第9話 発竜


 深夜。東京湾沖合に竜が発生。海中に出現した竜は酸素を求めて空へ。東京上空に勢いよく、飛び上がった。急激な上昇により、竜の身体のなかの空気が膨張する。水圧によるダメージが竜に残った。竜の観測と同時に、関東にサイレンが響く。発竜警報である。


 ローグレイクとの外交により、イルザック学院から購入したエルフドールの出番だった。誰も予想していなかった、とても早い初陣だ。しかし、日本のエルフドールのパイロット、小岩井 修二はいつでも準備ができている。


 竜は上空に浮かび上がったあと、東京スカイツリーに泊まり、水圧によるダメージを回復していた。肺が破れたのか、口から鮮血を垂らし、地面を血の色に染めていた。恐ろしい異形の怪物だ。



「初陣には荷が重いわね」



 エリタリーナは都心にあるバイパスの上から、竜を眺めていた。タワーに泊まった竜は、それだけで芸術作品のような美しさがあった。恐ろしさとは、美しさに似ていた。エリタリーナは、竜に恐れを抱くことはない。自分に似ている赤竜を、ただ美しいと眺めていた。



「強いタイプの竜か?」


「レッドクイーンね。100年前に現れていたら、人類が滅んでいたところね。もちろん、日本は100年遅れているから、このままだと滅びるわ」


「恐ろしいな」


「魔法に迎合すれば、世界と戦えると思っている日本人のプライドはボロボロになるわね。まあ、ボロボロになったところで、わたしが助けるというのが、リンロールからの指示よ。可哀想だけど、見守らないとね」


「エルフドールのパイロットは死なないよな」


「死ぬまでに助けるわよ。わたし、人が死ぬのが一番嫌いなの」



 小岩井 陽斗は双眼鏡を持ってタワーに泊まっている竜を眺めていた。日本のエルフドールのパイロットが自分の父親だと知っている陽斗にとって、何とか無事でいて欲しいと願うことしかできないのは、とても悔しいことだった。



「別に、リンロールの言うことを聞く必要なんてないと思う」


「年寄りのエルフよりはましだよ」



 レイリンはリンロールをあまり信用していない。というか、イルザック学院に通う若い世代の魔法使いたちにとって、エルフを信用しすぎてはならないという風潮は高まっている。


 人間の上位存在に、初めは頭を下げるしかなかったが、今ではその必要もない。『エルフドール』や『人工エルフ』の発明は、その傾向を強めた。エルフ嫌悪とまではいかないが、エルフを全肯定するような人間は少数派だ。



「人にできるだけ死んでほしくないのに、年寄りが嫌いなの、変だよ」


「? エルフは人じゃないわよ。人型なだけ」



 人とそうでないものの線引きはキッチリと行う。エリタリーナがエルフドールに乗ったとき、初めに教わったことだ。守るモノ、殺すモノを決める。何かの命を刈り取ることは、何かの命を守ることでないといけない。エリタリーナは人を守る。竜を殺す。それだけだ。



「竜が人型になったときに困るでしょ」


「……エリタリーナが正しいよ」


「ほら、始まったぞ」



 陽斗の声が聞こえて、二人はタワーに目を向ける。タワーに泊まり、目を閉じている竜に、日本のエルフドールが近づいていく。なんともぎこちない動きだが、初陣なのだから仕方がない。ノウハウがない。自信がない。歴史がない。覚悟だけがあった。



「じゃあ、わたしたちも準備を始めよう」



 戦いの様子など確認しなくとも、結果は分かっている。それでも様子が気になるのは陽斗だけだ。エリタリーナとレイリンは、分厚い本から『人工エルフ』を使って、赤いエルフドールを召喚する。


 バイパスに現れたエルフドールに、本を積み込んでいく。本にはエルフドールの動きが絵で描かれている。本を最初から最後まで勢いよく捲ると、アニメーションになる。若蝶によって『人工エルフ』が発明されてからは、本一冊分のアニメーションを、エルフドールがトレースする形で戦う。本がオペレーティングシステムの代わりとなっている。なんでそれで動くのかは分からないけど、動くのだから使う。12次元の原則を、理解している人間なんていない。


 竜は息の根を止めれば死ぬ。刃物を使うか、銃器を使うか。化学物質はあまり使われることがない。日本のエルフドールは刃物を選択していた。日本らしく、刀で竜と戦うらしい。



「わたしもマネしてみようかしら」


「似合うと思うよ」



 レッドクイーンと日本のエルフドールの戦いが始まった。エルフドールはタワーに泊まったレッドクイーンに刀で切り掛かるが、簡単に避けられ、逆に絡みつかれてしまう。爬虫類のような動きで、尻尾をエルフドールに巻き、細い両腕でひねりつぶすように、エルフドールをねじる。


 エルフドールは空から落ちていく。レッドクイーンは、エルフドールを地面に叩きつける。その勢いのまま、自分は空へと浮かび上がり、また、タワーに絡みついて泊まる。戦闘のコツが本能に刻まれているのだろうか、レッドクイーンの見事な戦い方だった。



「不思議な竜ね。まるで、エルフドールと戦ったことがあるみたい」


「まさか」



 エルフドールは立ち上がる。タワーに絡まるレッドクイーンに向かって、飛び立つ。向かってくるエルフドールに対して、レッドクイーンは咆哮をする。しかし、喉に血が絡まり、中途半端な叫びに終わる。


 エルフドールを一撃で破壊するような、攻撃力はレッドクイーンに無い。恐れることはない。刀を構える。レッドクイーンの口から血の塊が落ちる。落ちた血を、エルフドールは刀で避ける。


 刹那、レッドクイーンはエルフドールに突進する。


 反応が遅れる。


 返す刀で対応するが、レッドクイーンの勢いを殺しきるほどの力は無い。上手く受け流す必要があったが、反応が遅れた分、避けることができない。レッドクイーンの頬に刀が当たる。しかし、エルフドールの胴体に、レッドクイーンは追突する。


 鈍い音が、東京の空に響く。


 レッドクイーンと、エルフドールは回転をしながら落ちていく。夜の闇を回り、平衡感覚がなくなる。それでも、刀をレッドクリーンの翼に突き刺す。レッドクイーンの悲鳴のような咆哮は、レイリンの耳をつんざいた。



「うるさ」



 しかし、上手だったのはレッドクイーンだ。文字通り、エルフドールが下敷きになって地面に追突した。エルフドールの背骨が折れる。火花が散る。火花を浴びて、レッドクイーンは剥がれる。翼を大きく広げ、羽ばたこうとするが、刀の傷が痛み、バランスを崩す。


 空に飛べない。


 エルフドールは立ち上がった。逃がすわけにはいかず、刀を振る。しかし、刀は折れていた。目測を誤り、空振る。体勢を崩したエルフドールに、レッドクイーンが脚力だけで跳び付く。エルフドールは刀を投げる。レッドクイーンの美しい顔に、刀が刺さる。


 発狂する。


 激昂したレッドクイーンの暴れ。怯むことはない。怯むわけがない。エルフドールは素手で、竜の女王に立ち向かう。パイロットの脳みそにある、柔術の情報エネルギーが『人工エルフ』によって、エルフドールに同調する。


 暴れ狂うレッドクイーンの首を掴み、懐に潜り込む。


 レッドクイーンが浮く。空の女王であるレッドクイーンだが、その浮遊感は初めてものだった。生物として、技術に触れた。技術は、恐ろしかった。恐怖で身体が動かない。レッドクイーンは死を覚悟した。


 エルフドールは一瞬、動きを止めた。


 背中が折れていた。


 死を覚悟したレッドクイーンと、動きを止めたエルフドール。


 一瞬の静寂があった。


 その静寂の間、パイロットは冷静に、周囲を確認していた。その確認が仇となった。エルフドールとレッドクイーンが戦っている場所は、国立公園だった。そこは、周辺の地域の避難区域に指定されている場所だった。



「あっ」



 パイロットは声を漏らした。

 

 国立公園に避難してきている人がたくさんいた。人々は恐怖に顔を歪め、祈るようにエルフドールを眺めていた。その群衆の中に、最愛の養娘がいた。少年に支えられて立っていた。


 大きな隙が生まれた。


 レッドクイーンは咆哮を上げた。

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