10.未知かつ既知
光を吸い込むような黒い空間。
前に進んでいるのか、下っているのか登っているのかさえ分からない。
ただ後ろにナツがいるのは気配でわかる。
そうして闇から浮かんできたのは円状の金属板に幾何学的な模様が刻まれ、その模様に沿って光が浮かび上がった状態で鎮座する壁。
いや、縦真一文字に亀裂が入っている様子からこれは恐らく扉なのだろう。
「はい解除っと」
俺の脇から身を乗り出して金属板の上で指を躍らせたナツの言葉通りに、扉がゆっくりと左右へ動き、そして開いた。
冷えた空気。すえた臭い。ふわりと足元で浮かぶ埃。そして薄い緑の明かりがぼんやりと照らす床。
明らかに異質だった。
石なのか金属なのかもわからない黒いテーブル。ひび割れている見たことの無い材質のケース。いや、これは結晶を加工したものか?
明かりから推察できる範囲ではそこまで広さは無いように感じる。天井が低いからだろうか。
棚には書籍や何に使うのかもわからないような器具、一部白くなっている壁には殴り掛かれた文字がびっしりと書かれている。
「なあ、おい。ここって……」
部屋にあった机の上や引き出しを雑に開け、適当に浚っている様にしか見えないナツに声をかける。
「んー……、まあ、そうだなあ。裏切者の隠れ家、かなあ」
「裏切者?」
書架から何冊か抜き取り、それも雑に机に放りだす。
「そ」
「……まあ、いろいろ聞きたいことはあるが、お前、これ……」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
机の影に散らばっていた資料、棚に置かれた置物などをピックアップしては机の上に乗せるナツ。完全の此方の話は聞き流しているようだ。
裏切者、とは何なのか。彼女の態度から察するに、彼女にとってというよりは赤の他人がそう呼ばれていたから自分もそう呼称した、という空気感。
俺自身歴史に詳しい訳じゃ無いが、この国で一般的に知識層と呼ばれる程度の勉学は治めている。特に歴史は教会や貴族家にあるようなものならそれなりに知ってはいる。
恐らくだが、ここは元々教会の施設だったのだろうし、教会の裏切者、という意味にも思える。
しかし俺が覚えている限りでは裏切り者と言われるまでの人物は知らない。教会にとっての棄教者はそれにあたるかもしれないが、この神殿と共にした人物でそんな人間がいただろうか。
まあそもそもこの神殿に関する歴史も、俺は何一つ知らないのだが。
「こっちにも部屋があるね。お兄さん、こっち」
「……そういやさっきお前がこの部屋を開けたよな。なんで俺をいちいち呼ぶんだ?」
「壁役にと思って」
「そういうのが必要な場所なら先に言ってほしいなあ!」
先ほどと同じように俺を壁にして後ろから金属板に触れて扉を開けるナツ。
こうしてると足元にじゃれつく猫みたいだが、コイツの持ってる爪は少し凶悪にすぎる。
扉が開くと同時に点灯する天井の明かり。逆さにつられたランプのような証明は部屋をくまなく照らす。一瞬昼になったんじゃないかと思えるほどだ。
そこでわかるのがどことなく生活感の残った部屋だということ。机に椅子、壁に掛けられた絵画、箪笥のような家具には本や置物などが置いてある。見覚えがあるのはネルヴェッタで売っていそうなペナントだろうか。文字から察するにネルヴェッタでは無いように見える。
そしてベッドらしき台の上には灰か砂か。何かが燃え尽きた跡のようなものにも見える。
ただその脇に立ったナツが祈りを捧げるように指を組んでいることから、これはきっと遺灰なのだと直感した。
「……」
「なあ」
閉じていた瞳をゆっくりと開き、こちらに視線を寄越すナツ。
普段のあの訳が分からない楽天的で奔放な態度に反して、彼女のあり様は敬虔な信奉者にうつった。
「……そいつが裏切者だったもの、か?」
「多分ね」
手を解き、積もった灰を手で軽くさらう。崩れた灰の中から現れたのは光を反射しきらりと光る結晶の一部。
どのようにして死んだのかも知らないこの裏切者は、まさしく人であったのだと思い。
「……ちっ」
先ほどまでとは違った、あからさまにいらだった様子のナツの舌打ちに思わずぎょっとしてしまった。
いや、いくら何でもその態度はどうなんだ。
思わず声を荒げそうなった俺が捉えたのは、ふと生じたいくつかの気配だった。
「いないと思ったらこんなところにいたのか」
「それにしても……ここは……」
ジェイとローズ。感じた気配からフェロー氏もいるはずだ。
完全防備でこちらにやってきていた。二人とも見える範囲では眠気など全く見せておらず、完全防備でここにいる。
扉に近かった俺がナツへ向けてしゃくる。
「とりあえずは事情を聞きたい。どうやってここを見つけたのか、どのようにして入ったのか、何故二人だけでこの場に来たのか」
まあそうだな。俺も二人の立場なら同じことを聞いただろう。止めなかったという意味では俺も同罪なのだろうが。
「秘密があるのはお互い様でしょ?」
「……そのように返されては疑わざるを得なくなってしまいます」
「知らなくていいことを知ろうとしている。さっきの質問は聞かなかったことにしてあげてもいいよ?」
俺はどこか他人事のようにこのやり取りを見ていた。
実際聞いてみたいことではあるのだ。今回の遺跡調査には直接関係が無いとしても、ナツの個人的な話であったとしてもだ。
そんなナツはいつもの飄々とした態度を崩さない。
「言うつもりはない、か。ではここにあるものは何なのだ?」
「多分だけど、巫女の結晶角に対する研究をしてた場所」
「……何?」
「それにまつわる研究の副産物がそっちの部屋に転がってるでしょ? 私が出しておいてあげたんだから、感謝してよね」
ナツの言葉にジェイとローズの後方でドタバタと動き回る音が聞こえる。恐らくフェロー氏がそれを改めているのだろう。
「それで、どうするつもりだ? これらのサルベージ結果は大きいぞ」
「そうね。だから困ってるんでしょ? 私達を口止めする方法が無いか考えてる」
「は?」
何故わざわざ口止めをする必要が? 一応成果を出したのだからこのままフェロー氏に預けてしまえばいいものを。
ああ、いや、そうか。ジェイは確かにアーティファクトと呼ばれる遺物を欲しているようだった。
サルベージ品はどのようなものでれ一旦この国に召し上げられ、それから場合によって払い戻される。そして彼が求めるような有用なアーティファクトを王家が払い戻すとは思えない。
何より、ここには国内から支援を得ているフェロー氏がいる。
「ふむ。我らが海外の貴家であることは察していたか」
「研究家とか言ってるそっちの人が貴方たちとグルだということもね」
「……ほう」
思わず息を呑んだ。
ということは、本当に今起こっているのはここだけの話、ということになるのか?
いや、そもそもナツはどこでそんなことを知った?
「ルセルビアから援助を受けてるんだよな? 何でこの国の人間が海外の人間に遺物を横流しするような真似を……」
「商人かなんかじゃない? 海外からこっちに出店してる」
「……」
「この神殿跡地でアーティファクトを探してあなたたちが回収役になったんでしょ? 地元に根を下ろした商店の品ならいくつか検査はとばせるでしょうし」
いや、いやいやいや! 待て待て待て! なんだってそんなことになってるんだ。
というかお前はホントどこからそういう情報を掴んでくるんだ。
「ああ、別にこれを知ってるからと言ってどうこうするつもりはないわよ? 実際有用そうなのはそっちの部屋にあるものくらいで、どうぞ好きに持って行くと良いわ」
「おい、それは」
「なんか欲しいのあった? わたしからするとガラクタ以上のものは無いけど」
「……その根拠は何だ。何故君はそんな知識を持っている」
「いらないなら置いていけば?」
ナツは徹頭徹尾完結している。興味があるのか無いのか、少なくともこいつにとっては遺物もジェイやローザ達の正体も気にならないようだ。
俺も一応間近にいるローザに対してピックアックスに手を置いて牽制はしているが、俺が対応できるかは完全に運だ。
逆にナツはその気になれば魔銃を抜くだろうし、誰も動こうとはしないこの状況は完全に行き詰まっているものだ。
「……わざわざ明かしたのだ。何か要求があるのだろう?」
「別に? 敢えて聞くことがあるのならジェイとローザの関係性くらい?」
「……主従だ」
「それだけ?」
「……幼馴染だ」
「だってさ。そこんとこどうなの?」
「ジェイ様の仰る通りです」
「いいの? 言葉遣い。どっちが主でどっちが従か聞いてなかったけど」
「分かっていて聞いたのでしょう。良い性格していますね」
「よく言われる」
ピリついた空気感。どちらかと言えばローザからナツに対する敵対心と言えばいいか。
とはいえ、二人が主従であることは俺もなんとなく察していた。ナツがそれを聞いたところで対価とするには少ない気もするが。
いや、ナツもあえてと言っていたし、一先ずこの事態を治めるべく立ち回るべきか。
「あー、すいませんが、そろそろ剣呑な空気ひっこめてもらっても? 俺は特に遺物が欲しいとか二人の正体とかもどうでもいいんで、とりあえず依頼の処理の仕方決めときません?」
「そうは言ってもな、オットー、君もナツと同じだ。何故ここにいるのか聞いていない」
「肉壁です」
「……はい?」
「いや、だから、肉壁。こいつに理由なく連れてこられたので」
俺とナツはお互いにそこまで信用は無いだろう。ナツが何故俺をここまで連れてくるようなことをしたのかは相変わらず謎だが。
「……わかった」
「ジェイ様!」
「思えば、君たちは最初から不思議な関係性だったな」
「正直名前しか知りません」
「良くそれで彼女と一緒に行こうと思いましたね」
「借りがあるので」
恐らく、俺はナツに期待している。変わった旅になるであろうことを。
そして恐怖もしている。きっとこいつはいつか俺の過去や事情にも気づく。
それらは俺の旅に何の問題も無い。ただ、そう、彼女が。
「……一先ず整理するか。ここを発見したことは遅かれ早かれ分かることだ。発見はフェローということで良いな?」
「ええ」
「中身をあらためる必要はあるが、あの書籍類を麓の集会所へ提出。遺物はこちらである程度回収していき、残ったものを提出」
「どうぞ?」
「最後はこの場所の扱いだが」
「勿論どうぞ?」
「はあ……、あの醜悪な入口はどうにかならないのか。いや、開け方だけ教えてくれればいい。それをフェローが再現できたのならここにまつわるものはフェローに一任しても良いだろう」
「いいよー」
「……ナツ、この部屋や隣の部屋を開けるのにはお前が必要なんじゃないのか?」
「別に開けっ放しでいいじゃん。理由は知らないけど開いてましたーで。考えても分からないことは結局分からないんだから」
神殿に仕掛けられた仕掛けは教えるけど、この部屋の持ち主に繋がりそうなことは教えない? いや、そうとは言い切れないが、少なくとも扉を開けたのはナツだ。あの扉がどういうものか知っているのも、だ。
そしてここにいた人物を彼女は裏切り者と称した。彼女にとってか、彼女の所属する集団にとってか、それとも。
「みんなここにいる? 私休んでいい? いいよね、みんなここにいるなら」
「……出来ればフェローの相手をしてもらいたいが」
「じゃあおやすみー」
揚げた手を軽く揺らして振り返りもせずに部屋を後にするナツ。
俺は何となく後を追うような気力も無くなって、一先ずジェイやローズに向かい合う。
「手伝うよ。ナツはガラクタとか言ってたけど、アイツにとっちゃどれも大して重要じゃないってだけで何かしら置いておいた意味はあるんだろうさ」
「……オットーよ。あの女は一体何者なのだ」
もう隠さなくなってきてる。せめて俺の前では一人の伐採者に戻ってくれねえかなあ。
いや、多分この少なさで旅をしてきたというのなら腕は確かなんだろう。だからと言って、こう、改めてそういう態度で詰められると、なんか嫌だな。
「誠に申し訳ありませんが、彼女とは緊急時に知り合ったぐらいでして。名前以外を知りえません。ちなみに、彼女をストウィッチで探そうとしても無駄でした」
「ストウィッチの住人では無い、と?」
「さて。彼女はどうも隠し事が上手いようで。少なくとも僕には彼女の家すら分かりませんでした」
これは本当だ。そもそもストウィッチでナツと会うときは大抵大通りの屋台で食事をしている時だ。俺が来るより先に食事をしながら待ち伏せでもしているんじゃないかというくらい、あちらから狙いすまされたタイミングでコンタクトがとられていた。
「アイツに関しては探るだけ無駄だと思いますよ」
擁護する気はないが、擁護する言葉に聞こえてしまうかもしれない。
というかアイツに関してはそういう存在だと割り切った方が早い。
人間、この世界に存在する全ての他人と仲良くすることなんて土台不可能な話だ。
「……はあ。ああいう愉快犯が一番始末に負えん」
「仰る通りで」
目的を達成したと思ったら秘密を暴かれ、かといって対応しようにも捉えようの無い振る舞いで、更に暴力を厭わない質だ。
空模様のような心持ちで空っ風の冷たさのような容赦の無さは秋のようなのに、何でナツなんて名前で呼ばせてるんだあいつは。
「ジェイ様、こちらを」
「何だ」
フェロー氏と共に掘り出し物に手を出していたローズが掲げていた書籍にも、溜息をつきたくなる。
魔女、という一語もどこか空寒いものでしかないくらいに得体の知れない、しかしどこか楽天的で能天気で理不尽な女だった。
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