第9話
「誰に断って、彼女に近づくのかな」
おれの冷ややかな声に、作業着の男は、驚愕の表情を浮かべて振り返った。背後にいたおれの姿に悲鳴をあげ、数歩あとずさると、バランスを崩して尻もちをつく。
「な? なぜだ? 誰だ? どうしてここにいるんだ? 足音も息づかいも、それ以前に、さっきまでおまえなんか、いなかったじゃないか!」
「あんたに気づかれなかっただけだ。おれには、あんたの行動が手に取るようにわかっていたよ。なんせ、鼻がきくもんでね」
静かな声で答えてやった。
男の声は、発するたびに空気中に吸いこまれ消え失せる。おれが瞬時にノイズキャセリング、逆位相の音波をだして打ち消しているからだ。
そのくらい、造作もない。
楽しんで歌っている千賀子に、この騒ぎを気づかれたくないだけだ。
蒼白の男を、おれは半眼で見おろした。
男は、ハッと気づいたような表情を浮かべる。
「鼻がきく、って、能力者か? あ、も、もしかして、ターゲットが被ったのか! そうだ! あの女を、きみも狙ってきたんだろう? これだけ力を垂れ流す無防備な女だ。おれと同じように、あの女も最近目覚めたばかりに違いない。だから、きみもいただくつもりで、急いでやってきたんだろう?」
よく回る舌だ。
不愉快とばかりに、おれは踵で床を蹴った。
その音に、男はビクリと身体を縮こませる。
「彼女は、最近目覚めたばかりじゃない」
「え?」
「彼女が力を手に入れたのは十年前。この争奪戦がはじまった初期の、第一期組だ」
厳かに告げたおれの言葉に、男は目を見開く。
そして、思いついたように険しい表情になって男は叫んだ。
「わかったぞ。あの女は
「下衆な勘繰りはやめろ。彼女に近づかなければ、見逃してやったのに」
「嘘をつけ!」
尻もちをついたまま指を突きつけ叫び続ける男に、おれは淡々と口にする。
「昨夜の事件、あんたがやったんだろう? あの女性は争奪戦に興味はなく、彼女に危険はないと判断したから放置していたんだ。それをあんたは手当たり次第に襲おうとした。そして今――格上に牙を剥いた」
おれの声音から、本気が伝わったようだ。男の顔色が蒼ざめた。
だが、遅い。
逃げだす隙を狙い、一瞬で身をひるがえして開いている廊下の窓から飛びだそうとする男を、それを上回る速さで足首をつかんで引っ捕らえる。
怒りのままに床に叩きつけた。
「あんた、まさか彼女同様第一期組のおれから、逃げられるなんて考えていないよね? この十年で、おれがどれだけ上限突破して能力を積み上げていると思う?」
笑みを浮かべながら、おれは男の頭を鷲掴み、指の力だけでギリギリと締めあげた。
「ちょ、待……」
「暴れて彼女にバレたくないから、サクッと終わらせるよ。ばいばい」
その瞬間、おれの手のひらに何ともいえぬ熱量が吸いこまれる感覚が起こった。それを無表情で受けとめる。
間髪いれず、おれは男をつかんだまま、開いていた廊下の窓枠を蹴って飛びだした。一足飛びに宙を舞い、目にも留まらぬ速さで一キロほど先の総合病院の駐車場に降り立つ。無造作に男を転がすと、さっさとその場から飛び去った。
千賀子の生活圏内で事件が起こるなんて、許さない。
十年前。
共通の友人を失った直後に、おれと千賀子は、ランダムに選んだ神によってギフトを与えられた。
だが、千賀子は拒否した。
その力で、誰かを傷つけたくないと言って。
神の決定を拒否した千賀子は、その神によって記憶を封印されたが、力は取りあげられなかった。自覚がないままに、千賀子は、その膨大な力を身に宿したままとなった。
だから、おれは神からギフトを受け取った。
何も覚えていない千賀子を護るために。
彼女を護り続けるために。
何も知らぬまま、千賀子は歌う。
彼女の純粋な心を表現するかの如く、歌う声に乗せて、人間が求める慈愛に満ちた癒しを、生命に活力を、無自覚に惜しみなく放つ。
神の贈り物を断った代償として。
ほかの能力者に狙われるためだけの、溢れでる力を孕んだ供犠となって。
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