第3話 魔法の天才

 

 部屋には本棚があった。本棚に背中を向けるように椅子に座り、机の上のパソコンに向き合う。外国の企業が運営するチャットアプリを用いて、世界中の人とやり取りをする。世界の言語が統一された利点だ。



『文芸部に入ったよ。本を読む仲間がリアルでもできた』


『それはよかった。本を読むのに、人肌は重要だから』


『そうか? そうかもな』



 リーメイは、読書のコミュニティーで出会った、インターネットの友達だった。文章では分かる、規律ある哲学を持っていて、会話をしていて気持ちいい人物だった。その口ぶり、文章の癖、時折見せるユーモアから、何となく男性だとは分かっている。



『チマキの書く小説なんて最高だろ。読んでみたいな』


『書けたら、送るよ』


『いいのかよ。日本人は無料で創作物が閲覧できる状況を酷く嫌うだろ?』


『いいさ。日本も変わるべきなんだ』


『ありがとう。先生』


『先生なんて、よしてくれよ』


『チマキ先生』



 テキストチャットの最後には、ハートの絵文字が送られてきた。


 部屋のドアがコンコンと丁寧に叩かれる。

 叔母さんからの呼び出しだ。


 不快にならない程度の大きな声で返事をして、部屋のドアを開ける。



「タマゴと牛乳を買ってきてちょうだい」


「うん。分かった」



 叔母さんから唐突に買い物を頼まれることはよくある。僕が積極的に家庭の仕事を手伝おうとするから、叔母さんは僕に買い物の役割を与えてくれた。仕事がないと気が落ち着かない。



「行ってきます」


「コーラもお願い!」



 玄関を出る直前で、従兄から頼まれる。コーラを買ってきたら、叔母さんに怒られるのだけど、バレないように上手くやる方法は身に付いている。



 集合住宅の廊下は、管理が行き届いていてとても清潔だった。街並みもそうだ。自然と人工物の調和が優先的に考えられ、道にはゴミが落ちていない。昔から、日本はこうだったみたいだ。没落した今でも、自尊心や、信念が失われることはない。


 個人単位で見てみれば、嫌な奴もいるけど、僕は日本人が好きだった。


 近所のスーパーマーケットでタマゴと牛乳を購入する。タマゴはセールが行われていた。叔母さんの目的はこれだろう。僕の両親から支払われている養育費で贅沢な暮らしができるはずだけど、基本的にはケチな性分だった。


 帰りは自販機でコーラを購入するために、公園に寄った。わざわざスーパーではなく、自販機でコーラを買うのは、レシートに購入履歴を残さないため。叔母さんにはコーラの文字の無いレシートを渡し、従兄にはコーラを渡す。


 これで叔母さんからの信頼も、従兄との友情も守られる。


 公園の隣にある空き地で、青空魔法教室が開催されていた。僕と同世代の魔法に興味がある日本人が集まって、イルザック学院の元生徒であるガリンキさんから魔法を教わっていた。


 イルザック学院は、ローグレイク国にある魔法の最先端が学べる学院だ。


 ガリンキさんは、イルザック学院に入学したけど、卒業はできなかった。日本人の魔法というのは、その程度のレベルにあった。しかし、こうしてガリンキさんに魔法を教わった若い世代のなかで、イルザック学院でも通用する若者が出てくることもあると思う。



「おーい! 藤糸郎くん!」



 遠くからガリンキさんに呼ばれて、僕は青空魔法教室に顔を出す。日本に来る前の英才教育もあって、ガリンキさんが僕に教えられることはなかった。しかし、僕もローグレイク国では、天才と呼ばれる人間ではなかった。ローグレイクの同年代の子供に、僕より優れた魔法使いはそれなりにいた。


 僕の登場に青空教室は湧いていた。魔法嫌悪のある日本人と違って、青空魔法教室に来る生徒は、魔法に興味を持っている。僕は身近な優れた魔法使いだから、ここでは人気者だった。



「この子が書いてきた魔法陣の評価が俺には難しくて。本に作用することまでは分かったんだけどな」


「魔法陣が本に作用?」



 これまた、魔法嫌悪の人たちが聞いたら怒りそうな魔法陣である。


 魔法嫌悪の人たちは、人間の営みが、単なる情報として魔力に捕食されるという状況が大嫌い。僕もその気持ちは分かる。作者の著作権を無視して、本がただの情報として魔力に加わるのは、如何なものかと思っている。


 魔法陣が本に作用してしまったら、その瞬間、その本はただの情報として魔力の一部になってしまう。魔法というのは、人間が認識できる4次元の先にある、最上位の11次元、そして11次元をさらに超越した、12次元である。


 もはや魔法は、人間にとって、現実よりもフィクションの方に近い。


 ガリンキさんから、一枚のペラ紙を受け取る。ペラ紙にはシンプルな丸が描かれている。人間の知覚には、シンプルな丸にしか見えない。しかし、エルフにはこれが複雑怪奇な魔法陣に見えて、魔法理論を学んだ人間にとっては、反射として、魔法陣だと理解することができる。


 人間にとって、魔法は学問よりもスポーツに近い。このシンプルな丸を魔法陣だと捉えることは、160キロのボールを、細いバットをスイングして捉える感覚と似ている。瞬きをしてしまえば、魔法陣は通りすぎるし、調子が悪ければ、全く捉えられない。


 しかし、この例えは、シュレーディンガーの猫くらい下手くそな例えである。


 ガリンキさんの隣に、心配そうに僕を見つめる女の子がいた。この子も、僕と同世代くらいだろう。自分が書いた魔法陣がどう評価されるか不安なのだろうか。魔法に関して、日本人に自信はない。



「これ、この子が書いたの?」


「そうだ。歳はお前の一つ下だぞ。いつか、追い越されるんじゃないか?」


「もう、越されてるよ」


「え?」



 ガリンキさんはポカンとした。


 女の子も目を丸めて、ビックリしている。魔法陣の精度は同程度だろうが、僕には発想力がない。ガリンキさんの言うように、これは本に作用する魔法陣だ。しかし、その実態は本と現実を繋げる魔法陣と言えるだろう。


 僕はカバンから『涼宮ハルヒの憂鬱』を取り出した。本の間に、魔法陣が書かれたペラ紙を挟む。僕はエルフではないので魔法陣の精密な制御と、正確な使用ができないけど、なんとなくの使用なら可能だ。


 僕が体内にある魔力を用いて、魔法陣に情報エネルギーを与えると、本の表紙にはリボンが現れた。印象的な黄色のリボンだ。



「なんだこれ」


「おそらく、この小説のヒロインが髪を結うに使っていたリボンだろうね」



 どの時代にも、天才というのは唐突に現れる。


 環境や、脈絡などは関係がない。


 天才とは、そういうものだ。



「これは、フィクションを現実にする魔法だ。12次元は現実よりもフィクションに近い。でも、この魔法は近いとかそういうレベルじゃないね。フィクションと現実の境目を無くす、虚構現実だ。いや、拡張現実かな? うーん。しっくりこない。まあ、言語化は難しいね。数値化したら、100点満点じゃないかな?」


「やった!」



 100点満点を得られて、女の子は喜んだ。夏休みの自由研究程度の魔法が、世界の均衡を崩す。この魔法陣が本ではなく、魔力そのものに作用するようになれば、人類は正しく13次元に突入するのではないだろうか。


 上手く言語化できなかったのが、なんだか悔しい。


 魔法を正しく言語化してこそ、人間だ。




「君、名前は?」


「天野 若蝶です」



 天野 若蝶は、魔法の天才だった。

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