第3話
二
昼休みになり、教室中がどっと
この時間になると、生徒は昼食を弁当ですませる者と学食ですませる者とで分けられる。しかし鳥羽高の学食は人気がなく、せいぜい金持ちの物好きか、あるいはひとりを好む者を中心に利用されるイメージがある。なのでクラス内のほとんどの者が、片手に弁当箱を持っていた。
燈ももちろん弁当派だった。学食も嫌いではないが、通いつめるほどではない。それに、明らかにこっちのほうが安上がりだ。それは、ほかの生徒たちも同じように思っているだろう。
「不機嫌そうな顔だな」
と、目の前の席に座る美紀。
前の席の人は、ちょうど黒板側の席で友人らと弁当を囲っている。
「そう?」
「ああ。一限目から──いや、トイレに行ったときからそんな感じだったよな」
細かいところを突かれて燈はむっとなった。
たしかにいまの自分は機嫌が悪い。あのバカ師匠に今日の調査を押しつけられてしまったのだ。まだひとりではできないことがいろいろとあるし、教えてもらっていないこともある。なのに、ひとりでやれ、だと? そんなふうに思っているうち、自分がなんだか惨めに思えてきた。実際、惨めなんだろうな。
「ドタキャンされたの」
と、燈は言った。
「へーえ」
美紀は興味なさげだった。
だったら訊くな、と言いたいのをこらえる。
お互いに弁当箱を開き、いただきます、と唱えた。まず出し巻き卵から口に入れる。今日はすこし甘く作ってみたが、なんだか甘すぎるような気もした。まだまだだな、と反省する。
「相手は女だろ」
「そのとおりだけど、なんで?」
「男だったらおまえとの約束をボイコットしないから」
「それだけの理由で?」
と、半ばあきれていた。
さすがに主語がでかすぎるだろう、と思ったのだ。たしかに男子から人気があることは自分も自覚しているし、正直そんな自分が好きではあるのだけれど、さすがにそれは大げさすぎだ。
「そういえば、志摩先生に
なっ!
危うく口に含んでいた水を吹きそうになった。
「な、なんで志摩先生なワケ!?」
美紀が急に話題を変えてきた。
彼女の話題転換はいつも急なうえ、間をおかない。なのでそれまでしていた話題と混同してしまうことがある。
「なんだそのリアクション」
「え、あ、いや……なんでもないです。それより、イトコがどうしたの」
「この学校にいるって噂があってな」
また噂か、と
イトコを通じて仲良くなる、というセンもいけるんじゃないか、などと思いながら。
「へーえ、そうなんだ。それで?」
「? うん、イトコがいるらしいって。ただそれだけ」
「ただそれだけ……?」
「なぜそこで絶望したような顔になるんだ」
ほかの生徒はもちろん、美紀にいたっても燈が志摩先生に好意を寄せていることは知られていない。誰も勘づいた様子はないし、噂になっていれば美紀の口から知るだろうだから、ほんとうに彼らは知らないのだろう。
そもそも教師に対して
「ごちそうさま」
食べ終えて、合掌する。
さっさと片づけをしていると、その様子を見ていた美紀が、
「なにをそんなに急いでいるんだ?」
と訊かれた。
ぎくっとなりながら、燈は
「これから図書館で勉強しにいこうかなって。美紀もどう?」
「いや、あたしはパス。テキトーに過ごしておくわ」
「そっか。わかった」
悪いな、と美紀は言って水筒をぐびぐび飲む。
その隙に燈は廊下に出た。昼休みが始まったころは人の流れは激しいが、中ごろになるとそれも落ち着きをとりもどして始めていた。
いまから向かうのは職員室だ。志摩先生に会って、今日の放課後の予定を訊く。あからさまな態度ではもちろんまともに対応してもらえないので、すこしズルい方法を使うしかないだろう。心の準備を整える時間がほしいがために奥の階段から遠回りすることにした。
その途中、
──やっぱ鳥羽の皇女いいよなあ。
──髪きれーい。どんなふうに手入れしてるんだろ?
──声かけちゃおうかな。え? ばっか、三回フラれても四度目のバカ正直ってのがあんだよ。
などと、じつに心地のいい言葉ばかり聞こえてくる。
自己肯定感が上がって、まるでレッドカーペットを歩くハリウッド女優のような気分になって、
(大丈夫。私ならいけるわ)
と、なりをひそめていた自信が浮き出てきた。
「おや、火野君か。どうしたんだい、いやにご機嫌じゃないか」
「ひゃああ!!」
階段の踊り場のところで、ばったり志摩先生と遭遇してしまった。
顔の熱が一気に上がる。加熱されているような感覚で、もう脳みそが溶けてしまいそうだった。想い人と顔を合わせ、話しかけられてうれしかったのもある。けれどその代償があんな素っ頓狂な声を聞かれることだなんて……とさらに頬が紅潮する。
「ごめんごめん、驚かせてしまったか」
「あ、いえ、べつに先生のせいじゃありません。すみません、前見てなくて」
「そっか。お互い気をつけなきゃね」
小さくうなずき、燈は伏し目がちに志摩先生を見上げた。
丸い眼鏡をかけた先生で、スーツ姿がいやに似合うすらりとした体型だった。華奢ではあるが、運動もそれなりにできるらしく、こないだの体育祭のリレーでは現役陸上部の三年生と並んで走っていた。結局、その三年生には敗北してしまったのだけれど、全力で走りきる志摩先生の姿にはもちろん惚れ直した。
「あの」
「うん?」
「今日の放課後って、時間ありますか」
「放課後? うん、大丈夫だけど」
「その、相談したいコトがありまして」
「相談? 進路について?」
「まあ、そんなところです」
嘘をついてしまうのは忍びないが、ここは耐えるところだ。
「そっか。それじゃあ、放課後、職員室にきてもらっていいかな」
「はい、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。それじゃあまた、放課後、職員室で」
と言って、志摩先生は階段を上がっていった。
左手に彼の背姿が流れていくまでのあいだ、燈は見つめつづけた。
とうとう姿が見えなくなると、燈はほっと息をついた。高鳴る動悸はまだ落ち着きをとりもどせずにいる。しばらくは生殺しの状態らしい。だが、それは半分合っていて半分間違っているように思えた。それまでの長いあいだずっと緊張しっぱなしではあろうが、告白できることの達成感でいっぱいでもあるため、そう思った。
「……これで、いいんだよね」
と、自分に問いかける。
これでいいのか。
このままバカみたいに突き進んでいいのか。
後に引けなくなったと同時に、そんな不安が胸の中で渦を巻いた。
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