第12話 竜の子


 エリタリーナは、その竜にレッドクイーンと名付けた。竜を討伐した人に名前を付ける権利があった。死んで魂を失った竜の肉体は、イルザック学院の研究機関に送られる。そこで竜の研究をしている人間によって、詳しく解剖されるのだ。


 最も、死体の竜を解剖したところで、成果は少ない。竜がどこから来るのか、なぜ人を襲うのか、死んだ竜を調べたところで、重要なことは分からない。竜については、自然災害だと捉えて対処するのが一般的になっている。


 エリタリーナはシャワーを浴びていた。竜を殺したあとは、入念に身体を流す。殺気を洗い流さなければ、日常生活に支障をきたす。これは、竜を殺した後の儀式だ。そうしなければ、まともな精神状態でいられない。


 あの二人は大丈夫だっただろうか。竜の死を目の前で見た、勇敢な少年と、泣き虫な少女。少女の方は、かなり精神的に参っていた様子だった。少年の方も少女をかばっていたが、内心では辛かっただろう。直接話す機会はなかったけど、印象に残る男女だ。


 シャワーを浴びながら、レイリンにそのことを話す。レイリンは湯舟に浸かっていた。広い湯舟だ。ジャグジーまでついている。湯に浸かる文化のない国の出身だけど、お風呂は癖になりそうだと、レイリンは顎先まで湯に浸かっている。



「千巻 藤糸郎と、小岩井 静香ね。鯨王候補と、陽斗の妹じゃんね。あー、こわ。運命って不思議だよ。席替えとかでも、よく隣になる人いるよね。てか、ちょっとでも竜を殺すのが遅かったら、あの二人、死んでいたよね。ひー。ぎりぎりセーフだ。危なかったね、エリタリーナ」


「テンション高いわね。レイリン」



 レイリンは機嫌な良いのか饒舌だ。エリタリーナがシャワーを浴びている間、ずっと喋っていた。日本に来たばかりは不機嫌だったけど、なかなか日本の文化を気に入ったみたいだ。風呂なんて、その象徴である。


 二人が風呂から上がると、来客が来ていた。帝王ホテルの二人部屋はとても広く、来客の知らせもインターフォンが備え付けてあり、それで分かる。お風呂上りで、髪を入念に手入れしていた途中だけど、来客に対応する。こんな時間に訪ねてくるのは、緊急の案件に違いない。


 来客は、日本の竜に対する防衛を担当している大臣だった。エルドールの受け渡しから連日の勤務で、やつれた顔をしている中年だ。日本の政治家は熱心だなと、エリタリーナは大臣を部屋に招く。



「単刀直入に申し上げますと、レッドクイーンの胎内から、推定10歳ほどの人型の生命体が発見されました」


「はい?」


「こちらでは対処しきれません。そもそも、人間かどうかの判断もできません。竜に食べられた子供なのでしょうか。それとも、竜の子なのでしょうか」



 大臣の説明が変な言い回しだったのは、竜の身体の中にいた生物が人間だとは限らないからだ。人型をしていても、エルフのように、人間ではない可能性があると大臣は、というか日本の竜に関する専門家は考えている。



「竜のお腹に人間の子がいるなんて、聞いたことがないわね。竜は人を食べるときに鋭い前歯で噛んで食べるの。丸のみすることはないわ。丸のみしたとしても、胃の中にいるはず。わたしにも、すぐに判断はできない。実物を見せて」


「分かりました。すぐに手配します」



 エルフドールを受け渡すだけの簡単な仕事だったのに、大変なことに巻き込まれている気がする。レッドクイーン程度の、竜の討伐なら朝飯前だが、ヘンテコなことに巻き込まれるのは慣れていない。竜のお腹に、人型の子供がいたなんて、聞いたことがない。


 シャワーを浴びて、一度気持ちがリセットしたまま、眠い目を擦って日本の研究室に向かう。重要な施設は都心に集まっているので、こういうときの移動は楽で良い。深夜なのにも関わらず、研究室は多くの人が忙しそうに働いていた。


 日本を救った英雄の登場のような歓迎ムードに、苦笑いを浮かべながら案内に従う。大臣を先頭に、研究室の一室に通される。ガラス張りの壁の向こうには、ベッドが置いてある。そのベッドには、女の子がスヤスヤと寝ていた。


 寝ている女の子に対して、複数の大人が厳重に警戒をしている。エリタリーナはガラスの壁を叩く。コンコンと不思議な音がする。何らかの特性を持った強化ガラスだろう。人に見える。しかし、人としては扱わない。



「わたしが処理するわ。開けて」



 エリタリーナが指示すると、彼女と少女を隔てていたカラス張りの壁が開く。壁の一部はドアになっていた。エリタリーナは懐から文庫本を取り出す。本は人工エルフによって、銃に変化する。


 エリタリーナは少女が眠るベッドの横に立つ。人間の10歳くらいの女の子にしか見えない。しかし、彼女が竜であることは直感できる。レッドクイーンの子なのだろうか。竜に生殖機能があること、それから、子供が人型なこと、分からないことは多い。


 少女のこめかみに銃口を向ける。躊躇いはない。しかし、疑問だけが残る。蛙の子は、どうしてオタマジャクシなのだろう。その程度の疑問だ。その程度の疑問は、エリタリーナにとって邪魔にはならない。


 トリガーを引く。


 発砲の音が、ガラスを震わせる。


 しかし、弾丸は、少女の皮膚を傷つけることすら叶わなかった。エリタリーナは弾切れになるまで、銃を撃ち続ける。それも無駄だった。空になった銃は、本に戻る。エリタリーナの手から、本が零れ落ちる。


 少女の顔の近くに本が落ちた。


 刹那、少女はギャッと目を見開く。爬虫類を思わせる黄色い瞳だ。人間のものではないと思う。エリタリーナは舌打ちをする。研究室から、ざわざわとした声が聞こえる。煩わしく思い、落ち着けとジェスチャーをする。


 少女は上手く身体が動かせない様子だった。手足を固定する器具が付けられているのだから当然だ。右に左に、視線を泳がせ、エリタリーナと目が合って、安心したようにニッコリと笑い、口を開く。



「ママ!」


「はあ?」



 困惑に満ちたエリタリーナの声は、銃声よりもガラスを震わせた。

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