第2話 最も価値のあるライトノベル

 

 魔法の繁栄と共に、日本は没落した。


 圧倒的な叡智である魔法を、日本は使いこなせなかったのだ。


 魔法は、データベースである魔力と、インターフェイスであるエルフの力によって、発動する。魔力は世界の理であり、その理にアクセスするのが魔法で、膨大な情報量から人間に必要な知識を検索するのがエルフだった。


 日本にエルフはいなかった。

 耳が長く、長寿で、美しい種族。


 机の上で行われた最後の世界大戦に、突如として現れ、戦争を終結へと導いた。エルフにより世界の王が選定され、乱れた世界は一瞬にして秩序を取り戻した。平和な世界で始まった、新時代の魔法競争に、日本は大きく出遅れた。


 やがて、歴代の鯨の王とエルフにより世界の国は68に統一された。

 日本のGDPは68位に転落。

 最下位。


 主な産業は漫画・アニメのエンタメだけ。


 創造力とフィクションにしか取り柄が無い、もはや虚構の国と化している。




◇◇◇


 


 学生証を当てると、ウィーンと音を立てて、自動ドアが開く。


 文芸部の部室は、教室よりも狭く、こぢんまりとしていた。三方を本棚で囲まれていいて、真ん中には畳が敷かれ、その上にテーブルが置いてある。物が多いので、より圧迫感があり、僕好みの雰囲気だった。僕好みなのは、こぢんまりとしているのだから当然だ。


 僕と小岩井さんは畳の上に、テーブルを挟んで対面して座った。目を合わせるのは緊張するので、視線は小岩井さんの整った鼻筋に置く。これなら、緊張もしないし、会話をするときに、目を逸らす陰キャだって思われない。



「部員は誰がいるの?」


「わたしと藤糸郎くんだけ」


「だけ?」


「うん。わたしが一昨日作った部活だもの」


「ええ……」



 すごい行動力だ。

 一昨日作って、ここまでの部室に仕上げているのもすごい。


 本棚にはたくさんの本が並んでいるが、どこから用意したものなのだろうか。三つの本棚のうち、二つがビッシリ埋まっていて、一つが空っぽだ。バランスが悪いように思えるけど、何か、小岩井さんなりの意図があるのだろう。



「これ全部、小岩井さんが用意したの?」


「うーん。まあ、そうかな。文芸部を作るって司書さんに相談したら、図書室の本をたくさん貸してくれたよ。東に、わたしの好きな本。西に、高校生が読むべき本。南には、部活で書いた本が入る予定。まだ、空っぽだけどね」


「本が好きなんだね」


「好き」



 小岩井さんは所謂、本好きだった。

 物語小説だけではなく、図鑑や、教科書も好き。活字を読んでいると幸せを感じて、情報を得ることで快楽を覚える。そういう性格の人が、たまにいる。



「特に日本の本は大好き」


「海外の本と、違うの?」


「違うよ」



 僕の質問に、小岩井さんは笑って答えた。


 質問を待っていたのだろう。部員は僕と小岩井さんの二人だけ。小岩井さんに本に関する質問をする人は誰もいなかったのだと思う。僕もそれなりに本に詳しいつもりだけど、日本の本には疎い。



「本には色々あるけど、日本特有のジャンルが二つ。何か分かる?」



 僕は頭のなかで数多の本のジャンルを考えてみる。フィクション、ノンフィクションこれは世界で共通だろう。ファンタジー、ミステリー、ホラー、恋愛、ジュブナイル、歴史、SF、エッセイ、詩、童話など、様々なジャンルを考えても、日本で特有のものは思いつかない。



「分からない?」


「うん。分からない」


「正解は『純文学』と『ライトノベル』の二つ」



 聞いたことないや。日本で暮らしていて、聞いたことないのだから、そうとうディープなところにあるサブカルチャーだと思う。『純文学』と『ライトノベル』ね。どういう意味だろう。日本語が分かると言っても、専門用語にはついていけない。



「ライトノベルはデータベースに肯定的なエンタメ小説。大量のデータベースから、共通の脈絡を狙って創作するの。テンプレートってやつね。データベースを知らないと、楽しめないから、たくさん読んでこそ楽しめるけど、たくさん読み過ぎると、飽きちゃう。結局は、既視感があるからね」



 データベースとは、公用語で魔力とほぼ同じ意味の言葉だ。魔力と同じく、情報エネルギーがあるのだろう。魔力による情報エネルギーは、車を動かすのに用いたり、発電するのに使っている。本において、そのエネルギーは、読者が文章を読み進めていく推進力に用いられる。


 物語におけるテンプレートな展開は、読書の推進力を高める作用がある。


 ライトノベルの作者は、既視感を操って創作をする。


 大衆文学におけるデジャヴ文学。


 それがライトノベル。



「純文学はデータベースに否定的な芸術小説。データベースの中心にある常識と言われる情報の、カウンターポジションに立って創作をするの。社会に対する提言や、言語化を忘れた情報を言語化する。情報というぼんやりとしたものに、輪郭を与える作業ね。その輪郭に、メスを入れて、整形するのも純文学の役目。作者は輪郭の外側にいながら情報を閲覧して、主人公という輪郭の内側の人間に、外側からしか見えない情報を与えるの」



 日本人による魔法嫌悪は、今に始まったことではない。ビックデータに対する否定的な考えは、旧時代のAIに対するスタンスと同じだ。魔力という膨大な情報を、適切に用いた魔法は、ある種、創作の首を絞める行為だった。


 世界を解釈するというような哲学的な営みこそ、純分学の性質である。


 人間の強さを、魔法は消した。


 しかし、純文学には人間の強さが残っている。



「分かる?」


「分かんない」



 小岩井さんの概要的な説明を聞いて分かるような話ではない。本の営みとはそういうものだ。僕も実際に『純文学』と『ライトノベル』を読んでみないと分からない。この二つは、魔力に対するスタンスも対象的みたいだし、読んでみたら分かるはずだ。



「じゃあ、実際に読んでみよう」



 小岩井さんも僕と同じ考え方みたいだ。本棚を物色して、僕が最初に読むのに相応しい本を探してくれる。西にある本棚に置いてある、高校生が読むべき本のなかから、小岩井さんは、一つの小説を手に取り、僕に貸してくれた。


 イラストの描かれた、文庫本だった。



「これは『涼宮ハルヒの憂鬱』。最も価値のあるライトノベルだよ」

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