9.残された場所



 光が差し込む木々の間を走る道を抜け、足元の緑道が禿げ上がり、徐々に岩や結晶が立ち並ぶ登山道を太陽を背に登ってゆく。

 朝のひんやりとした空気は背中を焼く太陽と緩やかな傾斜を登ることにより徐々に薄れていき、共に登っているフェロー氏は息も絶え絶えだ。


 俺もこの程度で息が切れるようなやわな体ではないが、それにしても他三人の足取りが軽い。

 その見た目から出来る空気を醸し出していたジェイとローズはその期待を裏切らずにいたが、ナツに関しては重さを感じないような、それこそ羽でも生えているかの如く先頭を軽快に進んでいる。


 合間に何度かの休憩を挟みながら順調に道行を経過していくと、遠目に見えていた神殿跡がぐっと近づいてきていた。

 神殿を斜め下から見上げる格好になっているが、神殿の直前は崖になっていて太陽を一身に浴びる様は成程、確かに霊験あらたかな様子が見て取れた。


「んー、あと少しみたいだけどどうするー?」

「フェロー氏はどうだ? 見たところ中天まではまだ余裕があるが」

「はあ、はあ。はい、はい、そう、ですね。休憩を、いれましょうか」


 ローズと俺が登山道の脇を開いている間に、ナツとジェイは周囲の索敵に向かった。

 荷物を下ろして息をつくフェロー氏と向かい合うように俺とローズが腰を落ろす。


「皆さん、流石ですね。私はもう、疲れ切ってしまって」

「私は伐採者ですからこの程度は。オットーさんは普段教会にいらっしゃるのでしょう? 私としてはあなたがこうして私どもについてこれるのが意外でした」

「お勤めは案外体力勝負なところがありますから」


 もちろんそれ以外に体力が落ちないようにしていることはあるが、僕としては人並み程度の運動能力しかないことを自覚している。

 というか、オラクルの無いジェイとローズが平然としていることに感心するし、なんならナツがあそこまで余裕があるのが意味が解らん。


「このあたりも、昔は結晶に、覆われて、いたようでして」

「この山が、ですか。それはなんとも」


 そうは見えない、というのがまず浮かんだ。

 結晶が自然発生した土地は、連鎖的に結晶が大地から突き出ることが多い。それこそ川だったり、地形や地質に差があるところでなければ結晶による土地の浸食は止められないというのが通説だ。

 だからこそ北部の開拓村は川を背にして結晶の大地を開拓しようとしていたのだし。


「ええ、ええ。実は、結晶が剥落したことで、あの神殿が表出したのが切っ掛けなんです」

「ああ、あの崖ですもんね。剥落した結晶はどうなったんでしょう? 神殿を覆う大きさなら相当な大きさのはずですが」

「ええ、ええ。剥落した結晶は落下した衝撃で砕け散り、大きなものから王家に収められたそうでして」

「……流石に王家ですべて引き取るというのは無茶が過ぎる気が」

「ええ、ええ、もちろん。他の大きなものは教会や貴族家、一部の鼻が良い商家なんかも買い取ったそうで。麓の遺跡群にはその時の欠片が今でも発見されますから」

「神晶国がこれを輸出資源にしないのが不思議でしょうがないわ」


 まあ確かにこれだけあるならと思うのは仕方ないだろう。

 だが、俺は禁輸に全面的に賛成だ。それにそもそも厳密には禁輸しきれていなかったりする。


「実際は黙認状態らしいですけどね。港を持つ貴族家が法外な関税をかけていて、それを国に上納している、なんて言われていますから」


 特にネルヴェッタ。島の東部湾の奥まった位置にある水と芸術の街。

 東部の玄関と言われているルセルビアとの違いは神都への近さと中央山脈から流れる川を町の中に引きこんだ作りになっていて、ルセルビアを訪れる人よりも資金的に余裕のある海外からの渡航者が多いという点。

 川の水を利用した水路による優雅な景観と、国内で主流の大衆娯楽の全てが集まったと言われるネルヴェッタは圧倒的にの数が多い。

 水の街、劇場都市と言われているネルヴェッタは人種の坩堝などと言われているのだ。人種という意味でも、オラクルの活用場所という意味でも、もちろん毎日多額の資金が動く街という意味でも、だ。

 それでいて聖地ロクローに近く、その奥、位置的には西にある神都までの行き来もあって、国内では神都に次ぐ規模だ。


 つまりは貴族家による都市を栄えさせるという競争、ネルヴェッタの中でよりよい生活を営もうとする人々。それらによって様々な文化が生まれ、競争が行われている都市なのだ。

 当然、それらを競わせる領主の手腕もそうだが、街を栄えさせるのに手っ取り早いのは税収を上げること。その収入で街を大きくしていくこと。

 その税収においてギリギリのグレーゾーンとして見られているのが、結晶の持ち出しにかかる関税だ。


「ただし、そこは王家と教会もきっちりしています。見逃す大きさは爪より小さなものに限定しておりますし、持ち出しに関してはその記録もつけているとか」

「本来なら禁制品の横流しと賄賂に当たるのでしょうが、何故認められているのでしょう?」

「金の力ってすごいですから」

「ええ、ええ。そうですな。貨幣とは恐ろしいものです」


 いつだったか、教会にやってきた貴族家と司祭の話を聞いたことがある。

 こちらの船に乗せていた品物が海難事故で失われてしまった。その中に海外のいと尊き身分の方が注文したものがあったらしい。

 それに対し相手方は癇癪を起こし、戦争を起こそうとしたがこちら側の謝罪と賠償によって事なきを得たとのこと。

 そもそも戦力としては国土的に不利であっても、オラクルを身に宿す兵隊レベルでは圧倒的に神晶国が有利だとの見方がある。

 それに賠償金も適した額面ではなく、倍額を気前よく出したことによって相手の留飲を下げさせたという決着だった。


「それは良かった、のですか? 事故ならば偽装されることもあり得るのではありませんか?」

「実はその品物、ネルヴェッタの演劇で使われたものらしいです。相手方はどうやら演劇が好きだったらしくて。劇場の上席を用意した上で金銭やサービス接待で納得してもらったとか」

「え、そんなことでですか?」

「そんなことで、ですよ。時間と金があるところから搾り取るのがネルヴェッタという街ですから」


 ネルヴェッタにある多くの宿は、併設された酒場で演奏家や役者が即興の演奏や演劇を見せたりするらしい。その手の宿に泊まる人間にとっては宿代に酒代、演者へのチップなど、とにかくお金を浪費しやすい場所なのだ。

 結局そういった極上のもてなしが金になると判断して街づくりを進めた先人に先見の明があったという事だろう。


「はい、はい。ネルヴェッタは確かに欲望の街なんて呼ばれますが、しかし、しかしです。あの地に住まう富豪は少しでも値打ちがあると糸目をつけずに資金を出します」

「あら、フェロー氏はネルヴェッタにパトロンがいるのかしら?」

「いいえ、いいえ。私を援助してくださるのはルセルビアのお方です」


 ああ、なるほど。ネルヴェッタから金を出してもらっている研究者がいた、もしくはいるんだろうな。


「楽しんでいるところ悪いが、仕事の時間だ二人とも」

「ナツは?」

「先に行ったぞ」


 背後から出てきたジェイが指をさす。振り向いた先から号砲が鳴り響いた。


「相変わらずすごい音」

「おお、おお。魔銃の使い手様は、とても優れた伐採者なのですね」


 少し気になることを言ったフェロー氏へ視線を向けるが、ナツばかりに任せていられない。

 俺は新しいピックアックスを抜いて、先に行ったジェイの後を追いかけた。




 休憩後、程なく神殿へ到達した。

 ナツが倒した獲物は妖鬼化していたため食用にもならず、その場に埋めてくることになったが、その手の仕事はピックアックス持ちの俺の仕事だ。


 神殿についてからは最寄りの川までの往復も請け負った。

 魔銃使いのナツ、何かしらの剣技や戦闘技術を持っていたジェイやローズと比べると俺のそれはただの自己流。もちろん切り札の一つや二つはあるが、それでひっくりかえせるかも微妙なところ。

 結局俺は何ともなしに身の程をわきまえて雑用係に徹することにしたのだ。


 この辺りになると岩肌から緑がわずかに見えるくらいで岩や薄紫の結晶がこの辺りのほとんどを占めている。

 川辺に近寄るとより一層その寒々しさが空気を伝って体を震わせる。確かに夜は冷え込みそうだ。

 拠点となる神殿跡へと戻ってくるとそれぞれが荷物を広げていた。それに加えてテントが固定できるようにいくつか金具が打ち据えられている。


「ここってこういう使い方が許されてるんですね。あ、戻りました」

「ええ、おかえりなさい。どうやらそうみたいですよ。とはいえ傷をつけないように最低限ではあるようですが」


 神殿は崖側に柱と屋根で出来た古めかしい白亜の神殿の様相となっており、山頂側には大きなスペースが広がっていた。

 中央には黒くなった床染みのようなものがあるが、天井は大きな穴をあけて日差しが差し込んでいる。


「ここ、初めて来ました」

「ふふ、私もです」


 テント内にいる様子のジェイとフェロー氏を待ちながらローズと向かい合う。


「そういえばナツは?」

「あれ? オットーさんと一緒だったのでは?」

「え?」

「え?」


 あの女、目を離した隙にいなくならないと気が済まないのか。

 いやホント、何でいつもいつの間にかいなくなるのか。協調性皆無かあの女。


 結局フェロー氏とジェイと合流した後、どうやら外で待っていたナツも合流できた。

 神殿の背後は急斜面となっているため神殿正面の崖下は後回しにして神殿の周囲を調査することになった。

 岩と結晶に囲まれた神殿跡地。透き通る結晶越しに何かを見通そうとフェロー氏が齧りつくように観察している隣で、俺やジェイ、ローズは得物を振るい、ナツは景気良く魔銃をぶっ放す。

 派手にぶっ放すナツによっていちいち調査を中断するフェロー氏を見かねてナツが魔銃を切り替えたが、今度は逆に音が無さ過ぎてこちらが変な汗をかくことになった。


 結局その日は大した成果も見つからずに、冷え込む夜を迎えることになった。




「さあ、行こうか」

「はあ?」


 ジェイとローズ、フェロー氏、俺、そしてナツ。複数のテントでフェロー氏のテントを囲むようにして展開されていた寝床。月明かりが差し込むこの空間の下見張りを置いていたが、俺とナツの遅番のタイミングで唐突に言い出したことに思わず声を上げてしまう。

 ここで聞こえる音なんてせいぜいが吹き込んでくる風の音くらいだ。思った以上に声が響いて俺はすぐに声を潜めて問い質す。


「……どこに」

「それはもちろん、秘密の場所に、だよ」

「……何か見つけたのか? 何で共有しない?」

「その方がいいから、だね」


 思わず深くため息をついてしまう。もうコイツの要領を得ない発言には慣れたが、せめて、せめてだ。


「……俺を巻き込む必要性について教えてくれ」

「お兄さんが一番客観的な立ち位置にいるからだよ。さ、行くよ」


 そう言ってすたすたとその場を離れようとするナツを止めようとし、声も出せず、派手な動き出しも出来ずにゆっくりと彼女の後を追うことになる。

 神殿跡を出て、建物を回り込むようにして神殿背後、急斜面に挟まれたそこにやってきた。


「ここに何かあんのか?」

「お兄さんはさ、何か気付かなかった?」

「この建物にってことか? 正直言って建築様式とか材質とかそういうもん言われても分からないぞ」

「んーん。そうじゃなくて、。間取りって言えばいいかな」


 いや、分からん。神殿を外から見た時と内から見た時ってことか? そんなの分かるわけないし、そもそもそういうのは研究者たちの調査で分かるんじゃないのか?


「違うよ? 中から見ても外から見ても広さは同じ。変わってるのは中に入った方」

「……何?」

「むしろ中にいる時の方が建物の広さを感じたんじゃないかな。で、その仕掛けが、これ」


 そう言って彼女が指さしたのは何の変哲もない壁。まっさらな壁というよりは、建築様式に従って彫り込まれた文様のように思える。


「どれだよ」

「コレ。建築の様式に馴染むように、ここだけ細工してあるの」


 波のような鱗のような模様に一つだけ逆向きの模様。有隣種の逆鱗のような模様。

 なるほどと思える場所だが、それよりもこれが、という感想。そもそもこれを見落とすとかあるのか? いや、ナツは何でこんなことを知っている?


「……それを見つけて、俺に教えて、どうしたいんだ。明日皆で見ればよかっただろ」

「ぶー。私は見たいんだよね。このが」

「奥?」


 ナツが手を伸ばして細工に触れようとして、僅かに足りなかった。

 ぴしりと固まる空気。ゆっくりと振り返ったナツは俺に振り向いてこう言った。


「代わって?」

「……はあ」


 ナツに代わって細工に触れる。何も起こらない。いや、これはボタンじゃなくレバーだ。

 ゆっくりと上下に揺すりながら引き出し、スッと感触が軽くなったところで逆鱗を反転させる。

 うん、これで綺麗になった。流れるような網目のような整然とした文様。


 しかし、その文様が揃ったと思えば、ぞろぞろと蠢きだし壁の上で動き出した。

 窓に張り付いた虫のような動きに思わず一歩引いてしまうが、ある時急に動きを替え、目の前で輪っかを描き出した。

 そして。出来た輪っかに沿って壁が空気に解けるようにして消えた。

 後に残るのは、逆立った鱗が囲う、まるで何かを捕食するための大きなあぎとにも見える。


「さ、行こっか」

「……目の前に現れた虎穴がなんか気持ち悪いんだが」

「んー大丈夫じゃない? 虎児はいないけど」

「さ、帰るか」

「はい」


 後ろを向いた俺に固い何かを突き付けてくる鬼畜女。他の人間なら刃物とか何だろうがきっと魔銃なんだろうな。


 観念した俺は恐る恐る、開けてしまった未知の入口へと足を差し出した。


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