1章 幼馴染が俺のことを好きすぎる
「おーい。がおー。開けろー。がおー」
一人暮らしのボロアパートのドアに向かって、伝説のアイドルがそう叫ぶ。
この子が幼馴染であろうがなかろうが関係ない。誰かに見られたらまずい。そう俺は悟った。
「わ、分かった。いや、状況は分かってないけど。とりあえず部屋に入ってくれ」
慌ててドアを開け、そう伝える。
「やっと可愛い幼馴染を入れる気になったかね、翔也くん。」
なんか勘違いしてるけど、まぁ、今はそんなことどうでもいい。
急いで彼女を招き入れ、ドアを閉める。
「ここが翔也の家かー。どう?彼女できた?出来てないでしょ」
悪戯っぽく微笑む美少女が俺を見つめる。
この雰囲気、本当に幼馴染のこはるそのものだ。
「おまえ、本当に佐藤こはるなのか?」
俺はそう問いかける。意味が分からない。
確かに雰囲気は幼馴染のこはるそのものだ。
でも、ありえない。
「だからそうだって言ってるでしょ?私可愛くなったでしょ!」
可愛いに決まっている。彗星の如く人気になり、わずか半年で引退した伝説のアイドル「七瀬こはる」そのものの見た目をしているのだから。
驚く俺の顔を見て、こはるが再度にやりと笑う。
そしてその小悪魔的な笑顔と、吸い込まれそうな瞳でこっちを見て言った。
「翔也、好き」
突然の告白にドキッとしたその瞬間。
勢いよく俺の胸にこはるが飛び込んでくる。
ふわっと靡く髪から花束のような心地よい匂いが伝わってくる。
あまりの愛おしさから、俺は咄嗟にこはるを抱き抱える。
「ずっと会いたかった」
夢を見ているのだろうか?
ドッキリか何かか?
でも、ただの一般大学生にドッキリなんて仕掛けるわけがない。
分からない。
「ちょ、ちょっと整理させてくれ。玄関で話すのもなんだし、な?部屋で話そう」
そう言って抱き抱えたこはるを離す。
「おやおや?いきなり女の子をお部屋に誘導ですか?」
うん。この生意気さは俺の知っているこはるそのものだ。
「うっせ」
反応に困った俺がそう言うと、こはるは少し拗ねた顔をしながらも、俺から離れる。
こはるを玄関から部屋の奥隅にある座椅子に案内し、俺は玄関側の床に座る。
一人暮らしだ、友達も少ない。座るものなど一つしか用意していない。
少し埃を被ったフローリングを気にしながら、俺は言う。
「で、だ。お前、本当に俺の幼馴染の佐藤こはるなのか?」
改まって俺が言うと、こはるもやっと少し真剣な表情でこちらを見る。
「うん、そうだよ。1年前、翔也の前からいなくなっちゃった佐藤こはるだよ。」
そう微笑みかける彼女の目を見て俺は確信した。
間違いなく、幼馴染のこはるだ。
見た目は変わっているが、間違いない。
子供のような瞳の奥に潜む、どこか儚げな。今にも消えてなくなりそうな雰囲気。
彼女が亡くなるまで19年間、ずっと一緒にいたんだ。分からないわけがない。
でも、相変わらず理解は追いつかない。
「分からないって顔してるね、だから言ってるでしょ、翔也の事好きすぎて化けて出てきたって!がおー」
その設定、まだ生きていたのか。
そう合いの手を入れる前に、こはるが続ける。
「なんてね。私にも分からないんだ。気がついたらアイドルオーデションの待合室にいて。そのままアイドルになってた。」
こはるが神妙な面持ちをしながらそう言う。俺も自然と胡座をやめて正座をする。原理はわからない。ただ、きっと本当のことなのだろう。
「なら、だ。気になる点が一つある」
こはるをじっと見て聞く。
「アイドルやらなくても良かったんじゃないか?こはるには興味ない話だろ?」
こはるは深く息を吐き、一度下を向いて、それからもう一度顔を上げて言う。
「うん、興味はなかった。でもオーディションから家に帰ったその日、日記を見たんだ。私じゃない、七瀬こはるの。」
ここで言う七瀬こはるは、幼馴染ではない、元々の七瀬こはるだろう。
“武道館の中心に立って、とびっきりの愛を伝える!”
「日記に書いてあるその文字を見て。理由は分からないけど絶対にこの夢を叶えてあげなきゃって思ったの。」
そうこはるは呟く。
そう、ただ呟く。
呟いているはずなのに、俺の耳にしっかりと届き、こびりつくその言葉。
まさにトップアイドルの風格が滲み出ていた。
「ま!それを半年で成し遂げるのが私なんだけどね!えへ!天才でしょ!」
こはるは戯けて見せる。
真剣な雰囲気に耐えきれなかったのだろう。
いやいや、本当にすごい。
そう俺が言いかけた瞬間。
ピンポーン
まただ。
今日はチャイムが大忙しだ。
今25時52分だぞ?分かってんのか。
こはるとの話の途中だが、振り返り玄関の方を見つめると、ドア越しから声が聞こえる。
「せんぱーい。開けてー」
こはるとはまた違った、どこか幼さの残る声が響く。
ああ。お前か。
そう思い、俺がドアを開けようと立ち上がった瞬間だった。
背後から。部屋の隅から。
さっきのカリスマアイドルの風格とは真逆の、殺気を感じたのだった。
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