第3話

 十年ほど前から、事件は起こりはじめた。


 最初は、とある海外の国で起こり、日本は大きくとりあげなかった。だが、すぐに日本各地でも事件は勃発した。とてもひとりでは起こせない規模だったため、世間では、全世界を股にかけているカルト集団が事件を起こしているとの噂が流れた。


 襲われる人間に、法則性はない。ただ、初めのころの被害者は、十歳にも満たない子どもが狙われていた。だが、すぐに女性や老人もターゲットとなり、いまでは全年齢に被害は広がっている。


 被害者は、事件が起こりだしたころは、ほとんどが殺されていた。その手段は多様で、刺殺銃殺撲殺射殺エトセトラ。驚いたことに、素手でくびり殺したようなものも含まれていた。殺害の方法に、なにもこだわりや法則が感じられないと、ニュースのコメンテーターは口をそろえる。


 だが、件数が増えるにつれて被害者のなかに生存する者が現れ、いまでは殺害されることのほうが珍しくなってきていた。ニュースのコメンテーターたちは口をそろえて「匙加減がわかってきたのだ」と分析した。

 その点は、おれも同意見だ。


 また、いろいろな被害者の様子に、細かい分析はされているようだ。不意打ちのように襲われた者は、たいていは女性や子ども、年齢の高い被害者だった。十代、二十代の被害者は、かなり逃げ回った痕跡がある。さらに、腕に覚えのある男などは、激しい抵抗の様子が確認されているようだ。


 ただ、それ以上の詳しい情報は非公開とされているため、噂の域をでていない。おれの耳にも、クラスメートからの信憑性の薄い話しか届いてこなかった。


 この事件に関わったとされる被害者は、ほかの事件と区別され、「感情蒸発者Feelings Evaporation Human」と命名された。なぜなら、生存者は全員が人間としての感情をすべて失っていたのだ。喜怒哀楽の感情がなくなり、みずから行動を起こすこともできなくなる。FEHは、とある地域の大きな病院に集められ、文句を訴える感情も持たずに寝たきりの看護を受けている。

 ――まだ現時点では見当もついていない、治癒の方法が見つかるまで。


 俺の住んでいる地域も例外じゃなかった。過去に、この事件に関連していると思われる死者と、数名のFEHをだしている。

 そして――共通の友人をひとり。おれと千賀子は、小学生のころに喪っていた。


 ある日突然、感情を蒸発させたかのように失ってしまう。

 いま全世界は、得体の知れぬ者たちによって脅かされていた。狙われる原因がわかっていないため、いつ自分が襲われるのかわかっていない。

 なにかしら身体に施されるのか、細菌やウイルスが体内に埋めこまれているのか、メディアで発表がされていないうえに対策も打ち出されていない。

 そして狙われたら最後、死か、人間としての感情を失った者となってしまうのだ。



「千賀子。せっかくの朝食が冷めちまう。作り手の前で、それはないんじゃね?」


 場の空気を払拭するように、おれは、軽快な口調で声をかけた。


「あ。――やだ、ごめんなさい」


 過去を見つめていたように輝きが弱められていたその瞳へ、光が戻る。


「――でも」

「ん? なに」


 おれは、千賀子の隣へ腰をおろしながら、髪が邪魔にならないようにと頭に巻いていた手ぬぐいをとる。

 そんなおれへ、なおも伏し目がちの千賀子は、ぽつりと口にした。


「――でも、昴ってあんがい、冷めているわよね。こんな事件が、もう十年以上も続いているのに……」

「おれは」


 すぐに、おれは言葉を紡ぐ。

 おれの中で迷いがないから、力強い声がだせる。


「世界のことなんて関係ない。おれは、千賀子が無事ならそれだけでいい」

「――昴」


 ハッとしたように、千賀子は顔をあげて、おれを見た。

 その視線には、いろんな想いが混ざりあっている。

 おれのことを頼もしく思っている色と、嬉しさの色と――そして、友人を亡くした過去にとらわれ続けている悲しみの色だ。


 千賀子の頭に片手を乗せて、わざとおれは、やわらかい髪をくしゃりと掻き乱す。

 そして、たちまち文句をいおうと口を開きかけた千賀子に、ニッと不敵な笑みを浮かべてみせた。


「ほら、はやく食わねぇと。合唱部の早朝練習があるんだろ?」




「そう。思いだしたわ」


 改めて朝食に向き直り、いただきますと手を合わせた千賀子は、フランスパンをちぎりながら口を開く。


「ん? なにを?」


 おれは、とろとろのスクランブルエッグを口にいれる。すると、ふいに目を細めた千賀子が上体を倒すようにして、おれの顔をのぞきこんだ。


「昴、昨日の放課後、喧嘩したんでしょう? 女の子が原因ですって? それで今日の朝に、指導部に呼びだされていたんじゃなかったっけ」

「あれ。よく知ってんな。たいした地獄耳だ」

広田ひろたくんに聞いたのよ」


 二年も同じクラスになった広田か。

 あの野郎、よけいなことを。

 今日会ったらぶちのめす。


 そんな態度をみせず素知らぬ顔で、おれはさらりと言い返す。


「おれが悪いんじゃねぇよ。他校の野郎がウチの一年の女子に絡んできたのを追っ払ってやっただけさ」

「女の子が可愛かったからでしょ」

「うるせぇな。ああ、そうだよ。千賀子と違って可愛い女だったよ。ブス」


 おれの暴言に、千賀子は余裕の笑みで返してくる。

 本当に自信ある美人というものは、そうそう怯まない。また、自信のある本物のブスも、ふてぶてしくニヤリと笑い返してくる。

 どちらも、怖いっちゃ怖いな。


「ちっ。うるせぇ。性格ブス」


 言いなおすと、今度は思いっきり睨みつけられた。

 どうやら目に見えない内面に関しては、少々不安があるようだ。口下手だと自覚があるだけに、他人へ与えている悪印象を危惧しているのだろう。

 美人の怒った形相は、身構えていないだけ身体に震えがくるものだ。


 すぐにおれは、態度を変えた。

 おれの変わり身の早さは天下一品だ。


「おっかねぇ顔をせずに、さっさと食って学校へ行くぞ。――おまえは充分可愛いよ。千賀子」


 最後のところはウインクを送りながら告げたおれの言葉で、千賀子は一気に頬を染めた。そして前を向くと、耳まで赤くした千賀子は黙々と食べはじめる。

 その気持ちのよい食いっぷりを横目にしながら、おれも満足気にフランスパンを食いちぎった。


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