第4話

 生徒の登校までには、まだまだ時間があるというのに、もう校門の前に風紀委員である凛子りんこが、腕章をつけて立っていた。

 両耳の下で、きりりとストレートの黒髪を隙なく結び、朝早くから登校してくる生徒の服装へ目を光らせている。


「あら、千賀子おはよう。朝練なのね」

「おはよう、凛子。週番おつかれさま」


 親友の姿に、たちまち表情をゆるめた凛子だったが。

 おれを認めた次の瞬間、眉根を寄せた。


「なぁに、昴くん。また千賀子にひっついて登校なの? ――あ、また指導部に呼びだされていたんだっけ?」

「また、は、余計だっての」

「指導部の先生の手間を増やすんじゃないわよ。二年生になった自覚を持ちなさい」

「凛子に説教される気はないな」

「なんですって?」


 眦を吊り上げて、気色ばんだ凛子はおれを睨みつけた。


「あなた……」


 そのまま言葉を発しようとした凛子のそばへ、するりとおれは足音なく近寄る。そして、礼儀として、凛子のスカートのすそを右手で払った。

 凛子の真っ白な腿を軸にして花が開くように、ふわりとスカートのすそが浮かんで広がった。この広がり方は、なかなかテクニックがいるんだ。

 慌てた凛子が、両手でスカートの前を押さえる。


「いゃン。って、ちょっと、何すんのよ! このエロガキ!」

「ははは」


 スカートを押さえたまま真っ赤になった彼女に、おれはニッと爽やかな笑顔をみせた。その瞬間に、後頭部に打撃を受ける。

 千賀子のカバンが炸裂したのだ。


「痛ってぇ!」

「まったくもう」


 大げさに頭を両手で押さえてしゃがみこんだおれを、千賀子は見おろすように睨みつけた。


「ちょっと、千賀子! 放し飼いになんかしていないで、しっかりエロガキの手綱を握っていてよ!」


 怒った表情で腰に両手をあて仁王立った凛子は、唇を尖らせながら千賀子へと文句を言う。

 そしておれは性懲りもなく、二匹のエレガントな牝豹に睨まれながら、ぬははと笑い声をたてた。




「おう。時間通りにきたな。優秀優秀っと」

「ヒゲぐらい家で剃ってこいよ。この不良教師」


 呑気に大口をあけて指導室へ入ってきた男の顔を、おれは呆れた眼で見あげる。


 欠伸をさらさら隠す気もなさそうな無精ひげのこの男は、入学のころから付き合いが深い指導部の九条くじょうという教師だ。

 いまも、呼び出しをくらったおれが、千賀子と校門で分かれて先に指導室の鍵をあけ、態度でかく椅子に座って待っているというのに。教師のほうが寝ぼけた顔で指定時間を過ぎてくるとは。


 タバコは苦手らしく、いつも九条はシガーチョコを持ち歩いている。さっそく一本を取りだして銜えながら、おれへすすめてきた。

 おれは、ため息をつきながら口を開く。


「タバコじゃねぇが、校内で生徒に菓子をすすめるのもおかしくね?」

「高カカオのチョコを選んでいる。眠気覚ましにカフェインの効果が得られるぞ」

「おれは早起きだから、この時間帯はもう絶好調なんだよ。先生だけ食べていろよ」

「一緒に食えば共犯者だというのに」

「生活指導で呼びだした教師の言葉じゃねぇな」

「そうだ。それそれ」


 ようやく九条は、おれの向かいの席に腰をおろす。そして、チョコを唇の端で銜えたまま手慣れたように、書類を机の上に広げて並べた。


「ほら。いつものように反省文を書け」

「おれが悪いんじゃねぇよ」

「わかってるって。ウチの女子に他校の生徒が絡んだんだろう? 目撃していた生徒から話は聞いているよ。おまえの行動は間違っていない。似たようなことがあれば、おれだって同じことをする。だから、この場でのお叱りはなしだろ? 高校側に提出の反省文だけだ」


 口先だけじゃない。

 そのような場面に遭遇したら、この教師は嬉々として乱闘に加わるだろう。


 薄っすらと無精ひげに彩られているが、野生的な顔立ちは悪くない。無法者アウトローな空気をまとった二十代半ばの体育教師だ。上背もあり、男のおれから見ても、ほれぼれするような上質のしなやかな筋肉をつけている。だから、話のわかるこの教師は、男子生徒はもちろん、女子生徒にも人気があった。

 おれと人気を二分にするあたり、そこだけが気にくわねぇ。


「反省文ね。それが手間なんだけれどな……」


 にやにや笑みを浮かべながら、九条はおれへ向かって、書類を指で弾き飛ばす。机の上から飛びだして落ちる前に、おれは紙を受けとめた。


「おれの前で面倒事は起こさんといてくれよ、昴。止める気がさらさらないから、ほかの教師や生徒に面目が立たん」

「努力しまぁす」


 そうつぶやきながら、おれは、九条のほうから続けて転がってきた鉛筆をつかみ取る。鉛筆の尻を髪の中へ突っこんで頭を掻いたあと、慣れた文章を書きだした。


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