第10話 レッドクイーン

 

 

 何か嫌な予感がして、深夜に目が覚めた。嫌な予感に対して、無視をして二度寝をするわけにもいかずに、ベッドの上で身体を起こす。隣には、小岩井さんが寝ている。スヤスヤと気持ちよさそうな寝顔だ。いつも、こんな寝顔なのだろうか。起こさないように、ゆっくりとベッドから降りた。


 カーテンを開き、大きな窓からベランダに出る。東京の夜景が見える。夜の静寂は東京に無い。ランプのような赤い光と、風の音、それから遠くから聞こえる機械音が平常を彩る。この嫌な予感はなんだろう。悪夢を見たときのような刹那的な感覚ではなく、起きてからも付きまとう。


 嫌な予感を祓うために、夜風に当たる。


 帝王ホテルからの景色は、家の窓から見えるものとは少し違った。


 この夜景は、いつまでも見てられるね。



「ん?」



 一瞬、強い圧力を感じる。


 嫌な予感は、胸騒ぎへと変わる。


 刹那、警報が鳴る。


 ウー! ウー! ウー! と深夜に鳴るには大きすぎる警報に耳が痛い。赤いランプが灯り、東京の空に回る。発竜警報だ。何度か聞いたことはある。しかし、竜が現れる度に、こんな胸騒ぎはしなかった。


 ベランダから部屋のなかに入る。



「……なに?」


「起きて。服を着て。避難するよ」



 ベッドの上で静香が目を擦っていた。


 僕は部屋の電気を点け、ホテルの懐中電灯を手に取り、避難経路を確認する。この階は、エレベーターを使っていいらしい。二階のエントランスから外に出て、近くの中央公園が避難場所に指定されている。


 発竜した直後の竜は高い建物に泊まる可能性が高い。スカイツリーが赤いランプを灯して、竜をおびき寄せてはくれているが、帝王ホテルは危険だ。すぐに中央公園に逃げないといけない。


 幸い、日本にエルフドールが届いた直後だ。明日にはイルザック学院の面接があるのだから、エルフドールに乗れる人も近くにいると思う。それでも、久しぶりの発竜だ。不安は残る。


 冷蔵庫から水を取り出す。多い方が安心だけど、重いと避難の邪魔になる。ペットボトルを二本と、懐中電灯を持って、静香を待つ。



「ごめん。お待たせ」


「いくよ」



 部屋から廊下に出たタイミングで、ホテルの従業員の人とすれ違う。早口で指示を受けるが、内容はすでに確認したことと同じだ。エレベーターを少し待ち、乗り込む。同い年くらいの女の子と同乗することになる。


 エレベーターの中で、左端に僕と静香が並び、右端に女の子が立つ。女の子は僕たちをチラチラ見てくる。女の子が気になることは、僕にも心当たりがある。僕は鏡を見る。夜風に当たっていた僕の方は普通だった。だけど、静香の方は、寝起きなのに、艶が出て、乱れた髪が妙に色っぽい。



「……怖い」



 静香は呟いた。僕を支えにするように、もたれかかる。寝る前から、精神的に不安定なところを見せていた。このタイミングでの発竜は、不安定な心を逆撫でする。僕は静香の肩を支える。女の子が気まずそうにしている。



「エントランスに着いたら、中央公園に向かうよ。慌てずに、落ち着いて避難しよう。近くで戦闘が発生しても、エルフドールは中央公園を守るような形で戦うから、安心して中央公園に逃げよう」



 僕は冷静にこの後の行動を説明する。二階のエントランスまでエレベーターは止まらなかった。扉が開いたあと、従業員の指示に従って、ホテルから出る。避難用の階段からも次々に人が現れ、外に出た。


 懐中電灯が必要なほど、外は暗くなかった。


 中央公園まで避難する間にも、竜とエルフドールの戦闘は始まっていた。基本は空中戦だ。地上が危険になることはない。しかし、エルフドールは竜の攻撃を受け、僕たちが避難している道の近くに、叩きつけられた。



「きゃ!」



 騒音の中では、静香の悲鳴も目立たない。エルフドールと竜の戦闘に巻き込まれたら、なすすべもなく死ぬ。死の恐怖が、人々の足を加速させる。人の波にのまれて、上手く歩けない。避難訓練もまともに受けていないのか。こいつらは。



「もう、やだ……」


「ゆっくりでいいから」



 僕は静香の肩を支え、一緒に歩く。弱音を吐いている静香だけど、生きることを諦めたわけじゃない。ゆっくりと歩みを進める。近くで事故が起こったようだ。車から煙が上がっている。赤いランプが夜空を照らす。人間の悲鳴。竜の咆哮。鋼の鈍響。戦闘の余波を浴びながら、なんとか中央公園に辿り着く。



「座ろう」


「……うん」



 芝生の上で座る。ペットボトルのキャップを開けて、水を静香に飲ませる。寝起きで運動をしたのと、緊張感で胃がおかしくなったのは、静香は嗚咽を繰り返す。中央公園には避難民がたくさんいた。精神的に不安定になっている人も、たくさんいた。


 僕は静香の背中をさすりながら、戦闘を見守っていた。


 日本のエルフドールは竜に勝てるのだろうか。勝つだけでは、意味がない。ここにいる人たちを守らないといけない。しかし、エルフドールは、竜の突進をくらう。嘘だろと思う。竜とエルフドールは回転しながら落ちてくる。



「逃げて!」



 僕は大声で叫びながら、静香を立たせる。フラフラとした足取りだ。周囲も降ってくる竜とエルフドールに気づいたようで、狂乱したように逃げ惑う。僕は静香を強引に引っ張り、なんとか落下地点から逃げる。


 先ほどまで、多くの人がいた場所に、エルフドールが竜の下敷きになって落ちてきた。公園に火花が飛び散る。竜は、エルフドールから距離を取ろうとする。しかし、竜もかなりのダメージを受けている。


 立ち上がったエルフドールは、公園で戦闘を再開した。


 僕は静香を連れて、できるだけ遠くに逃げようとする。しかし、静香の足は思うようには動いてくれない。ゆっくりとでも、それでも逃げないといけない。しんどい。静香の叫び声が耳に入るが、何を言っているのかは分からない。


 僕たちのゆっくりとした一歩なんて、エルフドールと竜からしたら無いのと同じだ。戦闘に巻き込まれた人間は、死ぬしか、ないのかもしれない。竜の発狂が聞こえる。涙が零れるが、冷や汗と混じって気にならない。静香はしゃがみこんでしまった。


 急にしゃがむから、僕もバランスを崩す。それでも、転ぶわけにはいかない。静香を無理矢理立たせて、歩かせる。竜とエルフドールの距離を確認するために、振り返る。すぐ、目の前にいる。



「あぁ」



 声が漏れた。竜とエルフドールは組み合っていた。もしかしたら、勝てるかもしれなかった。しかし、そのまま投げたら、僕たちは竜の下敷きになっていた。きっと、今、パイロットは僕たちと目が合ったのだ。エルフドールは動けなかった。ただ、火花を散らしていた。


 竜は咆哮をした。


 なぜか、恐怖を感じなかった。エルフドールから視線を上げると、竜と目が合った。美しい、赤の竜だ。顔に刀が刺さり、それでもその美しさは健在だった。どうしてそんなに美しいのに、竜は死なねばならないのか。人と殺し合うのか。



「話し合おう」



 そう呟いた刹那、上空から新たなエルフドールが降り立った。深紅の機体に、大太刀を構え、着地と同時に、竜の首を落とす。僕と合っていた竜の目の焦点がスパンと消える。竜は死んだ。僕の肩の力も抜けた。


 竜の首筋から、鮮血が散る。


 日本のエルフドールから、火花が舞う。


 深紅のエルフドールから、少女が降りる。



「誰も死んでないよね?」



 混沌の渦中でもハッキリと聞こえる、凛とした声だった。


 夜の風に、長く赤い髪がなびく。


 少女の姿はまさに、レッドクイーンだった。

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