第8話
「こんなところに、これほどの力を周囲に放っているヤツがいるなんてな」
通学路に立った男はつぶやきながら、校舎の四階を見上げた。
「昨夜の女は、見た目はおれ好みだったが、地獄耳の能力はショボかったねぇ。他人の能力を奪うことで可能な全体的な底上げ、上限突破をしていなかったからかな。保守的だねぇ」
獲物をロックオンしたように、舌なめずりをする。
男の視線の先では、放課後に練習する合唱部の歌声が響いていた。
「こちらは声に特化しているのか。いいねぇ……。場所は高校。声からして、教師ではなく生徒。若い女だ。こうして耳にするだけで力がみなぎってくる。これが異世界だったら、バフと圧倒的な回復能力、間違いなく聖女の力だな。そして、それがわかるのは、同じ能力者だけってわけか」
そう言って、男は周囲を見回した。
下校時間のピークは過ぎているらしく、いまは学生の姿は見当たらない。
念のために、瞳を凝らす。
道路のはるか向こうまで、遠くそびえるビルの窓や屋上まで、見渡す限りこちらを気にする人影はない。
さらに万が一のために、耳を澄ます。
彼を中心に半径十数メートル内で、足音や息づかいの気配はしない。
「ちょっとしたミスで、捕まりたくないからねぇ。いくらでも逃げおおせるが、初期の顔バレはさすがにまずいからなぁ」
笑みを浮かべながら、男は悠々と金網を飛び越え、高校の敷地内へ侵入した。
校舎の出入り口を目指して、ゆっくりと中庭を歩く。
「だが、半径数キロとはいえ、今回の女は、歌っているときの垂れ流しパワーは膨大だな。他者にこれだけ影響を与えているんだから、これを奪っておれだけのものとしたら、もう敵なしじゃないか?」
そこまで口にした男は、さすがに不思議そうに首をかしげた。
「これだけ能力を垂れ流しって、おかしくねぇか? 昨夜の女でも、それなりに周囲を警戒していたぞ。――まさか、本人に力の自覚がないってことか……?」
そして、すぐに相好を崩す。
「なんておれは、ラッキーなんだ。これだけの力、よくもまあ今まで、ほかの能力者に見つかって奪われていなかったものだ。神がおれのために、特別に用意してくれていたボーナスじゃないか」
鼻歌交じりに歩く男は、能力に目覚めてから、一睡もせずに活動していた。
最初にひとりの女性を襲い能力を奪ってから、昨日の昼間まで働いていた仕事場の作業着姿で、次のターゲットを探し回っていた。ゲームや異世界モノが好きな男は興奮状態で、まずは、さっさと能力の上限突破――レベル上げを目指していたからだ。
そのかいあって、今日の朝。
無防備に力を放つ声が、ついに男の耳にまで届いた。急いで声の主を探すと、高校の音楽室から聞こえてきた。
「目の前の仕事だけに能力を使って、普段は見つからないように隠れまわる昨夜の女もいるが。もったいないねぇ。筋力だけでも、異世界で勇者が名乗れるほどだろうに。それが、さらに奪うたびに上限をあげられるってのに」
己の能力で誰もいないことがわかっている男は、足取り軽く、並んだ靴箱の前を通り過ぎる。音楽室のある方向を確認して、姿を隠すそぶりもなく廊下を歩いた。
「今回の獲物は、歌をさえずる小鳥ちゃんって感じかな。――部活でほかの学生がいても面倒だな。帰宅途中に、ひとりになるのを待ったほうがいいか?」
待ちきれずに校舎のなかまで入りこんでいながら、ふと男は思案する。
「いや。能力を奪うのは一瞬だ。とくに、自分の力に気づいていなくて、部活仲間がそばにいるとなれば、警戒心もないだろう。周りに気づかれず、彼女をひとり、さっと攫うくらい、今のおれにかかれば朝飯前だ」
そう言いながら、男は階段をのぼりはじめる。
「能力の奪い方は、昨夜の方法で合っていたな。相手の頭を鷲掴みして、一気に力を吸いこむ。昨夜の女は暴れて面倒だったから、小鳥ちゃんには、少々おとなしくなってもらってからのほうがいいか……」
歌声が、徐々に大きくなってくる。
男の期待もふくらんでくる。
「これで能力が爆上がりしたら、手はじめに何をやろうか。おれを見下す世の中を、引っ掻き回してやるか。それとも、悪人を物理的に潰して――片っ端からFEHにしていくのも楽しそうだ。ははっ、まるでおれは正義の味方みたいだな」
階段をのぼる男の右足が、四階に到達する。
無意識に、男は唇をゆがめ、涎をたらさんばかりの笑みがこぼれた。
「それじゃあ、美味しくいただきましょうか。おれの能力の肥やしになってくださいよ。まだ見たことがない、可哀そうな小鳥ちゃん」
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