突然のお誘いに、栞は自然と
「うん、どこに行くの?」と答えてた。
「行きたいとこある?」
栞は、ついこの間、司と観た月を思い出して、
「のんびりお月様が見てみたい」
健は、普段の会話に無いお月様と言う言葉が栞から出てきたことを新鮮に感じながら、都合を尋ねた。
「分かった、お月様ね、いつなら行ける?」
「最短で今日、次は木曜かな」
栞はスマホを見ることなく、流石に自分のバイトは忘れていなかった。
健も、迷うことなく間を開けずに
「それなら、早速今夜行こう」
「今夜の予定はないの?ほんとに?」
「そこの校門に19:00はどう?」
「うん、大丈夫だけど」
今夜は急な話だったが、こんな風に思い掛けず自然と話ができたことが栞の気持ちを後押しした。
「じゃあ、そろそろサークルに顔出しに行くね、今夜よろしく」
「ありがとう、付き合ってくれて。こちらこそ今夜よろしくね」
健はサークルに向かってベンチから立ち上がり、栞は健のゴミを受け取り捨てに向かった。
お互いにあっさりと別れて反対方向に歩き出した。
栞は、健とのデートは初めてだった。校外で会ったこともなかったが、思いがけない展開に淡い期待も抱いていた。
それは、今宵どんな色の月が見えるのかはもちろん、健と胸キュンがあるのか楽しみだった。
先週、司と出かけたばかりで満月から少し小さくなっているが、今夜は雲もなさそうだし月は見えると思った。
司だから見えた月の色なのか、自分は気分で勝手な解釈するのと同じように月の色も感じてしまうのか、栞は自分の月の見え方とこうやって疲れずにお茶ができる健とのお月見の会話の二つの楽しみが、偶然空いた時間にできたことに幸運を感じていた。
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