第45話 渋沢栄一の言葉
学問は一種の経験であり、経験はまた一種の学問である。
―――渋沢栄一(日本の実業家)
若い頃から夢を持ち、思い描いた目標に邁進し、日本経済を成長させる大人物とまでなった渋沢栄一。
夢を持つこと、目標を持つこと、ひいては「欲」を持つことが大事だと説き、「無欲は怠慢の基である」と言っています。
渋沢栄一は、徳川将軍最後の徳川
徳川慶喜の弟の徳川
ヨーロッパに実際に訪れて、産業の発展や経済の仕組みを目の当たりにしたことが、その後の渋沢の人生に大きく影響を与えたと言われています。
このフランス滞在中に、江戸時代が終わって、翌年から「江戸」は「東京」へと名前が変わります。
フランスから帰国した渋沢は、そのまま新明治政府で働くことになります。
2014年に世界遺産に登録された群馬県の「富岡製糸場」の設立にも関わりました。
その後も、渋沢は鉄道、印刷工場、不動産、ガス、電力会社、ホテル、病院、造船業……500以上もの会社の設立や経営に関わったそうです。
私の大好きなサッポロビールやキリンビールも、元の会社は渋沢が興したもの。晩酌で恩恵にあずかっております。ありがたや。
ちなみに、日光東照宮の「東照宮」と大きく書かれた石柱は、渋沢栄一が書いたものだそうですよ。
東照宮は、江戸幕府を作った徳川家康を祀る神社ですが、1915年(大正4年)、徳川家康の没後300年のお祭りで、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜に仕えた人物として、渋沢は忠義を尽くしてこの文字を書いたそうです。
さて、渋沢栄一といえば、7月3日から発行された新紙幣に肖像画が使われた人物。
発行から一週間経ちましたが、皆様のお手元に新・一万円札の「渋沢栄一の肖像画」、回ってますでしょうか?
私はまだ見ていません。
(電子マネー決済ばかりで、リアルマネーに触れる機会、あまりないですもんね)
1871年(明治4年)、渋沢はまだお金の種類がバラバラだった日本で、「新貨条例」というお金の制度作りに関わりました。
現在の国立印刷局にあたる部所の初代トップとなり、日本初の近代的なお札である「明治通宝」の発行にも携わっていたのです。
日本最初の銀行の設立者でもあるし、昔から、お札と「縁」がある人、だったのかも。
「エン(円)」だけに、とか言ったりして。
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