3.キセキ
「起きてくださいっす」
その声にハッと意識が覚醒する。
夜中に交代したシアンさんの声にさっと立ち上がる。急ごしらえのテントは狭い一人用。寝心地もとてもいいとは言えないものであるからか浅い眠りだった。
「こっちに近づいてくる集団がいます」
「味方と言う可能性は?」
「だったらいいんすけどね」
直ぐに片づけて出立の準備を整える。近くにいた馬もなんとか無事だったようだ。
野営地を後にする直前、ふと樹の上を見るがそこには何も無かった。
昨夜見た少女も、そもそも見たことも話したことも夢幻かのように朧気のままその場を後にした。
シアンさんが見たという集団は2パーティー10名前後の伐採者を装っていた。そのくらいならよくあることだ。
彼らは街道を爆走するこちらに気付くと道を開けた。
「悪いな!」
「おう!」
シアンさんとそのパーティーの間でそんな掛け声があった。そしてそのまま何事も無く通過していった。
馬の足を緩め、街道を走るシアンさんが僕の方によせて来る。
「どうっすか?」
「黒」
「じゃあこの先っすか」
先ほどの伐採者連中の結晶からは隠しきれないほどの瘴気が漂っていた。
結晶は瘴気の影響を受けやすい。ただしそれはオラクルを発揮することである程度解消できる。
問題は瘴気が溜まった状態で長い時間置いておくことだ。
オラクルを発揮できない結晶はその行き先を結晶の進化に用いる。つまりはより深く肉体と繋がろうとするのだ。
結晶自体も多少は影響を受けるとはいえ、それでもある程度瘴気の受け皿として機能する。しかし、肉体は別だ。
瘴気による肉体の影響も、結晶の進化もそれぞれが悪影響が大きい。
隠しきれない程瘴気を貯め込むような人種には一つの傾向が見られる。それは、棄教者であることだ。
棄教者とはオラクルを否定した者。つまりは輝石への祈りを否定し、自らの結晶を変貌させんとする者たちのことだ。
やり方はいくつかあるが、そのどれもが道徳に反したものであるためそう呼ばれる。
盗賊、背信者、殺人鬼。いろいろと言い方はあるが、彼らが目標としているのは他人の結晶、もしくはその血だ。
「っ! まずいっすね、塞がれてます」
「あー、これは……」
木々で塞ぐ程度ならすぐにどかせる。問題はそれに絡んでいる結晶だ。
明らかに倒した木なのに結晶は一つとなって木の幹を絡めとっている。状況としては倒木の真下から生えた結晶が横たわる木々を持ち上げ柵にしている状態だ。
これは明らかに不自然な状態だ。
森や木々や山の岩肌に結晶が生えてることはあるが、こんなふうに結晶が生えることは普通は無い。
「気配は向こうっすね。多分引き返してもさっきすれ違ったやつらが塞いでるでしょうね」
「森の中を突っ切るのは」
「おススメはしないっす。単純に馬連れていくには不向きですし、森の中で数的不利って自殺行為っすからね」
「あー、つまり僕はどうすればいいんです?」
「あいつらが一番嫌なのはストウィッチから破砕部隊を呼ばれることです」
破砕部隊に神殿騎士など教会が保有戦力はいくつかあるが、その内防衛以外に使われる戦力が破砕部隊だ。
何を砕くのかは分かり切っている。当然結晶だ。それもこういった棄教者に対する専門的な部隊。
ここで勘違いしてはならないのは、彼らは異端審問機関ではなく、あくまで輝石信仰の神聖性を維持するために存在しているという事だ。
どんな教えであれ、それを害することはしないが、輝石というクリスティアンをクリスティアンたらしめる結晶を非道な道具とするものに容赦がない。
国内における最たるものが棄教者である。つまりは問答無用で始末を受けるはずの相手がいるのだから、こちらの勝利条件は時間稼ぎと言うことになる。
「こう言っちゃあれっすけど、僕は何とかなるんですよ」
「ええ、言いたいことは分かります。僕が足を引っ張っていますね」
【身軽】を持つシアンさんからすれば森の中を縦横無尽に駆け抜けて相手を撒くというのは容易なことだろう。【疾走】や【迅速】なんかの移動系オラクル持ちがいても数字持ちのシアンさんが翻弄しやすいフィールド条件が揃っている。
「これを」
教会宛ての救援要請をしたためた紙を渡す。便箋も印も封蝋も公式の形に則った公文書だ。ちなみに二枚。教会と町を治める貴族へ向けたもの。まあ行きつく先は同じだが、これで握りつぶされることは無い、と思う。
開拓村にいる村長にも一枚預けてある。僕たちより先に出た人たちが妖鬼の襲撃をうけてとんぼ返りしてくるあいだに出来た時間で書いたものだ。
恐らくこれがないと教会は動かない。伐採者協会は同族殺しの可能性がある場合には極端に腰が重くなる傾向もあるようだし、そうなれば最北の開拓を主導した貴族や権力者などに訴える必要がある。どうあれ必要なものだ。
「自分が言うのもなんですけど、大丈夫っすか?」
「任せてくださいよ。僕、自慢じゃないですけど中央山脈を横断したことあるんですよ?」
「それが本当なら思ったよりぶっ飛んでる先生だったっす」
「まあ体力と足腰はそれなりに自信あるんで!」
まあそんなことを言ったとしても大して安心できないだろうけど。
「馬は適当に逃がしておいてくださいっす。出来るだけ早く戻りますんで」
「あはは、お願いしますね」
囮になる。これがどんなことか僕だって当然理解しているし、シアンさんの方がもっと理解しているだろう。
シアンさんが森の中に消えた後、僕は馬を森の方に追い立て一人で倒木を回り込む。
ぱっと見では誰もいない。ああいや、雑木林の中に隠れていたようだ。僕が荷物を持って旅人のようにてくてくと道を進むと、前に数名が出てきた。
「あれー? お兄さん一人かい?」
「ええ、そうですよ。どうされました?」
「どうしたもこうしたも、ねえ? そっちもわかってるでしょ?」
「ふむ。何でしょう。何かお困りで?」
溜息をついて頭をガリガリとかく男。【呼吸Ⅰ】ね。ああ、所謂クソオラクルとか言ってやさぐれた類かな。時折オラクルの差で他人を貶めるということが起こるのはこの国あるあるだ。
周囲を囲む他の男たちにも【判定】を使いオラクルを暴いていく。基本的にこういった利用法は教会で禁止されているが、僕はそれを律義に守るつもりはない。
【発声Ⅰ】【筆記Ⅰ】なんかの何でこんなとこにいるんだというオラクルもあれば、【爆破】【柔軟Ⅰ】【自失】【頑脚Ⅱ】なんかのオラクルもある。
「一人逃げたよね? 俺ら知ってんだわ」
「そうなんですか? それは存じ上げませんでした」
この手の脅迫に応える必要はない。あくまでオラクルによる判定だが、それで相手の打ちそうな手は分かる。
そもそも
地揺れがあったとはいえ、北の開拓村が壊滅状態であることを知っているのかいないのかで対応が変わる。
だからこそシアンさんに手紙を預けたというのもある。ついでに言えば開拓村に言っていた【巡礼】持ちの巡礼者だと思ってもらえれば僥倖だ。
「あー、もういいや。おい、てめえ」
「何でしょう?」
にっこりと笑みを浮かべるのを忘れない。正直緊張でどきどきしているし、自分の笑みが引き攣っていないかどうか心配だ。それでも、僕自身培ってきたものが、積み重ねてきたものがある。
「とりあえず死んでくれや」
「残念ですがお断りします。いえ、非常に難しいと思います、の方が正しいでしょうか」
周囲の空気が冷え、彼らの表情に赤みが差している。風邪でもひいたのでしょうか。
「さっさとこのクソガキを殺せえっ!」
四方八方から襲い来る男たちを前に、僕は【判定】のオラクルに力を注ぎこんだ。
オラクルについた数字。それは明確なオラクルの性能差ではあるが、【判定】というオラクルの可能性は、いやそもそもオラクルというものは、真実奇跡と呼ぶにふさわしい力であるということを見せてあげよう。
振り下ろし。これは当たらない。
「死ねやあ!」
後ろから掴み。ピックアックスを腕の外側に引っかけて位置を入れ替える。
「うおぉ! くっそが、こいつちょこまかと!」
遠くから弓。胴狙い。早めに射線を切ろう。
「おい! そいつ早く捕まえろ!」
「うっせえ! 黙ってろ!」
連携もおざなり。左から二人。点の攻撃? しゃがみ込んで足を刈り、体勢を崩したところを突き飛ばす。
「がっ!」
「ぐっ、おい!」
巻き込んで倒れた二人組の足を狙いピックアックスで砕く。
「あ゛あ゛あっ!」
これで6人目。思ったより大したことは無いが、すれ違ったやつらや他の人員もいるであろうことを考えると、一度場所を変えるべきだろうか。
いや、森の中で優位がとれる訳でもないことを考えるとこの判断は危険か。移動するなら街道沿いにストウィッチに近づくようにするべきなのだろうが。
「兄貴まだか! コイツ結構やるぞ!」
「巡礼者が何でこんな強ええんだよ! 話と違うぞ!」
誰もそんなこと言ってないんだけどね。
でも、そうか。僕を巡礼者だと思っているということは開拓村のことは知らない様子。
「私も比較的長く旅をしてきましたから」
「んなこと聞いてねえんだよ!」
「そうですか、それは失敬」
煽るのを忘れない。
数は力だ。本来なら数で圧殺できるはずのところを崩しながら何とかしている程度。
いくら僕のオラクルが【判定】しているからと言っても、不利なのはこちらだ。
「そう言えば皆さん、こんなところで何をなされているので?」
「チッ……随分余裕そうじゃねえかテメエ」
「いえいえ、そんなことありませんよ。普段教会に籠りきりなので既に腰が痛くて」
なんかちょっと冷めてるな。こちらが強さを見せずに有利を維持しているからか変に警戒されている気がする。
増援待ちに切り替えたか。目の前の【頑脚Ⅱ】の男を改めて見据えるが、うん、やっぱり慣れてない。
喧嘩くらいはしたことがありそうだが、殺しに慣れているようには見えない。
まあそもそも、クリスティアンの見た目はあまり宛てにならないことが多い。
どれだけ線が細くて華奢であっても、所持しているオラクル次第で全く違うのだ。特にフィジカル系のパッシブ効果のあるオラクルは数が多い。【頑強】持ちなら10人のうち数人は見つかるだろう。
しかしそれにも当たりはずれがある、と口さがない者は言う。【頑脚】【鉄拳】なんかはその類だ。
子供たちは【頑脚】持ちの子が足相撲で強いとはしゃぐことはあるが、それ以外で役に立つことはほとんどない。
【鉄拳】も実際に鉄の如き固さを得られる訳では無く、【鉄拳】持ちの食堂の奥様は悪戯小僧どもを全力でぶん殴っているが基本的には殴った方が痛いとよく仰っていた。
もちろんオラクルを発動させるのは任意なので必ずしも効果が無いという訳では無い。しかし、部位が限られている割に効果量がイマイチ、というのが一般的な認識だ。
目の前の男は【頑脚Ⅱ】。足技を主体とする格闘技術がある可能性はあるが、彼はここまで一度として僕に格闘戦を仕掛けようとしてきてはいない。見た目も結構短絡的に見えるのに。
「ここは比較的ストウィッチに近いのに、よくこんなことをしていられますね」
「はっ! そもそも
開拓村のことを知らない? もう何年も前からあるのに? 警戒しすぎたか?
「それは失礼。瘴気の分布状況を調べるのは教会の大事なお仕事ですから」
「そうだよなあ、
ゼラニウム。自然界に発生する結晶に対する隠語。表向きは神晶国の資産と言うことで結晶と一まとめにされているが、自然結晶、瘴気結晶と呼ばれるもののことを指している。
盗伐者で決定。破砕部隊が出てくる可能性が低くなった。どちらかと言えば伐採者の管轄だろうし。ただ、やはりもう一つの疑問がある。
何故、こんなところにいるのか。
盗伐は手段でしかなく、結局彼らが棄教者であるなら、もう少し証拠が必要になる。
「おぉいぃ? ナんか、足りネえんじゃネぇかあ?」
「兄貴ぃ!」
声が聞こえたのは雑木林から。ちらりと視線を向ければ納得がいった。
本来肌にわずかに露出している程度がクリスティアンの結晶だ。僕も胸元にあるがそれは指一本分より小さい。
それが兄貴と呼ばれた男は完全に結晶が体から生えている状態に見える。
神晶国の王族が持つ結晶冠や、教会の巫女が持つと言われている結晶角と同等かそれ以上。
人が持つには大きすぎる結晶。
「……なるほど。貴方たちは、いえ、貴方は……」
「ああん? ……おいおい、教会の犬じゃネえかあ」
【破砕Ⅲ】という、その姿からは予想も出来なかったオラクル。
彼が何を生業としていたのか一瞬で理解できてしまうオラクル。
「死にたかったのですね」
「ぶっ壊さなくちゃナあああっ!」
元破砕部隊だったであろう男が大槌を振り上げてこちらへ吶喊してきた。
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